第15話 テシウス・アドレウスの失態
私が目を覚ましたとき、そこはもう奇天烈な城ではなく、ティリクの森の帰路だった。
しばらくして、体が揺られていることに気づく。
担がれ、運ばれているのだ。
戦士職の
……状況を、おおむね思い出してきた。
最後に見たのは、閃光のごとき速度で煌めく、虹色の刃。
我が名剣『鷹穿ち』が、熱したナイフでバターを切るがごとく、たやすくみじん切りにされ、その速度に反応すらできず――。
「……負けたのか、私は」
「起きたか、テシウス。ああ、見事な負けっぷりだったよ」
「ならば、なぜ生きている?」
「鎧男――ケンゾーの旦那が、見逃してくれたのさ。その代わり、グランバル領ギルドの支部長に手紙を届ける約束だ」
まだかすむ視界で、周囲を把握。
すぐそばに、澄ました顔の僧侶職が歩いている。
狩人職は、おそらく数十メートル先で斥候中だろう。
安全は、確保されている。
「そうか。……ならば、届けねばならんな」
「勝者の命令には従う、か。そのモットーだけは剣士らしいのに、なんでそれ以外がクズなんだ、お前は」
「悪い男のほうが、魅力的に見えるものだろう?」
「うるせえボケ。……もうちょい寝とけ。もうすぐ森を抜ける」
その言葉に甘えて、私はもう一度、目を閉じた。
……
ギルドの横やりを無視してラティーシャ・ネオンプライムを妻に迎えるため、ティリクの森に出現した城の調査クエストを受け、ファオネムの利権を確保できるよう取り計らう予定だったのだが……。
計画が、大幅に狂ってしまった。
やれやれ。ファオネムに、なんと説明したものか。
あの脂ぎった中年は、きっと激怒するだろう。
●
ところが、翌日に会ったファオネムは、まったく怒っていなかった。
茹で卵みたいな禿頭に、脂ぎった微笑みを張り付けている。
不気味だ。
「戻ったか、テシウスよ」
「ああ。……済まない、依頼は失敗だ」
「いや、いいのだ。お前が無事に帰ったのだからな。座りたまえ」
欠片も思っていなさそうな言葉すら、発する始末。
不気味さ通り越して恐怖を感じながらも、言われた通り、ソファに座る。
城壁に囲まれたグランバル領首都中央の、小高い丘の上に建てられたファオネムの屋敷。パーティー全員で向かったのだが、応接室には、私一人だけが通された。
「……で? 叱責するつもりでないなら、私を呼び出した理由は、なんだ?」
「教えてほしいのだ。ケンゾーという男についてな」
「ラティーシャから、ギルド支部長宛ての報告があったはずだが。領主殿には話が通っていないのか?」
「ああ、報告書は読ませてもらったとも。破格の能力を持つ存在だが、いたって温厚で危険はないと。……だが、お前の目から見て、どうだったかを聞きたいのだ。手紙の内容が真実かどうか、お前の報告からも確かめたい」
裏がある――と、そう直感する。
この男は、ラティーシャの手紙から、自分に利する情報を見つけたのだ。
……ケンゾーと協同すれば、ティリクの森を開拓できると踏んで、機嫌がいいのか? そんな素直な男だとは思えないが……。
「……気配と言動からして、素人だ。商人でも武人でもない」
「だが、負けたのだろう? 珍妙な……信じがたいほど高性能な武具を持つと、書いてあったが」
「油断していたのだ。……失態ゆえの、敗北だ。
「剣はどうだ? すごい剣を、持っていたのだろう?」
私はうなずき、持参した袋から金属片を取り出して、机の上に並べる。
「我が剣、『鷹穿ち』の残骸だ。ちぎれたり、折れたりしたわけではない。完全に切断されているのだ。精霊銀で鍛えられた名剣だが、アレはそれ以上だな」
「……精霊銀の武器は、魔術的な加護によって、折れず、曲がらず、切れ味を保ち続けると聞いていたが……これが、報告書に記されていた『次元刀』なる武器によるものなのだな?」
「剣の名は知らん。だが、切断時に武技発動時の
「ならば、手紙の内容は事実なのだな。振るだけで次元系魔術と同等の効果を生み出す『次元刀』――ケンゾー・イザヨイは、そんなものを生み出すことができる、と」
