第7話 おっさんを巡る美少女たちの戦い

 魔王城の大広間にて、薫はマルナの隣に立ち、彼女と家族になったことをみんなに報告していた。


 大広間に集められた四天王を始めとしたモンスターたちは、薫が何を言っているのか、にわかには理解できなかった。


 だが、言葉の意味が浸透していくに従って、ざわめき始める。


 はじめは少しだったものがやがて大きくなって、大広間を騒然とさせた。


 マルナは聖女として、自分たちが暮らす国に攻め入ってきた。


 それなのに家族になる?


 驚くし、戸惑うし、動揺する。


 薫はみんなが反発するかもしれないと思った。


 だが、そんなことはなかった。


 みんな、好意的に受け止めてくれた。


 現魔王である佐月が元聖女だったということもあったが、何より薫の人得だ。


 薫がモンスターたちに認めていることが何よりも大きかったのだ。


「そうか。そいつはおめでとう! ……でいいんだよな?」


「ええ、そうですね。家族が増えるのはうれしいことですから。ありがとうございます」


 ここまでみんなに好意的に受け止められ、薫は喜んだ。


 そして、よかったと安堵した薫だったが、一人だけ、反発する者がいた。


 クリムだ。


「そんなの絶対に認められませんわ!」


 薫に惚れているクリムにしてみれば、ぽっと出の女が大事な大事な薫の家族にいきなりなるとか、あり得ないことなのだ。


「よろしいですか、そこの元聖女! カオル様のお嫁さんになるのは私ですわ!」


「違う」


「っ!? それは自分の方がカオル様のお嫁さんに相応しいと、そういうことですの……?」


「わたしの名前。元聖女じゃなくてマルナ」


「なるほど、そうでしたの。それは失礼いたしましたわ――って違いますわ!!」


「違わない。わたしはマルナ」


「そういうことを言っているんじゃありませんわ!」


「? そうなの?」


 くいくい。


 服の裾を引かれてマルナに聞かれた薫だったが、答えられなかった。


 それどころではなかったからだ。


 薫は、自分が実はとんでもないことをマルナに提案していたことに、クリムの発言でようやく気がついたのだ。


 自分と家族になろうというのは、プロポーズなのでは……?


 35年間、彼女がいなかったため、そのことに今まで思い至らなかったのだ。


 痛恨の極みである。


 クリムが言っているようなことではないと、薫は訂正しようと思った。


 だが、話はすでにその段階を超えていた。


「よくわからないけど、わたしはこの人と――カオルと家族になるって決めたから」


 深い意味があっての発言ではなく、文字どおり、言葉どおりの意味しかなかった。


 だが、クリムには薫とマルナの間には何人たりとも割って入ることはできないのだと、まるでマルナが自慢しているように聞こえたのだった。


 薫にべた惚れしているがゆえの、すさまじいまでの勘違いである。


 決定的にすれ違っている二人の間に、薫は急いで割って入ろうとした。


 だが、アヴァールに止められた。


「待てよ、カオル! 止めるんじゃねえ!」


 真剣な声。


 何かあるのかと、薫はアヴァールを見る。


「どうしてですか?」


「そんなの決まってるだろ? ――面白いからだよ!」


 見たことがないほど真面目な顔で語られたのは、最悪の理由だった。


「お、面白いからって……」


「なあ、ブライテルもそう思うだろ?」


「そうですね」


 まさかブライテルまで同意するとは思わなかった。


「最低の趣味だと言っておきましょう」


 よかった。ブライテルは四天王に残された最後の良心だと信じていた。


「ああ、そうかよ! バムハルトはどうだ? 俺と同じだよな!?」


「我は勝負の行方が気になるのじゃ」


「勝負、ですか? それはいったいどういう意味でしょう?」


 薫はバムハルトの言葉に首をかしげた。


「二人は今、どこにいると思う?」


 目の前にいるに決まっていると告げようとして、二人がいないことに、薫はようやく気がついた。


「え、あれ?」


「二人は今頃、闘技場じゃ」


 どういうことか尋ねれば、薫がアヴァールと話している相田に、二人はお互いに一歩も譲らず、平行線を辿り、気がつけばどっちが薫に相応しいか、戦うことで決めるということになったらしい。


