第3話 おっさん、襲撃者を撃退する

 薫は独身だ。


 これまでもずっと彼女などいたことがないし、おそらくこれから先もずっとそうだろう。


 少しだけ悲しくなったが決して泣いたりなどしない。いい年をしたおっさんだからだ。嘘ではない。絶対だ。


 それはさておき。


 そんな薫だったから、身の回りの世話はいつだって自分でやって来た。


 炊事や洗濯といった家事が、薫は嫌いじゃなかった。


 料理がおいしく作れると幸せな気持ちになれるし、掃除をして身の回りが綺麗になると気持ちが凜とする。


 だから姉の家だけでなく、魔王城の家事(?)にも積極的に関わろうとするのは、むしろ必然だったろう。


 だが、それには高いハードルが待っていた。


 それ専属のスタッフというか、モンスターがいたのだ。


 そしてモンスターたちが言うのである。


「魔王代理にそんなことさせるわけにはいかない!」


 と。


 なので、薫は強権を発動した。


「なら、魔王代理として命令します! 僕にも家事をやらせてください! お願いします!」


 強権の使い方が間違っている! とモンスターたちが衝撃を受けていたとかいないとか。


 そんな薫が、今、何をしているかといえば、サラリーマン時代から愛用してきた一張羅ダークグレーのスーツのジャケットを脱ぎ、その上にエプロンを着けた姿で、長い長い廊下を掃いていた。


「魔王城は素晴らしいですね! こんなに長い廊下、実に掃除のし甲斐があります!」


 喜ぶところが間違っていた。


 あれから――薫が正式に魔王代理になってから、一ヶ月あまりが経過していた。


 薫がうきうき気分で掃除していると、誰がやって来た。


 魔王配下の、四天王と呼ばれる者たちだ。


「おいおい、カオルは相変わらず魔王らしくねえな! もっと魔王らしい威厳ってもんを持ってくれよ」


 エプロン姿の薫を見て鼻を鳴らしたのは、ミノタウロスのアヴァールである。


 顔を合わせるたびに、いつも言われていた。


「それは申し訳ないです」


「すぐ謝るなよ! そういうところが……!」


「はいはい、そこまで」


 薫とアヴァールの間に割って入ってきたのは、首なし騎士デュラハンのブライテルだ。


「カオル殿はカオル殿ですからね。無理してそれらしく振る舞う必要はありませんよ」


 ブライテルは、暗に無理をする必要はないと言ってくれた。


 今のままの薫でいいと。


 薫は魔王代理――つまり、お飾りの魔王だ。


 その事実は否定できない。


 何より、そもそも自分が魔王などという器ではないことは、薫が一番、よくわかっていた。


「……まあ、そう言われりゃそのとおりなんだがよ。カオルはただの人間だしなぁ」


「ですね」


 と薫は応じたのだが、


「それはどうでしょう」


 ヴァンパイアのクリムが異議を唱えた。


 声は色っぽいし、気だるげな感じが醸し出す雰囲気も妖艶なのだが、見た目はまるっきり小学生である。


 ギャップがすごすぎる。


「ええと、それはどういうことでしょう?」


「簡単な話ですわ。カオル様は魅力あふれる、とても素敵な殿方ということですわ」


 クリムが妖艶に微笑む。


 そして薫に近づき、耳元に息を吹きかけた。


 ぞくぞくした。目覚めてはいけない何かが目覚めてしまいそうだった。


「カオル様、私はカオル様をお慕い申しておりますわ」


「そ、その! クリムさんの気持ちはとてもうれしいです!」


「本当ですの!?」


 クリムが笑顔の花を咲かせる。


 それはとても魅力的だったが、


「で、ですが、これは前も言いましたが、僕とクリムさんでは年齢が違いすぎると言いますか……!」


 35歳まで童貞を貫いたがゆえに、こういう時、おっさんの声は裏返ってしまうし、しどろもどろになってしまう。


 そもそも考えてみて欲しい。


 35歳のおっさんと小学生。


 二人が付き合うなんてことになったら、どう考えても犯罪ではないか。


「確かに年齢が違いするな。何せクリムは1000年以上生きているわけだし。確かそう言うのをなんて言ったっけか。……ああ、そうだ。ロリ婆だ」


 アヴァールが聞き捨てならないことを言った。


 クリムは1000年以上生きている、だと?


