第2話 おっさん、魔王代理になる
押し入れの向こう側も気になったが、いきなり現れたゴブリンにはもっと驚いた。
薫が混乱していると、ゴブリンが言った。
「初めましてですよね?」
「あ、ああ、はい」
「自分、ゴブリンです。どうぞよろしく」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
咄嗟に頭をきっちり下げたのは、サラリーマン時代に培った経験によるものだ。
何せ、頭は未だに混乱中なのだ。
「それでは自分は魔王様に用がありますので」
「はぁ」
目の前を通り過ぎていくゴブリン。
その姿を見送ろうとして、気になる単語が聞こえてきたことに気づく。
「す、すみません!」
ゴブリンを呼び止めていた。
「あの、今、魔王様って言いましたか?」
「ええ」
魔王といえばあれだ。
勇者とかと戦ったり、世界の半分を分けてやろうと言ったりする奴だ。
今はやらないが薫も幼い頃はゲームもやったし、姉がラノベ作家ということでそういう知識もある。
この家に魔王がいる?
冗談だろう。そう思った。
だが、目の前にゴブリンがいるのは厳然たる事実だ。
ということは……まさか。
本当に?
その時だった。佐月が仕事場からのそりと現れた。
締め切りに追われているため、肌の艶が悪い。
それでも生来の美しさが損なわれていないあたり、すごいと薫は変なところで感心する。
あと、姉弟なのにあまり似ていないですよね、とも。
姉は美人でスタイルもよく、昔からよくモテた。
だが、浮いた話は一切聞いたことがなかった。
後で聞いた話だが、結婚するまで、誰ともつき合ったことがないということだった。
意外と純真なんですねと言ったら、それはもう、とてもいい笑顔で怒られた。
あの時の笑顔の怖さと言ったら、今でも思い出すだけで、体が震えてくるほどだ。
それこそ魔王が現れたみたいな感じだったと思う。
などと、昔のことを思い出して、懐かしがっている場合ではない。
「あの、姉さん――」
と、佐月に呼びかけようとした時、ゴブリンが佐月に向かって言った。
「魔王様!」
と。
今、このゴブリンは佐月のことを魔王と呼んだか?
聞き間違いなどではなく?
思う薫の前で、佐月がゴブリンと話し始める。
話している内容は頭に入ってこない。
だが、佐月は魔王様と呼ばれて返事をしているし、それを否定もしていない。
ならば本当に佐月が魔王なのだ。
確かにあの時の笑顔は魔王だと思ったが……いや、でも、本当に?
「姉さん、魔王なんですか?」
「うん、そうよ。あれ? なんでそんな両手両膝をついてがっくり項垂れてるのよ。あ、もしかして言ってなかったっけ? あはは、ごめんね~」
そんなあっけらかんと言われても。
◆
佐月曰く、佐月にはかつて聖女として異世界召喚された経験があった。
魔王が復活し、魔族の動きが活発になって、人間たちを苦しめている。
魔族は意味もなく人間を襲う。
そして人間の国を侵略しようとしている。
だから、聖女には先頭に立って、魔王を退治して欲しい。
それが佐月を召喚した国の言い分だった。
元々、佐月は正義感が強い。
だから、もしその話が本当だったら、許せるわけがなかった。
だが、実際は違った。
魔族は人間を襲ってなどいなかった。
むしろ人間たちが自らの欲望を満たすために、魔族の国を侵略しようとしていたのだ。
魔族が平和に暮らしている土地を手に入れるために。
魔族を自分たちの奴隷として、こき使うために。
異世界から聖女を――佐月を召喚してまで。
人間たちが魔族に叶わないから、聖女の力を求めたわけではない。
確かに魔族はひとりひとりが強力な力を持っている。
しかし、人間たちも力を合わせれば、魔族に対抗できるのだ。
だが、それをしなかった。
なぜか? 答えは簡単だ。
犠牲を出したくなかったからだ。
手っ取り早く異世界から戦力を召喚できるのなら、それでいいではないか。
何とも最悪な理屈である。
それを知った佐月は異世界に召喚されたことで得た聖女の力を使って、自らを召喚した国を叩き潰した。
特に、自分に対して色目を使ってきた国王や王子といった王族連中には、徹底的に痛い目を見てもらった。
それから魔族の国へと魔法で転移して、人間たちに利用されないようにするため、力を貸した。
そうしたら佐月は魔族たち、モンスターたちに慕われ、いつの間にか
同時に、自力で元の世界――つまり、日本に戻ってこられるだけの力を得ることもできた。
いや、正確には少しだけ違う。
行ったり来たりできるだけの力だ。
自分を引き留めるモンスターたちに別れは一時のものだからと日本に戻ってきた佐月は、その時のことを書き連ねてネットで公開。
自分を召喚した身勝手な王族たちに対する復讐の意味もあった。
叩き潰したが、それだけでは気が収まらなかったのだ。
その圧倒的なリアリティが話題となって、後に佐月の夫となった担当編集の大林