「そ、それは大変です……!」


 薫は血相を変えて、闘技場へ向かった。




 ◆




 汗が噴き出すのもかまわず全力疾走して、薫は闘技場にたどり着く。


 そこはすでに一触即発の雰囲気に包まれていた。


 普段、四天王や配下のモンスターたちが訓練に使用している闘技場の中央。


 クリムとマルナが対峙している。


「クリムさん……!」


 薫の声は集まってきていたモンスターたちの興奮した声によって遮られ、クリムに届かない。


 いや、それは違う。


 吸血鬼の最上位種であるクリムの聴覚ならば、薫の声を拾うことは可能だった。


 実際、普段のクリムならば、どれだけ騒々しかろうが、愛する薫の声を聞き逃すなどという失態は絶対に犯さない。


 だが、今は頭に血が上っていたから。


 ぽっと出のマルナに薫が奪われる。


 そう思ったら、まともな思考など残っていなかった。


 彼女は、燃えるような深紅の髪を持つ、幼く、愛らしい外見の持ち主。


 だが、その実力は本物だ。


 四天王であることは伊達ではない。


「行きますわよ……」


 鋭く伸ばした爪を刃にして、自らの手首を傷つける。


 あふれ出す血液。


 それらは数百体近くの、鮮血色のクリムになった。


「<深紅分身ブラッディ・ドッペル>」


 そして、血液によって生まれた鮮血のクリムたちとともに、クリムは魔法を発動する。


 闘技場の広い空間に魔法陣がいくつも浮かび上がり、幾重にも重なり、必殺の魔法を形作っていく。


 最初から全力だった。


 クリムの本気が伝わってくる。


「マルナさん……!」


 マルナの身を案じて、マルナを見れば――。


「あれは……」


 薫は息を呑んだ。


 マルナの銀色の髪が輝き始めているではないか。


 そして、クリスタルを指で弾いた時のような硬質の音が、マルナから聞こえ始める。


「マルナさんはいったい何を……」


 答えを期待したわけではなかった。


 だが、答えが返ってきた。


 すぐ隣から。


 バムハルトだ。


「<神滅の咆哮ラグナロク・ロア>……」


「知っているんですか!?」


神狼フェンリルと呼ばれるモンスターがこの世界にも存在しているのじゃが……彼の者が使う<神滅の咆哮>に近しい力を感じる」


「神狼……僕も聞いたことがあります」


 佐月との雑談の中で出てきたような気がする。


 かなり強い存在として。


「マルナはそんなすごい存在なんですか?」


「うむ……あ、いや、どうじゃろうか。詳しくはわからぬ。それに近しい感じはするのじゃが……」


 何にしても、とバムハルトは唸った。


「このまま衝突すれば、致命的なことになりそうな予感はするのう」


 それは、バムハルトに言われるまでもないことだった。


 どうするべきか?


