第2話 王立図書館
グラーツはある日、図書館に訪れていた。昨年、都でも権勢を誇る商人の寄付もあったと言う新たな図書館は、以前にもまして広く利用する者も賑わっていた。
カウンター前に行列が並んでいる。ほとんどが男だ。その先には、この間の氷姫がいた。余計な話ばかりする男をすげなくあしらっているが、仕事は滞りがちな様であった。どちらの苦労にも同情しつつ、グラーツは本を探し始めた。
「あの、起きて下さい。ここで居眠りは困ります」
固い事務的な声に、グラーツは目を覚ました。資料を見ながら気がつけばうたた寝していたらしい。傍には、リアリナの薄青の瞳が冷たく見下ろしていた。
「よう、お嬢ちゃん。また会ったな」
リアリナはハッとするが、すぐまた先ほどの冷徹な無表情に戻る。
「他の利用者様への迷惑になります。寝るのでしたら図書館から出て行って下さい」
「足の具合はどうだ?」
「大丈夫ですので、ご心配なく。この間はありがとうございました」
だが、見ればまだ引きずる感じのようだ。
「で、今日はどのような御用件でお越しですか?」
いびきをかく利用者は利用者ではないらしい。なるほど、これは氷だ。グラーツはメモと特別書籍の閲覧許可証を見せる。一般開放していない書庫の資料もこれがあると閲覧できる。
「軍の仕事で探し物をしていてな。どこにあるのか皆目わからん」
メモに目を通したリアリナの目がキラッと光る。
「この資料ですね…わかりました、書庫へご案内します」
一般開放されてるエリアを通り抜け、さらに奥の書庫へと進む。長い回廊を抜けた奥の部屋、リアリナは腰から下げた扉の鍵を開ける。古びた書物の匂い。メモを見ながら、リアリナはぶつぶつと呟きながら本棚を巡る。次々と取り出した資料を閲覧室のテーブルの上に並べていく。
「あともう少し持って参ります。こちらでお待ち下さい」
部屋から出て、しばらくするとまた本を持ってやってきた。
「こちらで全部です。閲覧が終わったら、お声がけください」
と、部屋の隅の椅子に腰掛けた。
「…お嬢ちゃんは?」
「特別閲覧室は貴重な資料のため、司書の立ち会い付きでないとダメなんです。待ってますので、ごゆっくり閲覧して下さい」
リアリナは無表情で淡々とした決まりごとを言っている。
「そうすると、いつ終わるかもわからんからなぁ…」
グラーツは頭を掻いた。
「なぁ、俺は見ての通りの軍人で、本を読むのは苦手なんだ。申し訳ないが、あんたもちょっと調べ物を手伝ってくれると助かるんだが」
また少し『氷姫』の瞳が輝いた気がした。立ち上がって、グラーツのそばまでくる。
「何を調べているんですか?」
「今度、模擬戦がこの地域であるんだ」
グラーツが地図を指し示す。リアリナはそれを覗き込んだ。グラーツの指定した資料は、その土地の詳細な地図から、その近辺で行われた戦闘の記録、近隣の村の詳細など多岐にわたる。
「なるほど、それに使える資料をお求めですね。わかりました。ではまず戦歴からいきましょうか」
先程よりもうきうきした声になっている。最初に出した資料以外にも、どさどさと書物を持ってくる。
「規模は?日時は?その他条件はありますか?」
と矢継ぎ早に訪ねてくる。先程の事務的で無愛想な様子とは打って変わった様子だ。笑顔ではないものの、楽しそうにすら見える。
結果、次々と閉館まで資料を引っ掻き回すことになった。途中、リアリナを独占していることに気づいたグラーツが、
「そういえば、別の仕事はいいのか?俺としては手伝ってもらってありがたいが…」
「大丈夫です。特別閲覧室の利用は一般の人向けではなく、許可を得られた方のみ。その場合のお手伝いは他の業務より優先されるんです。さて、あとは……」
資料を開くたびに顔がきらめく。それだけを見ていると、とても『氷姫』とは思えなかった。
「助かった。一日でこれだけ調べられれば上出来だ」
「お役に立てて何よりです」
また無機質な氷の顔に戻っている。
「礼をしなきゃな」
「それには及びません。仕事ですから」
断られるのも想定の範囲だった。
