主夫で魔王代理なアラフォーおっさんは狼少女を甘やかしたいが、周囲はそれを許さない状況です?
日富美信吾
第1話 おっさん、主夫になる
名前から女性を連想されることが多いが、眼鏡で、ひょろひょろで、背が高いのに猫背のせいで小さく見える、くたびれて見える、冴えないおっさんだ。
彼女はいない。35年ずっと。つまり、童貞。
そして、ある地方の中小企業に勤める、ごくごく普通のサラリーマンである。
いや、サラリーマンだった。
◆
それは、ある月末の金曜日のことだった。
小太りな社長が現れ、就業時間までまだあるのに、仕事を止めるように言い出した。
夏場でなくともハンカチで噴き出る汗を拭っている社長は、その日も当たり前のようにハンカチでしきりに汗を拭っていた。
そういえばプレミアムフライデーなんてものがありましたねと薫は頭の片隅で思って、仕事を止めるように言ったのはそのせいでしょうかと考えた。
薫が勤める会社は小さくて、そんなものなど関係ないと思っていた。
数字的には景気がよくなっているらしいが、実感としてはまだまだ薄かったから。
だが、社長の口から飛び出したのは、そんな薫の想像とはかけ離れた言葉だった。
今日を限りに倒産する。
聞き間違いを疑ったが、同僚や部下たちが呆然としている姿を見れば、そうではないのだろう。
社長の話は続いた。
会社の資金繰りが、もうどうにもならないくらいまで悪化した。
今まで誤魔化し、誤魔化しやってきたが、もうどにもならなくなってしまった。
社長は話し終えると、そそくさと姿を消した。
薫は頭の中が真っ白になったが、すぐに再起動をかけた。
決して多くはない部下の再就職先を探すためだ。
取引先や得意先を駆けずり回って、頭を下げた。
「大塚さんには今まで世話になりましたからね」
「あんたにそんなふうにされたら、応えないわけにはいかねえよなぁ」
そう言って引き受けてくれた時には、自分のことのようにうれしくなった。
今までがんばってきてよかったと、本気でそう思った。
部下たちの中には自分で再就職先を何とか見つけてきた者もいたが、ほとんどが何も考えられず、手に着かず、どうすればいいか呆然としていたので、薫が再就職先を見つけてきたと告げれば、とても喜ばれた。
「ありがとうございます、先輩!」
「感謝してもしきれません!」
「この恩は一生忘れません!」
みんな眩しい笑顔を浮かべて、新しい職場に、眩しい未来に向かって歩き始めた。
だが、一人だけ、歩き出さなかった者がいた。
特に手のかかった部下だ。心根真っ直ぐな、薫と違っていかにもモテそうなイケメンである。
「先輩はどうするんですか? だって先輩、俺たちのために走り回って、自分のことが後回しじゃないですか!」
指摘されて、はじめて気がついた。言われてみれば確かにそうだ。すっかり忘れていた。
しかし、薫は最初から知っていたという表情を作る。
「何を言ってるんですか。ちゃんと考えています。僕なら大丈夫です」
「嘘です! わかるんですよ、先輩。先輩は嘘を吐いたら、眼鏡の位置を直すくせがあるんですから」
「え、本当ですか!?」
「嘘ですよ」
「え?」
「そんな癖があるというのは嘘です。でも、先輩が嘘を吐いていることは証明できました」
どうやら一杯食わされたようだ。
軽く睨むが「怖くないですよ!」と言われてしまった。
「とにかく、これで全然大丈夫じゃないことがわかりました! 俺、先輩の再就職先、探します! だって俺、先輩にすっごくお世話になって……!」
彼が薫との思い出を語る。
新卒で入社して、新人なのに、いや、新人だからこそ何でもできると意気がって、その結果、失敗して。
その失敗を、上司である薫がリカバーした。
「先輩は俺の恩人です!」
「大げさですよ。だって君は僕の大事な部下なんですから。当たり前のことじゃないですか」
「それを当たり前と言える先輩がすごいんです!」
そんなふうに言われると、どんな顔をすればいいのかわからなくなる。とても困る。
「ありがとうございます。でも、君の、その気持ちだけで充分ですから。僕はうれしいですから。だから君は新しい職場で働いてください」
「でも!」
「でもじゃありません。忘れていませんか? 来月、結婚するって言ってたじゃないですか」
彼は自分とは違って、妻帯者になるのだ。
そんな彼が無職というわけにはいかない。絶対に。
「わかってます! でも!」
「……わかりました。約束しましょう」
「約束、ですか?」
「ええ。僕はすぐに新しい職場を見つけます。そして君に連絡します。だから君は先に進んでいてください」