 そんなのは決まっていた。


 薫はモンスターたちの間を驚くべき早さでくぐり抜け、防御塀を飛び越えると、闘技場に降り立った。


 そのまま二人に近づいてく。


「ちょ、おい! カオルの奴、何やってんだ!?」


「戻ってきてください、カオル殿!」


 やって来ていたアヴァールとブライテルが止めるが、薫は止まらない。


 二人の間に立った。


「やめてください! 二人が傷つくところを見たくありません!」


 先に応えたのはマルナだった。


「認めて欲しいなら力を見せろと言われた。クリムに」


 話の矛を向けられたクリムは、


「カオル様のお嫁さんになるには、相応の力が求められるのは当然のことですわ!」


「違います、クリムさん!」


「何が違うんですの!? もしかして力よりも愛らしさをお求めに!?」


「いえ、そういう話でもなくて……」


 薫はクリムをまっすぐ見た。


「僕の話を聞いてください、クリムさん! これは大事な話なんです!」


「だ、大事な話……!」


 薫に見つめられ、しかもこんなふうに言われたクリムは盛大に勘違いをした。


「まさか告白!? 告白ですの!? 私のカオル様への想いが届いたということですの!?」


 まったく違うのだが、すでに乙女モードとでも呼ぶべき感じになってしまったクリムの勘違いは、とどまるところを知らない。


「マルナは僕のお嫁さんではなく、家族なのです」


「ええ、ですから……………………え?」


 薫の口から自分に対する告白が出てこなかったことは寂しかったが、それよりもクリムは、自分が早とちりしてしまったことに、ようやく気がついた。


「わ、私ったら恥ずかしいですわ!!」


 顔を両手で覆って、クリムがその身をよじった。


「どうやらわかってもらえたようですね」


 よかったと、薫は胸をなで下ろした。


「あの、カオル様?」


 消え入りそうな声でクリムが聞いてきた。


「そういうことでしたら、その、まだお嫁さんは決めていないということで、よろしいですの?」


「ええ、そうですね。そもそも、なってくれる人がいませんから」


「では、私がなりますわ!」


 さっきまであまりの恥ずかしさに身をよじっていたのに。


 立ち直りが早いのはクリムの、ある意味、いいところだった。


「その気持ちはとてもうれしいですが、僕とクリムさんとでは年齢が離れすぎているというか……」


 つい先日、クリムの年齢が1000歳以上だったという衝撃の事実が判明したばかりだ。


「カオル様、年上はお嫌いですの?」


 悲しげにうつむくクリムに、薫は自分がとんでもなく悪いことをしているような気持ちになってくる。


「い、いえ! そんなことはありません!」


「でしたら、ぜひ!」


 ぐいぐい薫に迫るクリム。


「でも、その、そういうことはいろいろと順序があるといいますか……」


 いきなりお嫁さんとか言われても、35歳まで童貞を貫いてきたおっさんの薫にはハードルが高すぎて、混乱することしかできない。


「わかりましたわ」


「わかってくれましたか」


「はい! では、今度、どこかに一緒に出かけましょう!」


 マルナという存在が現れたことで、クリムにも焦りが生まれ、いつもなら引き下がるところで、逆に前に一歩踏み出した。


「………………え?」


「順序ですわ! やはり最初はデートから始めないといけませんわよね!」


「あ、はい。そう……ですね?」


 クリムの勢いに、思わず頷いてしまう薫だった。


「カオル様、約束ですの!」


 クリムがとびきりかわいい笑顔を浮かべたので、つられて笑っていたが、これが初めてのデートになるのかと思うと、日付も何も決まっていないのに、薫は今から緊張してきた。


 が、すぐにそんな場合ではないと、気を取り直す。


「えっと、その、マルナも、気をつけてくださいね」


「だらしない顔」


「え?」


「……別に何でもない」


「そうですか。それで気をつける方は」


「カオルと家族になるためには、ああしないと駄目なのかなって思ったから」


 マルナのその気持ちがうれしかった。


 だが、同時に、もし薫が止められず、二人が戦っていたら。


 そして、マルナが怪我をしていたかもしれないと思ったら、胸が痛くなってきた。


「!? カオル、どこか痛い!?」


「え、ああ、そうですね」


 薫は思ったことを素直にマルナに伝えた。