「っふふふふふふふ……。迷宮バカはどうやら死にたいようですわね?」


「お、やるか? いいぜ、やってやんよ!」


 クリムとアヴァールの間で火の粉が飛び始める。


 四天王のうちの二人が本気でやり合えば、とんでもないことになるのは火を見るより明らかだ。


 クリムの実年齢に衝撃を受けている場合ではない。


「二人とも、やめてください! 喧嘩はダメです!」


 だが、オロオロする薫をよそに、うふふ、あははと笑いながらクリムとアヴァールがボルテージを上げていく。


 そんな中、薫が何かに気づいた。


「あれ、何か聞こえませんか?」


「確かに入り口の方が騒がしいですね」


 ブライテルの言うとおりだった。


「何があったんでしょうか?」


 尋ねる薫に、答えられる者はこの場にいなかった。


「行った方がいいんじゃないですかね?」


 ということで、一色触発の状態だったクリムとアヴァールも一時休戦して、みんなで魔王城の入り口まで向かった。


 着くなり、何やら鉄くさい臭いが鼻をついた。


「これって……」


「血の臭いですわ」


 ヴァンパイアのクリムが言うなら、間違いないだろう。


 だが、普通の出血ではないはずだ。


 それならここまで強く漂うわけがない。


 どういうことだ?


 見れば、傷ついたモンスターの姿があった。


 コボルトだ。


 回復魔法を得意とする者によって、手当を受けていた。


 薫はコボルトの元に駆けつける。


「大丈夫ですか!」


 コボルトのそばに膝をついて、その体を心配する。


 傷ついたコボルトは薫に気がつき、まず自分のふがいない状況を謝罪した後に、何が起こったのか、いや、起こっているのかを報告した。


 コボルトによれば、東の森が攻撃を受けたらしい。


「すみません。よくわからないのですが、東の森というのは……?」


 薫の質問に答えたのはブライテルだ。


「自分たち魔族が暮らすこの国と、人間たちの暮らす国との境界線に位置する、要衝のことです」


 魔族たちと人間たちとは、長い間、争ってきた。


 といっても、人間たちが、自分勝手な理屈を振りかざして、一方的に魔族の国に侵攻してきているだけなのだが。


 魔族の国を自分たちのものにして、魔族たちモンスターを使い勝手のいい奴隷として使役するために。


 しかしその戦いも、薫を魔王代理に任命した現在の魔王である佐月が人間たちを圧倒して追い返したことで終止符が打たれ、平穏になった――はずだった。


 少なくとも魔王である佐月はそう言っていた。


 実際、薫が魔王代理となって異世界で過ごした時間は、実に平和なものだった。


 だが、今、東の森が襲撃を受けた。


「あそこには四天王の一角である、バムハルトの奴が守りを固めているんだ。何も慌てることはねえだろうよ」


 アヴァールの言葉に、ブライテルが同意を示す。


 バムハルトというのはアヴァールの言ったとおり、四天王の一角であり、エンシェントドラゴンと呼ばれる、この世界最強の種族の一つだった。


 それほどまでに強い者が守護しているのだ。何も問題ないだろう。


 薫がほっとしたその時、コボルトがアヴァールの言葉を否定した。


 今回の襲撃者は一人。


 だが、その一人が問題で、かなりの力の持ち主だという。


 だからこそ、コボルトは怪我している状態でも、魔王城までやって来たのだ。


「おいおい、嘘だろ!?」


 アヴァールが声を上げて驚いているが、クリムたちも同じだった。


 言葉を失っている。


「これは……どうやら作戦会議を行う必要があるみたいですね」


 ブライテルの一言で、場所を移し、クリムとアヴァールの四天王は作戦会議を始めた。


 この世界のことに詳しくない、お飾りの魔王に過ぎない薫にできることといえば、みんなのお茶とお茶菓子を用意することぐらいだった。


 東の森の守護している四天王の一角、バムハルトを苦戦させるほどの力の持ち主が、今の人間たちに本当に用意できるのか否か。


 正確な情報を把握することが先決なのではないか。


 もし情報が正しかったとしたら、こんなことをしている間にも、大変なことになるのではないか。


 何より早く兵力を投入すべきなのではないか。


 だが、それはどれくらいの規模で?


 全兵力を投入した後、それが囮だったと判明したら?


 非戦闘員しか残っていない魔王城を攻め落とされたら、大変なことになってしまう。


 議論は白熱した。


 だから、薫の姿がいなくなっていることに気づく者は、誰もいなかった。




 ◆




 魔王城から姿を消した薫がどこにいるかと言えば、襲撃されたと知らせてくれたコボルトとともに、グリフォンの背にまたがり、東の森に向かっていた。


 コボルトは回復魔法で傷を塞いだとはいえ、流れ出た血が戻ったわけではない。


 実際、毛の艶がすこぶる悪い。


 グリフォンにまたがりながらも、どこかふらふらしている。


 薫は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「わがままを言って申し訳ないです」


「そんな! カオル様が謝る必要はありません!」


 コボルトはそう言ってくれるが、無理を言っている自覚はあるのだ。


「見えました! あそこです!」


 グリフォンのおかげで、あっという間に東の森までやってくることができた。


 下ろしてもらったところで、グリフォンの様子がおかしいことに気づく。


 おびえている?


