第4話 魔王が怒り、国を滅ぼす

 まだぼんやりと薄暗い朝。


 そこそこ広い庭に一人たたずむおっさんがいた。


 薫だ。


 いつもの一張羅ダークグレーのスーツではなく、動きやすい、ラフな格好である。


 だからといって何をするわけでもなく、ただそこに立っているだけ。


 それが軽く一時間以上続いていた。


 これが薫が修めた、駕桜境水流の鍛錬だった。


 自然と一体化すること。


 そうすることで、何をすべきか、どうするべきかが自ずと見えてくるのだ。


「僕はまだまだですね」


 圧倒的に鍛錬が不足している。


 自分自身が何をすべきか、どうするべきか、まるで見えてこない。


 毎日欠かさず鍛錬は行っているのだが、それでもまだ足りないということなのだろう。


 やはり彼の師匠には遠く及ばないと実感する。


「ですが一つだけ、わかっていることがあります」


 確信をもって、薫が呟く。


「そろそろ朝ご飯の支度をしないといけません」


 薫は魔王代理であるとともに、主夫なのだ。


 大事な家族のために、おいしいご飯を作らなければ。




 ◆




 サラダ、オムレツ、ポタージュなどなど。


 テーブルの上に並ぶ料理は、どれも薫の手によるものだ。


 佐月と、その一人娘である光那みな4歳がおいしそうに食べていた。


 自分が作ったものを誰かが食べてくれる。


 それだけでもうれしいし、くすぐったくなるのに、それがこんなにおいしそうなのだ。


 薫の胸の奥がほっこりとあたたかくなるのは当然のことだった。


 ちなみに佐月の夫である文哉ふみやは、佐月の担当編集であり、仕事で家を留守にしていることが多い。


「相変わらず薫の料理はおいしいわね」


 佐月は美人なのに、男にも勝るとも劣らない豪快な食べっぷりを披露していた。


「そうですか。普通に作っただけなんですけど」


「普通?」


「ええ、普通です。みんなにおいしく食べてもらいたいと思いながら作る、ただそれだけですから。普通でしょう?」


「ね、かおるちゃん」


 たどたどしい口調で言ったのは光那だ。


「それって、あいじょーがいっぱいはいってるってこと?」


「そうだね。薫の愛情がいっぱい入ってるから、こんなにおいしいんだ」


「……そうやって言われると、すごく恥ずかしいのですが」


 本当に特別なことはしていないから、なおさらだ。


「照れないの。褒め言葉なんだから、素直に受け取っときなさい」


「はい、ありがとうございます」


 よし、と佐月が実に男前に笑い、薫の頭を撫でる。


 いい年したおっさんなのにと思うが、佐月にしてみれば薫は何歳になってもかわいい弟なのだ。


「あ、そうです。光那ちゃんにはデザートがありますからね」


「ほんと? やったー! かおるちゃん、だいすき!」


 大喜びしてくれた。


 さらにその後、大きくなったら薫のお嫁さんになってあげるというので、その時はお願いしますと言って光那の頭をやさしく撫でた。


「安請け合いして、知らないわよ?」


「大きくなったら子どもの頃に交わした約束なんて、忘れてしまいますよ」


 佐月の顔は絶対にそうはならないと語っていた。


 事実、光那は本気で薫のお嫁さんになる気でいた。


 のほほんと構えているのは、薫だけだった。




 ◆




 光那がデザートの、フルーツの盛り合わせにほっぺたを赤くして喜んでいるのを横目に、薫と佐月は食後のお茶をしながら、


「で、薫。大事な話があるんだったわよね?」


「はい」


 昨日、魔王城から戻ってきた薫は、佐月に相談したいことがあった。


 だが、佐月は仕事で忙しかったため、今日まで持ち越しになったのだ。


「締め切りの方はなんとかなりましたか?」


「もちろん」


「そうですか。それはよかったです」


「締め切りは破るためにあるものだからね!」


 まったくよくなかった。頭が痛い。


「姉さん、駄目じゃないですか」


「大丈夫だって。いざとなったらうちのダーリンがなんとかしてくれるから!」


「文哉さんでも何ともできないと思いますけど」


「いいから、ほら。話してみなさい」


 本当にやばかったらこんなことはしていないだろうと思い、薫は異世界で起こったことを詳しく話した。


「……なるほど、聖女ね」


 かつて聖女として異世界召喚された経験がある佐月が、忌々しげに呟く。


「要するに、またあのバカどもが聖女を召喚したわけね」


「はい。クリムさんたち四天王も、概ね同じ見解でした」


「まったくあいつらときたら。前回、あれだけ痛めつけたのにまだ足りなかったわけね」


 佐月の顔が大変なことになっていた。


 具体的にはとても怖い。


 さすが本物の魔王だ。


「薫、今、何か失礼なこと考えたでしょ?」


「……何も考えてないですよ?」


「そういうことにしといてあげるわ」


 佐月が、ふん、と鼻を鳴らした。


「それで、どうしますか? 姉さん」


「まずは聖女の方だけど、獣人だっけ?」


「はい」


 銀色の毛並みが美しい獣人だった。


 あれほど美しい存在を、薫は見たことがなかった。


「獣人となると、この世界とは別の世界から召喚されたって考えるのが妥当でしょうね」


「確かに」


「それにしても、薫、よくその子を倒せたわね? 聖女として召喚されたってことは、それだけでもかなりの力の持ち主なのよ?」


「バムハルトさんがほとんど倒したようなものですよ」


 薫はそう言うが、佐月はバムハルトが倒せたとは思っていない。


 元聖女の佐月だからわかる。


 聖女の力は次元が違うのだ。


 それなのに、薫は倒した。


 薫は特別な存在として異世界に召喚されたわけではない。


 なので、特別な力は何も備わっていないはずなのだ。


 それなのに薫は聖女を圧倒した。


「あたしよりも強いんじゃないの?」


「まさか。姉さんには叶いませんよ」


 薫の口ぶりは、本当にそう思っている感じだった。


「まあ、いいわ。で、その子の意識は戻ったの?」


「まだですね。意識を取り戻したら、すぐに連絡してくれる手はずになっていますから」


「そう。なら、そっちに関しては、その子が目覚めてからにしましょう」


 佐月の力があれば、元の世界に戻すことも可能だ。


「で、聖女を召喚した国だけど。二度とこんな馬鹿な真似ができないように」


「はい」


「消滅させるわ」


 数日後、佐月は宣言どおり、実行した。


 人間の国の一つが、世界から消滅した。

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