「本当ですね? 絶対ですよ! 男と男の約束ですからね!」
ということで、指切りまでさせられた。
大の大人が、いいとした大人が、指切りだ。
そのことに苦笑したくなったが、部下は真面目で、本気だった。
そうしてすべての部下の新しい門出を見送り、そうしてようやく自分のことを考えた。
35年生きてきて、特に何か秀でたものがあるわけではない。
今までの仕事も、ただ与えられたものをこなしてきただけ。
だから、誇れるようなキャリアは、何もない。
再び働ける場所を見つけることができるだろうか。
弱気の虫が鎌首をもたげる。
だが、薫はそれを追いやった。
大事な部下と、いや、部下だった彼と約束したのだ。
ならば、約束は果たさなければならないだろう。
「針千本、飲むのは嫌ですしね」
だが、そう簡単にはいかなかった。
部下の再就職先として駆けずり回った取引先や得意先は、すでに人手が足りている。
元々、薫が勤めていた会社自体、大きくないし、その取引先や得意先となれば、推して知るべしだ。
部下だって、半ば無理を言って、引き取ってもらったのだ。
ならばと、ハローワークに通うものの、芳しい結果は得られなかった。
無力感と徒労感が、薫の中に降り積もっていった。
だが、絶対に諦めてはいけない。
約束を破るわけにはいかないのだ。
そう思っても、やっぱりどうにもならない日々が過ぎていく、そんな時だった。
たった一人の家族――姉の
姉と薫で名字が違うのは、佐月が結婚しているからだ。
ちなみに子どもは娘が一人。
『最近、どう?』
「え、あ、ああ、大丈夫ですよ。とても元気でやっています」
『そうなの?』
「ええ」
『ね、薫。あんた、いつからあたしに嘘を吐くようになったの?』
「う、嘘って何のことですか?」
『とぼけても無駄。あたしが何年あんたの姉をやってると思ってるの』
「……僕には嘘を吐く才能がないみたいですね」
『その代わり、バカ正直っていう素晴らしい才能があるわよ』
「それはいいことなのでしょうか……?」
『もちろん!』
言い切られて、薫は笑った。
それから、自分がしばらく笑っていなかったことに気がついた。
それほどまで追い詰められていたのだ。
いつの間にか肩に入っていた力を抜く。
『さあ、ほら。さっさと隠していることを白状しなさい!』
姉の元気な声に背中を押され、薫は自分の身に起こったことをすべて話した。
すべてを聞き終えた姉は言った。
『なるほど。そういうこと。なら、話は簡単ね。あたしのところに転がり込めばいいのよ』
「…………は?」
聞き間違えかと思って聞き返したが、そうではなかった。
「本気ですか?」
『大丈夫よ。薫ひとり増えたって、うちは余裕だから』
佐月は今をときめく売れっ子ラノベ作家であることを、薫は知っている。
出版した作品がアニメ化しこともあるし、都心に近い新築一戸建てをキャッシュで買って、それでもまだ貯金が腐るほどあるというのだから。
なので、佐月の言葉が嘘や冗談ではないことは理解できた。
『薫、返事は? 【はい】か【YES】で応えなさい!』
実に姉らしい言葉だ。薫はまた笑った。
「はい。よろしくお願いします。お世話になります」
『よろしい』
というわけで、薫は姉のところで世話になることになった。
ただ、世話になりっぱなしになるのも心苦しいということで、ラノベ作家として忙しい姉に代わって、主夫業を行うことを提案した。
佐月は家族なんだからそんなの必要ないと言ったが、そこは薫が譲らなかった。
「姉さん。親しき仲にも礼儀あり、ですよ。だから僕に家事をさせてくださいお願いします!」
「そういえばあんた、家事とか好きだったわね」
図星を指されて、頬が熱くなる。
だが、薫の熱意(?)に押され、佐月は薫が家事を行うことを許してくれた。
さっそく喜び勇んで家事をする薫。
そして、その押し入れを見つけた。
物置だろう。適当に荷物が詰め込まれているのなら、整理した方がいいかもしれない。
そんなふうに考えて押し入れを開けようとした時、押し入れが勝手に開いた。
違う。
薫ではない誰かが開けたのだ。
押し入れの向こうは、石作りの建物のようだった。
何やら城のようにも見える。
「え、え?」
薫は驚いた。
だが、本当に驚くべきは、そこではないことにすぐに気がつく。
驚愕に値するのは、押し入れを開けた人物である。
そこにいたのは緑色の肌、尖った耳、乱杭歯の小人。
ゴブリン。
ファンタジー世界に生きる住人である。
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