「カオル様、も、森が……!」


「森?」


 コボルトに言われて気づく。


 森が、あまりにも静かだった。


 生き物たちが息を殺して、気配を殺している。


 ただならぬ緊張感がはっきりと伝わってくる。


 ごくり、と唾を呑み込んだ時だった。


 すさまじい衝撃音が響き渡った。


 と同時に、森の木々をなぎ倒しながら、何かがものすごい勢いで吹き飛ばされてくる。


 それは薫たちの目の前で止まった。


 山のような巨体。


「バムハルト様……!」


 コボルトがその正体を叫んだ。


 この世界最強種の一つである、エンシェントドラゴンだった。


「ぐっ、お主……カオルか」


「大丈夫ですか!?」


「これが大丈夫に見えるなら、お主は目が悪い……いや、悪すぎじゃな」


 まさしく満身創痍といった体だった。


「他の四天王たちは?」


「僕だけです」


「……そうか。なら、我がもう少しふんばらんといかんようじゃの」


 バムハルトが薫の前に立つ。


「バムハルトさん、何を――」


「来たのじゃ」


 バムハルトがうめくように呟いた。


 震えている。


 四天王で、最強種の一つでもある、バムハルトがだ。


 いったいどんな相手だというのか。


 それは少女だった。


 ただの少女ではない。


 薫が息を呑むほどの、とてつもなく美しい少女である。


 何より特徴的だったのは耳と尻尾があること。


 少女は獣人だったのだ。


 一見したところ、恐れる要素はどこにも見つけられなかった。


 だが、バムハルトの体は確かに震えている。


 バムハルトが咆哮を上げ、動いた。


 その結果、薫は目を見張ることになる。


 なぜなら、獣人の少女がバムハルトを圧倒したからだ。


 少女によって大地に叩きつけられ、ねじ伏せられたバムハルト。


 目の前で見せつけられた光景が信じられない。


 少女は大地にねじ伏せられたバムハルトの首を踏みつけると、力を入れていく。


 強固な鱗が砕ける音がした。


「それ以上はいけない!」


 薫が叫び、少女が薫にようやく気づく。


「ぐっ、だ、だめじゃ、カオル! 早く……逃げるのじゃ!」


 バムハルトはそういうが、薫は聞く耳を持たなかった。


 エプロン姿の冴えないおっさんは、ネクタイを少しだけ緩めると言った。


「バムハルトさんは僕の大事な部下です。だから僕が代わりに、あなたの相手をいたします」




 ◆




 クリムはのどが渇き、お茶を飲もうして、カップが空であることに気がついた。


 薫を探すが、どこにも見当たらない。


「カオル様は?


「そういえばいねえな。あいつ掃除とか好きだから、魔王城のどこかを掃除してるんだろ」


 アヴァールの言葉に、しかしクリムは素直にうなずけなかった。


 果たして本当にそうだろうか?