今をときめくラノベ作家の仲間入りを果たした。
「そういうことがあったんですね。でも姉さん」
リビングで、佐月が魔王になったその顛末を聞き終えた薫は、疑問に思っていたことを尋ねた。
「話を聞く限り、かなり長い間、異世界に行っていたみたいですけど……いつのことですか?」
それほどまで長い間、佐月と連絡が取れなくなっていた記憶が、薫にないのだ。
「向こうには一年以上いたんだけど、こっちに戻ってきたら、一時間も経ってなかったのよね」
「そうなんですか。つまり姉さんの本当の年齢は39歳ではなくよんじ――」
「薫、それ以上言ったら大変よ?」
佐月が満面の笑みを浮かべた。
「――――姉さんはとても美人で、僕の自慢です」
「あら、お世辞?」
「本心です」
「ふふ、ありがとう。よくできた弟で、あたしはうれしいわ」
にっこりと微笑む佐月に対して、薫はじんわりと冷や汗を流した。
どうやら危機は去ったようだ。
「まあ、そういうわけで、薫が見たあの押し入れの向こうは異世界で、魔王城に繋がっているわけ」
城に見えたのは、間違いではなかったようだ。
そしてゴブリンがやってきたのは、魔王である佐月に来てもらいたいことがあるからだという。
わざわざ呼びに来たということは、よほどのことが起こったに違いない。
それこそ勇者が現れたとか、そういう感じではないだろうか。
果たして何が起こったのかと、体を硬くして身構える薫に対して、ゴブリンが口にしたのは――。
「そ、それは本当ですか!?」
衝撃を受ける薫。
ゴブリンが口にしたのは、食堂の模様替えについて相談したいことがある――ということだったからだ。
◆
呆然とする薫に佐月が言うには、佐月を召喚した王国が大人しくなった今、魔族の国とことを起こそうとする国はなく、平和そのものらしい。
なので、魔王などと仰々しく言われても、名誉職みたいなものに等しく、
「時々、こういう話があるだけなのよ」
「はぁ……」
「何よ、その返事。ははーん。さてはあんた、ラノベっぽい展開を期待したのね?」
「期待というか。そういう感じなのかなとは思いました」
「まあ、確かに普通ならそう思うわよね。でも、残念でした」
「いえ、残念とは思いません。平和なのはいいことです。傷つく人が、誰もいないわけですから」
「……本心で言い切ってるから、この子、すごいのよねぇ」
「姉さん?」
「何でもないわ。でも、困ったわね」
「というと?」
「今回の締め切りはどうしても破れないのよ」
「……どの締め切りも破ってはいけないのでは?」
「何言ってるの? 破ってもいい締め切りもあるのよ?」
真面目な顔で言い切られて、なるほどそういうものですかと思ったが、いやいやそんなわけがないじゃないですかとすぐに思い直す。
困ったと頭を抱える佐月とゴブリンを見て、薫は声をかけた。
「あの、よかったら、僕が行きましょうか?」
「「え?」」
二人が薫を見た。
「相談というのは、食堂の模様替えについてなんですよね? それくらいなら、僕でも力になれると思うんですけど」
「いいの!?」
「ええ」
「やった! じゃあお願い! ……いいわよね?」
佐月がゴブリンに確認すると、ゴブリンは頷いた。
これをキッカケに、薫は忙しい佐月の代わりに、ちょくちょく異世界に赴くことになった。
異世界に赴く用事は、どれも他愛ないことばかりだった。
魔族やモンスターたちが文句を言うため、食堂で新しいメニューを開発したいから相談に乗って欲しいとか。
魔王城の周囲を取り囲む森が育ちすぎたから伐採しようと思うのだが、どの程度やればいいのかわからないとか。
宝物庫を片づけていたら大事な宝物を壊してしまったので、魔王である佐月に謝るので一緒にいて欲しいとか。
それがあまりにも続くようになったため、ある日、佐月がこんなことを言い出した。
「ね、薫。あんたにあたしの魔王としての全権を委ねたいと思うんだけど」
次々とやって来る締め切りに追われ、佐月はすっかり疲れ切った顔をしていた。
困っている佐月とゴブリンを放っておくことができず、自分にできることがあるなら力になりたい、そう思ったことが始まりだった。
それがまさか、魔王としての全権を委ねられるまでになることになるとは、思ってもいなかった。
それは、あまりにも重い責任。
自分はただの冴えないおっさんでしかない。
だが、しかし。
「わかりました。やります」
それで佐月の力になれるのなら。
「ありがとう、薫」
それから数日後、魔王城の謁見の間に各部族の代表が集められ、佐月の口から薫が魔王代理として就任することが宣言された。
薫は思った。
姉の、家族の助けになれるのなら、こんなにうれしいことはない。
だが、困ったことが一つだけあった。
主夫で、魔王代理になりましたと、かつての部下に告げて、信じてもらえるだろうか。
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