第26話 絶望おじさん
月明かりの下、暗い森を歩く。
生い茂る背の低い草木が足に絡まりついて、一歩ごとに疲労が溜まっていく。
「……なァ、ファビ。まだ起きないか」
返事はない。
でも、生きている。生きているはずだ。
俺に鍛冶の知識はないが、【ソードクラフト:刀剣鍛造】のクラフトレベルは最大まで高めてある。
だから、大丈夫。大丈夫なんだ。
「落ち着けよ、俺。城にさえ戻れれば、設備さえ使えれば、ファビは治せるんだ……!」
自分に言い聞かせる。
独り言を言っているあいだは、正気なんだっけか。
俺が正気なら、どうしてこうなったんだ?
正気なわけない。
……だって、ぜんぶ俺のせいだ。
俺が、話し合いなんて望んだから。
一度、勝っていた相手だから油断していた?
相手も大人だし、話が分かると思い込んでいた?
そんな言い訳は、いくらでもできる。
でも、戦ったのも、勝ったのもファビだ。
忠告してくれていたのも、ファビだ。
俺はただ、ファビの強さに甘えて、ファビを傷つけただけだ。
「……くそ」
つい考え込んでしまう頭を振って、思考を振り落とす。
とにかく足を動かさなきゃ。重たい足を、森の奥へと向ける。
『大鍛冶城』は巨大だし、川沿いにある。
現在時点を正確に把握できるわけではないが、おおよその方角に向かえば、見えてくるはずだ。
とにかく、歩く。歩いて、歩く。それだけだ。
……もう、独り言も出てこなかった。
歩き始めて、一時間か二時間か。
森の中に、ぽつぽつと赤い色が見える。
松明の炎だと気づくのに、しばらくかかった。
俺以外のひとの声も、聞こえる。
「おい、足跡だ! 兵士のものではないぞ」
「土への沈み込みが深い。重い全身鎧だな。……例の男だろう。隊列を崩すな! もうしばらくで、見つかるはずだ! 総員、横一列でこのまま進め!」
大きな声で指示を出して、松明の炎が近づいてくる。
どうやら、ファオネムが山狩りを――この場合は森狩りか?――とにかく、俺を探すために、大々的に兵士を動員し始めたらしい。
もう、節約とか言っている場合ではない。
『最高級回復ポーション』を交換して飲み乾し、歯を食いしばって必死に足を動かす。
兵隊たちは、列を揃えて迫ってきている。単独で動く俺と比べれば、大した速度は出ないはずだ。
……重たいファビを脱げば、走れるかもしれない。
一瞬そう考えてしまった自分がイヤになる。
ファビを置いていく? あり得ない。
このまま、少しでもペースを上げて、歩き続けるんだ。
『大鍛冶城』までつけば、すぐにファビを治して、それで、それで――。
それで、どうなる?
またファビに戦わせて、またファビを傷つけるのか?
テシウスくんは『次元刀』を持っていて、ファビを戦闘不能に追い込めるんだぞ。
ポーションで回復しきったはずの脚が、途端に重たくなってきた。
森の草木が絡みついたのか。いや、絡みついたのは、俺の弱さかもしれない。
考えるな。足を動かせ。
――兵士たちの声が、聞こえる。
「おい。先遣隊はどうだ」
「は! 森歩きに慣れた兵士を、何名か選びました。朝までには、例の城に辿り着くかと」
「そうか。隊のモンスター被害は?」
「十六人が怪我を。死傷者はいません。コカトリスに石化させられた者もおりますので、街へ移送済みです」
「コカトリスはどうした」
「小隊で袋叩きに。鱗主がいなければ、ティリクの森も恐れるに足らずですな」
……待て。
なんて言った? 先遣隊がいるのか? 『大鍛冶城』に向かったやつらが。
考えてみれば、当たり前の話だ。
異世界人である俺が、急いで逃げ込むとすれば、自ら生み出した『大鍛冶城』しかない。
追い込む先にも兵士を置いておくのは、当たり前の話だ。
さっきから大きな声で話しているのも、作戦なのかもしれない。
俺のやる気を削ぎたいのだろう。生け捕りにするために。
足が、重い。一歩ごとに、重くなっていく。
――捕まっちゃったほうが、楽だろ。
良くない囁きが、脳裏をよぎる。
でも、足を止めて諦めてしまえば、ファビのがんばりも無駄になる。
――捕まったって、死ぬわけじゃないんだ。
だから、足を止めるわけにはいかない。
ここまできたら、もう意地の問題だ。
――意地張るなよ。地球でも、夢も目標もなく、ただ生きるために目の前の仕事を処理するだけの、奴隷みたいなもんだったろ。
黙れ。黙れ。
そう念じて、足を踏み出そうとして……。
気づく。もう、俺は立ち止まってしまっていた。
一歩も動かずに、ただ足元を見つめて……悪い想像に、呑み込まれていたらしい。
ゆっくり振り向くと、松明を持った兵士が、油断なく剣を構えて俺を見ている。
「……こんな時間まで、大変だねェ。領主の兵隊さんってのは」
兵士は俺の軽口に応じることなく、ぴゅい、と口笛を吹いた。
集合の合図だろうか。もうなんでもいい。手遅れだ。
「おい。貴様がケンゾーだな? ひとりか? 仲間はいないな?」
「……ああ、ひとりだよ。俺はもう、ひとりぼっちさ」
「そうか。両手を上げて膝を付け。捕縛させてもらう。妙な動きをするなよ……」
兵士が俺の方に足を踏み出す。
ここまでか。ファオネムは、ファビを治す時間や素材をくれるだろうか。ダメだろうな。
土に膝を付き、両手を上げる。
兵士と俺のあいだには、三メートルの距離もない。
もう終わりだ。俺の冒険は終わり。
夢も目標も叶えることなく――。
……その、三メートルの隙間を。
まばゆく輝く炎の塊が、ごうッ! と音を立てて通り抜けた。
驚いた兵士がたたらを踏んで、慌てて武器を構えなおす。
「『
「そのおじさんの、仲間なのです。間に合ってよかったのです」
木陰から、大きな三角帽子の少女が、身の丈ほどの杖を構えて歩み出てきた。
利発そうな顔に、とても優しい微笑みを浮かべていて。
いい年したおじさんなのに、泣きそうになってしまった。
「――ケンゾーさんは、ひとりではないのです。まだ、ボクがいるのですよ」
ラティーシャちゃんが……冒険者ラティーシャ・ネオンプライムが、そこにいた。
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