「じゃあ、昨日みたいに官舎へ送っていくというのはどうだ?」
「それは……」
「この前みたいなバカな男はよく待ち伏せしてるのか?」
一瞬おいて、うなづく。
「送るというのも恩着せがましいな。単に俺も帰る道筋なんだ。荷物持ちもするがどうだ?」
それなら、とリアリナはようやく首を縦に振った。
今日もまた本をたくさん持っている。
共に歩くと、人が振り返るのがわかる。好奇の目線と共に、ひそひそと嫉妬、羨望さまざまだ。リアリナは騒音に耳を傾けることもなく、顔は正面を向けて歩く。聞こえていないわけないだろう。決して居心地のいいとはいえない帰り道であったが、リアリナは顔色を変えず淡々と歩いていた。
数日後、再びグラーツは図書館を訪れた。それとなくリアリナの姿探すが、今はいないようだった。
他の司書に頼み、また特別室の図書を閲覧させてもらう。グラーツよりも年嵩の男だった。
「そういえば、この間のリアリナと言う娘だが…」
「あぁ、貴方もですか」
男の口ぶりは、うんざりした様子だ。
「いや、俺は彼女目当てではない。が、大変だろうな、あの様子だと」
「本当ですよ。美女だか才女だか知らないですが、彼女目当ての変な利用者を捌くのも我々なんですよ。全く、困ったもんです。大学主席だって本当かどうか疑わしい。だってあの姿形あれば、ねぇ」
グラーツの反応の悪さに、喋りすぎた口を自らふさいで仕事に戻る。少し突いただけで、リアリナへの不満が噴き出してくる。この嫉妬、やっかみ、邪推がこの男だけでないとすると、才色兼備が生きていくのは中々大変そうに思えた。
すでに夕暮れ、図書館を後にする。後ろから、呼ぶ声がして足を止めた。すると、リアリナが息せきってかけてくる。
「グラーツ様!」
「お嬢ちゃん?」
「はぁ…よかった。こちら、先日お探しの資料の追加です。縦覧するのも手間ですので、まとめておきました」
分厚い手書きの紙の束を手渡される。
「わざわざ?それはすまなかったな」
「いえ、助けてくださったお礼ですので。では」
さっさと切り上げて踵を返そうとするのをグラーツは引き止めた。
「まぁ、待て待て。そうやって用事が終わった途端、会話を切ろうとするんじゃない」
途端にリアリナは困惑の顔を浮かべる。
「仕事は終わったか?ほら、支度してくるといい。もう帰るんじゃないか?」
「でも……」
「いいから」
リアリナが荷物を取ってくると2人は連れ立って歩いた。3回目ともなると、少し慣れてくる。資料の説明をかいつまんでしてくれる。この「業務内」の話ならとても饒舌だった。楽しそうですらある。
ふと会話が途切れた時にグラーツが聞いてみる。
「何故司書になったんだ?王立大学を首席で卒業したんだってな」
首席で卒業したものは、官僚や医薬院など、大学などの最高峰の機関どこでも引く手数多なはずだ。
リアリナは少し逡巡してから口を開いた。
「……本が好きなんです。自分が知らないことを知れるのが嬉しいんです」
「なるほど。そりゃ、お嬢ちゃんには天職だな」
端的でこれ以上ない、理由だった。資料を開くときの様子を見ると納得できる。
気づけばもう官舎に着いてしまった。
「じゃあな、おやすみ。資料ありがとう」
「あ……おやすみなさい。ありがとうございました」
建物に入る前に、リアリナがそっと振り向いた。グラーツの遠ざかる後ろ姿が目に入る。もう少し話をしたいと思っていた事にリアリナ自身も驚いていた。
自宅でリアリナからもらった資料を広げたグラーツは、目を通しながら思わず身を乗り出した。
過去に遡り、その地域の戦闘が起きた時の状況や陣形が書かれているのだが、それ以外にも季節ごとの天候、川の水位などの気象条件の詳細が書かれていた。また、特に目を見張ったのが、その地形で応用できそうな異国の陣形や策がまとめられていた。
「こいつは……」
椅子に深く腰掛け、グラーツは資料の出来栄えに唸った。
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