 胸の奥がざわざわする。


 だが、それが何なのかわからなかった。


「そんなことより、だ。いつまでも話し合っていても仕方ねえ。とっとと行って、襲撃してきた奴をぶっ飛ばしちまおうぜ」


「……そうですね。いささか乱暴な気がしますが、まずは襲撃者を叩くという点ではアヴァールの意見に賛成します。クリムは?」


「アヴァールの意見に賛同するのは釈然としないですが……そうですわね」


「三人の意見が一致したということで」


 では、誰が行くか。


 アヴァールが名乗りを上げ、クリムも続いた。


「なら、自分は魔王城の守りを固めておきます」


 ブライテルを残して、アヴァールとクリムの二人が向かう。


 だが、すんなりと出発ということにはならなかった。


 慌てた様子のモンスターがいたので、すわここにまで襲撃が!? と思って話を聞けば、薫の姿が魔王城のどこにも見当たらないというではないか。


 さらに言えば、傷ついていたコボルトの姿も消えているらしい。


 二人が導き出した結論は一つだった。


「あの馬鹿! 東の森に行きやがったな!」


「みたいですわね!」


「何考えてやがるんだ! カオルに何かあったら、魔王様が悲しむじゃねえか! そんなこともあいつはわからねえのか!?」


 苛立ったアヴァールが魔王城の壁に八つ当たりをした。


「とにかく急ぎますわよ!」


「おう!」


 というわけで、クリムたちは大急ぎで東の森に向かった。


 そして、もう少しで着くというところで、すさまじい衝撃波に襲われた。


「何ですの!?」


「襲撃してきた奴が何か仕掛けやがったに違いねえ! 無事でいろよ、カオル!」


 なんだか言いながらも、アヴァールは薫のことが気に入っていたのだ。


 そうしてようやくたどり着いた時、そこは土煙が立ちこめていた。


「カオル……!!」


 叫ぶアヴァール。


 煙が晴れ、現れたのは、げほごほと咳き込んでいる薫だ。


「おいカオル、無事か!? どこも怪我してねえか!?」


「はい、僕は大丈夫です」


「本当だろうな!? 嘘ついてたら殺すぞ!?」


「わかりました。殺されるのは嫌ですからね。本当のことを言います」


 そこで言葉を句切る。


「本当に大丈夫です」


「そうか! ……って、べ、別に、お前のことを心の底から心配してたわけじゃねえからな!? 勘違いするなよな!」


 アヴァール、見事なツンデレである。


「で、襲撃してきた奴は?」


 答えたのはバムハルトだ。


「ほら、そこじゃ。伸びておるじゃろ」


 気を失っている獣人の少女を目線で示す。


「そうか、バムハルトがやったか! さすがだぜ!」


「いや、我は――」


 バムハルトが何か言いかけたが、薫はそれを遮った。


「はい、それはもう見事でした。ちぎっては投げ、ちぎっては投げの大活躍。あんなすごい活躍を見られて、僕は感動しましたよ」


「だろうな。俺も見たかったぜ!」


 アヴァールが興奮した。


「カオル様、アヴァールに告げたことは本当ですの? 本当にカオル様はどこも怪我してないですの?」


「ええ、本当ですよ」


「よかったですわ!」


 クリムに抱きしめられた。


 端から見たら、小学生に抱きつかれているおっさんであり、どう見ても犯罪だ。


「ちょ、クリムさん! だ、ダメですよ、こんなことをしたら……!」


「勝手にこんなところまでやって来て、私を心配させたカオル様が悪いのですわ!」


「それは……すみません。でも、バムハルトさんが無事かどうか心配で。いてもたってもいられなかったんです」


「カオル様のそういうやさしさは、カオル様の美徳の一つですが、私に心配をかけるのは駄目なところですわ。反省してくださいですの」


「はい、反省します」


「本当に心配したんですのよ?」


「ごめんなさい」


「許して欲しいですの?」


「はい、許して欲しいです」


「では、私の愛を受け取ってくださいですの」


「はい――って、い、いやいや、それは駄目です!」


「なら、今回は頬にキスで許してさしあげます」


「え?」


 驚いている間に、薫は頬にキスされた。


「次はカオル様がしてくださいましね」


 妖艶な笑みを残して、クリムはアヴァールの元に向かうため、薫のそばを離れていった。


 見た目が完全に小学生なのに、実年齢が1000歳以上だからか。


 完全に手玉にとられて、もてあそばれている感じがする。


 薫がどぎまぎする胸を押さえていると、バムハルトとコボルトが、何か言いたそうにしていることに気がついた。


「どうしました?」


「あの少女を倒したのはカオルじゃ。我ではない」


 バムハルトの言葉に、コボルトも頷く。


「何やら技を使っていたじゃろう」


 バムハルトは見ていたのだ。


 自分を圧倒した獣人の少女を、薫がたたき伏せる、その瞬間を。


 息を呑むほど素晴らしく、見事な流れだった。


 今もバムハルトの脳裏には、その瞬間が、しっかりと刻みつけられていた。


駕桜境水流がおうきょうすいりゅうですか? あれはちょっとした護身術ですよ」


「じゃが」


「もし、僕が倒したように見えたのなら」


 見えたも何も、実際に倒したではないかと、バムハルトは心の中で思った。


「それは、バムハルトさんがそれまで彼女の体力を奪ってくれていたからです。そこに僕の技がうまくはまったわけで」


「……力を隠したい理由があるのか?」


「おおっぴらにする理由が特に思いつかないので」


 それはつまり、暗に力があると認めているのと同じだった。


「わかったのじゃ」


 バムハルトが渋々といった感じだったが頷いてくれた。コボルトも同様だ。


 それを見届けて、薫は気持ちを切り替える。


 あの獣人の少女は自分に向かってくる時、こう言っていた。


「自分は聖女。魔王を倒しに来た」


 聖女という単語に、薫は嫌な思い出があった。


 魔王である佐月に聞かされていたからだ。


「なんだか面倒くさいことになりそうですね」


 薫は困った顔でため息をついた。

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