第25話 ファオネム・グランバルの幸運
ワシの――ファオネム・グランバルの人生は、不運の連続であった。
まず、そもそもの生まれが悪い。
辺境領地の貧乏貴族に生まれた時点で、すでに最悪だ。しかも、祖父も父も流行り病に倒れて、ワシが若い頃に死んでしまい、家督を継がねばならなくなった。
……口さがない者どもは、貴族に生まれただけで幸運だなんだとのたまうが、ワシに言わせればまるで違う。
一日中、ぼうっと畑を耕すだけで済む農家とは違うのだ。
貴族はとにかく忙しい――貴族たらんとするために、忙しい。
威厳を保ち、他者に舐められない姿で居続けるため、多大な労力を必要とするのだ。
王都で新たなデザインの服が流行れば、職人を呼びつけて作らねばならないし。
住まう屋敷は常に清潔で、庭は領内でいちばん美しく整備されていなければならない。
貴族とは、そういう仕事なのだ。
……つまるところ、金がかかる。ものすごく。
しかし、我がグランバル領で祖父の代に始まったティリクの森の開拓事業はまったくうまくいかなかった。
農業でギリギリ保っていた経営状況は、ワシの代に入ってから急速に悪化してしまったし。
ワシは家督を継いだ直後、低い納税額を上げるため、そして、やる気のない領民どもに喝を入れるために税率を上げたのだが……ワシの気持ちを無下にして、多くの領民どもが領から去っていってしまった。
つまり、経営の悪化は真面目な領民どもに恵まれなかったことが原因なのだ。
税金には頼れない。ワシは仕方なく、親交のある貴族たちに援助を頼んだが、期限付きの借金しかできず……赤字は年々かさみ続けた。
縁あって遠方の貴族から娶った妻は口うるさく、ワシが貴族であり続けるための必要経費を「血税の浪費だ、無駄だ」と言い張るような、貴族のなんたるかも知らない芋女で、結局五年ほどで離婚してグランバル領から去っていった。
ワシの一体なにが悪いというのか。
ワシの代で経営が悪化し、下賤な領民どもは逃げ出し、気前よく金を渡してくれる友もおらず、理解のある家族すらも得られなかった。
これを不運と言わずして、なんと言うべきか!?
……だが、それも今日まで。
これまで不運だったぶん、反動でいいことが起こるのは自明の理。
先だって、ティリクの森に巣食う巨大なアースドラゴン、開拓における最難関であった鱗主が死んだ。
それも、ティリクの森に降り立った、異世界の人間とやらに殺されたのだ。
その異世界人は、この世の法則とは異なる仕組みと技術で形作られる、超越武器を生み出せるのだという。
弱者であっても、装備すれば鱗主をたやすく切り裂く性能を持つ武器を、大量に――その情報を聞いたとき、ワシは気づいた。
これは、贈り物だ。ティリクの森の『恵み』だ。
不運なワシを救うために、女神が遣いを寄越したのだ。
世の中、バランスが取れるようにできている。
●
しかし、女神の慈悲すら届かぬほどに、ワシの不運は大きいのだ。
「……逃がしたのか!? 城壁の門は閉ざしていただろう!」
疲れた顔で屋敷に戻ってきたテシウスは、ケンゾーを取り逃がしたという。
屋敷までやってきた相手を、街から取り逃がすとは……この男も無能だ。
やはり、私は周りの人間に恵まれないらしい。
テシウスは言い訳がましく口を開いた。
「常人の理屈が通用する相手ではないのだ。あの程度の城壁、ヤツの鎧にとってはなんの障害にもなら――」
言葉の途中で、テシウスが絨毯に膝を付いて口を押さえ、「ぐう……!」と唸る。
「どうした。どこか、斬られたのか?」
「……呪いの指輪の反動だ。気にするな」
指輪の数と同じだけの呪いが、臓腑を這い回っているらしい。おぞましいな。
それもあって、追跡を打ち切らざるを得なかったのだろう。
まったく、最近の若いのは、どいつもこいつも根性がなくて困ったものだ。
「吐いて絨毯を汚すんじゃないぞ。王都から取り寄せた一級品だからな。……で、どうする気だ。ケンゾーをみすみす逃がしてしまったのだぞ」
「げほ。……問題ない。言葉を発する鎧の方は、なんとか黙らせた。森に兵を入れ、人海戦術で探させろ。鱗主のいない今、ヤツの造った城までならば、貴様らの雑兵でも問題なく探索できるはずだ」
控えていた執事に、テシウスの言う通り兵を出すよう指示しておく。
その間に、テシウスはゆっくりと起き上がり、深く息を吐いた。
「……ファオネム。これで、私の仕事は終わりだ。
「おいおい、テシウス。捕らえるまでが仕事だ。勝手に終わらせるな」
「眠り毒でも、衰弱しすぎれば死毒になる。これ以上は時間が惜しい、先に渡せ」
「安心しろ。奴隷どもは死んでおらん。捕らえてから、だ。間違えるなよ、テシウス。命令するのは、常に私の方なのだ」
テシウスは苦虫を嚙み潰したような顔で、しかし何も言い返さず、乱暴に扉を開けて出て行った。
……ふん。気取っていても、所詮は冒険者だな。所作が醜くて困りものだ。
解毒薬というエサがなければ、すぐさま私に噛みついてくるだろう。野良犬だ、野良犬。
……まあ、ほんとうは、解毒薬などどこにもないのだが。
ワシが悪辣なうそを吐いたわけではない。眠り毒を注文したとき、解毒薬は別料金だと抜かした薬師が悪いのだ。しかも、こういう薬師は、得てして解毒薬のほうを高く売ろうとする。金がもったいないと思うのは、当然だろう。
よって、奴隷どもが死んでしまっても、私のせいではない。薬師のせいだ。
解毒薬がないとわかれば、テシウスはワシを殺しにかかってくるだろうが……珍しく幸運なことに、あの数の呪いに体を蝕まれてくれている。
テシウスも、そう長くはないだろう。
ああ、やはりワシは――運がいい。
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