ファオネムは、にやりと笑った。
「なあ、テシウスよ。その、ケンゾーという男。突如、この世界に現れた、異なる世界からの来客なのだそうだ」
「……なに?」
「未知の技術を用いて、金級冒険者すらたやすく倒せる武器や、モンスターを寄せ付けぬ巨大な城を、簡単に生み出せる存在なのだと。ラティーシャ・ネオンプライムからの報告書によればな」
「……にわかには信じられんな。異世界からの迷い人の話は、聞いたことがあるが……地方の、おとぎ話の類だろう」
「ワシもそう思っていた。だが……ケンゾー・イザヨイは、現実として、ティリクの森に存在する。お前は、その眼で見たのだろう?」
……たしかに、この眼で見た。
不気味な城も、腑抜けた雰囲気の鎧男も――事実、いたのだ。
内心でびっくりする私に、ファオネムは言葉を続ける。
「ケンゾー・イザヨイ。ヤツはこの世界の者ではない。冒険者でもなく、教会に属する聖職者でもなく、どこの戸籍も持っていない。生まれたての赤ん坊よりもまっさらな超越者だ。ワシは運がいいと思わんか? ン?」
「運がいい? では、ケンゾーと協同開拓を進めるつもりか。あの城は不気味だが、たしかに開拓拠点としては申し分ないだろうな。鱗主も討伐可能な戦力だ。順当に行けば、領主殿の借金も返せるに違いなかろう」
ファオネムは首を横に振った。
「違う、違うぞ、テシウスよ。報告書には『冒険者として登録させ、ティリクの森開拓クエストを依頼すべき』などと書いてあったが、ばかばかしい。いいか? そもそも、ケンゾー・イザヨイはワシの所有物なのだよ」
「……は?」
なにを言っているんだ、この中年は。意味が分からん。
まっさらと言っておきながら、ワシの所有物?
正反対のことを言い出したぞ。
「わからんか? ケンゾーはティリクの森から生まれた資源なのだから、開拓権を持つワシのモノだと、そういうことだ。無償でワシに従うべき存在だ。ギルドに登録などさせん。奴隷契約を結び、ワシの元で武器を作らせるのだ」
「……超越者の武器を売りさばいて、借金を返すのか」
「お前、案外つまらん男だな。超越者の武器が十もあれば、そもそも借金など返す必要がなくなるだろう」
……私もたいがい悪い男だと自覚しているが、ファオネムは数段上にいるらしい。
悪い、というか。クズだな、こいつは。
返す当てもなく金を借りた挙句、武力をちらつかせて踏み倒す気か。
だが。
「ファオネム。ひとつ見落としているようだが、所有権など主張しても、ケンゾーが従わなければ意味はないだろう。まだ妄想話を続ける気か? それなら、私は
「まあ待て、テシウス。ケンゾーを捕えるため、力を貸して欲しいのだ。油断せず、バフを用意すれば、勝てる相手なのだろう? 倒す手段を模索しろ」
「……私に、ギルドを裏切れと?」
「私と密約を交わした身だぞ、お前は。すでに裏切っているんだよ。お前に拒否権はないのだ」
「私を脅しているのか、それは。辺境領地の、貧乏領主風情が……?」
殺気をにじませると、ファオネムは脂汗の浮いた顔で笑った。
「ワシも崖っぷちでな。なりふり構っていられんのだ。……ところで、お前の大切な奴隷どもは、いま別室で歓待させてもらっているが」
「手を出したら、殺す。貴様ごとき、素手で縊り殺せるのだぞ」
「愚かだな、テシウスよ。権力者がこういう話を始めたならば、すでに手を出し終わっていると考えたまえ」
言われた瞬間、私はファオネムにとびかかり、その首に手をかけ――。
「毒だよ。テシウス、眠り毒だ」
――しかし、絞め殺すことは、できなかった。
「眠り続けて、いずれ死ぬ。専用の解毒薬でなければ、解除できん」
「……解毒薬は、どこだ」
「知りたいか? ならば……すべきことが、あるだろう?」
私は、数秒間、その姿勢のまま固まって。
ややあってから、手を離した。
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