 それが間違いの元だった。


「それは駄目! そこは大事!」


「マルナ、いったい何を……!?」


 マルナが薫の服を脱がして、胸元を舐めようとしてきた。


「ちょ、何をしようとしているんですの!?」


 クリムが怒った。


 マルナは何も変なことではないという顔で、


「わたしの家では痛いところはこうする。家族なら当たり前のこと」


「獣人の習性ですのね――じゃありませんわ! カオル様は獣人じゃありませんの! ほら、離れなさいっ!」


「駄目! カオルが死んじゃう!」


 マルナの声は悲痛だった。


 さすがのクリムもただ事ではないと気づき、動きを止める。


「大丈夫ですよ、マルナ」


「……本当に?」


「ええ、本当です」


「嘘は駄目」


「嘘ではありません。本当に大丈夫です」


 マルナが獣耳をピンと立て、薫の顔をじっと見た。


 大きな瞳がのぞき込んでくる。


 小さな嘘も絶対に見逃さない、そんな必死さで。


 薫も目をそらさず、見つめ返した。


「……カオル、嘘をついてない」


「わかっていただけましたか?」


「わかった」


 こくりと頷くマルナ。


「心配してくれてありがとうございます、マルナ」


 マルナとクリムが衝突するかもしれない。


 そうなったら大変なことになる。


 そう心配していたのは薫だったはずなのに、いつの間にか、立場が逆転してしまっていた。


 だが、薫はマルナの気持ちがうれしかった。


 無意識に彼女の頭を撫でる。


 マルナはしあわせそうな顔で、目を細めた。




 ◆




 その日にあった異世界での出来事を、夕食の後片付けを終えた後、お茶を飲みながら、薫は佐月に報告していた。


「なるほどねぇ」


 佐月が見ているところに、薫も目を向ける。


 畳も新しい和室で、マルナと光那が遊んでいた。


 おままごとをしているのだ。


 家族は一緒に過ごすもの。


 マルナの主張には一定の説得力があり、そういうことならと日本に連れてきた。


 そこでマルナと家族になったことを光那にも紹介した。


 光那は言った。


 自分は将来、薫と結婚する。


 なら、マルナは自分たちの赤ちゃんである、と。


 そして、


「マルナちゃん、こっち!」


 と連れて行かれて、今もずっと遊んでいる。


 二人は、なんだかんだで楽しそうだ。


「話を戻すわよ、薫」


「はい」


「クリムが誤解するのも当たり前だと思うわよ。薫は圧倒的に言葉が足りない」


「返す言葉がありません……」


「で、本当のところはどうなのよ」


「というと?」


「家族といってもいろいろあるでしょ。嫁なのか。妹なのか。姉なのか。娘なのか。そこら辺はどう考えているのかって話よ」


「ああ、なるほど」


「あ、ちょっと待って」


 佐月がイタズラっぽい顔をして笑う。


 姉がこういう顔をする時は、大抵ろくでもないことを言い出すに決まっていた。


「薫、昔さ、犬を飼いたいって言ってたわよね?」


「え、あ、ああ、そうですね」


 だが、母親に却下されたのだ。


「あの子、狼の獣人だったわよね? 犬も狼も似たようなものだし……ペットとか?」


 やっぱりろくでもないことだった。


「姉さん、何を言っているんですか!?」


「でもさ、あの子、首とか細いじゃない? チョーカーとか似合いそうだと思うのよねぇ」


 想像してみた。


 確かによく似合いそうだ。


「今、まんざらでもないって思ったでしょ?」


「チョーカーが似合いそうだとは思いましたけど、ペットとかそんなふうには考えませんからね!」


「わかってるわよ。薫がそういう奴じゃないってことぐらい、ちゃんとね」


「ならいいですけど」


「ね、薫」


「今度は何ですか?」


「急いで答えを出す必要はないから、じっくり考えなさいね」


「…………はい」


 佐月の真面目な声に、薫も真面目に応えた。


 自分にとって、果たしてマルナは何になるのだろう。


 光那と楽しそうに遊んでいたマルナがこちらに気づいた。


「何?」


「楽しいですか?」


「うん、楽しい」


 何にしても、マルナには楽しく、幸せに過ごして欲しい。


 そう薫は思った。

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