第1話 エラン・グラーツ
「2年間の、ど田舎勤務からの栄転おめでとう!グラーツ小隊長殿!!」
声高にジョッキを掲げる友人アドラスの言葉に、エラン・グラーツは口をへの字に曲げた。
「うるせぇ!!嫌味ったらしく言いやがって。素直に再会を喜べんのか!」
まだ昼過ぎだと言うのに、通りに面した居酒屋の外の席で飲み始める二人。暖かな春の風に散らされ、グラーツはこげ茶色の髪を後ろへ撫で付けた。
「僻地じゃあ軍団長だったのに、都に戻って小隊長だなんてな。お前また何のヘマやった?」
「ちょーっと任務の詰めで上司の機嫌損ねただけだよ。都に戻れただけでも、御の字だ。それにしても、お前ばっか出世しやがって。警備隊長だと?」
警備隊は都の治安維持に携わる役職である。30と少し、アドラスの年齢からいえば、かなり順調な出世ぶりだ。
「俺はお前ほどひねくれてないし、長い物には素直に巻かれるよう立ち回ってるからな」
久しぶりに会った口の悪い友人は相変わらずだ。
「しばらくはこっちなんだろ?」
「まあな。のんびりとさせてもらうさ。いやー、やっぱり都の酒と飯は美味い!!」
次々と運ばれてくる美味い料理に舌鼓をうつ。積もる話と、馬鹿な話を数年ぶりに会っても一緒にできることに喜びをグラーツは感じていた。目線は相変わらずの雑多な都の風景だ。
ふと、目の端に若い娘の持つ荷物がばらけるのが目に留まる。風に飛ばされ、グラーツの足元に飛んできた手紙を、席を立って手渡した。
「どうぞ、お嬢ちゃん」
「あ、ありがとうございます」
ぎこちなく礼を言う娘は銀の髪を編み上げ、ちょっと目を引く綺麗な顔立ち。だが、にこりともせず、目線を合わせようともしない。無表情のまま、そそくさと渡された手紙をしまうと、さっさと立ち去ってしまう。
「おい、ありゃ『氷姫』じゃないか?やっぱり綺麗な娘だな〜」
席に戻ると、アドラスがお代わりのビールを受け取っていた。
「『氷姫』?」
「知らないか、そうだよな」
アドラスは昨年、春の式典での出来事を語る。王国では初の女性の大学首席卒業。銀の髪、薄青の瞳の美しさとその優れた頭脳、だが、人嫌いで有名で、寄る男たちは皆、すげない態度で取り付くシマもないという。その後、王立図書館の司書として勤めることとなったという。
「それでついたあだ名が『氷姫』ってわけだ」
「我こそはと言う男が後を絶たず、改装したばかりの図書館は大盛況ってわけさ」
「なるほどねー、そりゃ大したもんだ」
その後もしばらくよもやま話で盛り上がり、店を後にした。昔はこの後娼館まで行くのがお定まりだったが、所帯持ちは愛する妻と子どもの待つ家に帰るのだという。
日も沈みかけた黄昏時。風も心地よいので、グラーツは帰り道は公園を通ることにした。すると、何やら、男女の争い合うような声がする。
「リアリナ。今日こそ返事を聞かせてほしい」
「それは何度もお断りしたはずです」
男が女に言い寄っているのか。
「私は未来のグリフ伯。平民であるそなたにとって、これは大変名誉あることだぞ。喜びこそすれ、断るなんて有り得ない!!」
「名誉などいりません。そのお話はお断りいたしますと申し上げました!」
『名門の男』が手を挙げると、それを合図に控えていた男が現れ女を取り囲む。
「強情な女め。遠慮しなくていいんだ。私の館で2人っきりで過ごせばもっと素直になれるさ」
男の言葉のあまりのひどさに閉口したグラーツは思わず進み出てしまった。
「おいおい、呆れるほど悪党じみたセリフじゃないか。そんなんで女が口説き落とせると思ってるのかね」
グラーツはゴテゴテと飾りのついた袖の手を掴み、容易く腕を後ろに捻り上げた。『未来のグリフ伯』は情けない声をあげる。
「痛たたたたー!!離せ!何だお前は、関係ないだろう!」
「確かに関係はない。が、どう見たって悪党なのはお前さんの方だろう?」
「下っ端の軍人が私に手を出していいと思っているのか!!」
「下っ端の軍人は間違いないな。それよりグリフ家っていやぁ、馬鹿な息子が馬鹿過ぎて、跡目を弟に継がせる云々と噂じゃないか。」
「何だとっ!?」
「こんなとこで騒ぎ起こしていいのか?長引いて人目につけば、揉み消すのも大変だぞ。お父上もお怒りだろうなぁ」
近づいた顔は笑っているもの凄みのある脅し文句に、明らかに相手は怯んだ。そしてありきたりな捨て台詞をゴニョゴニョと言いながら、手下ともども去って行った。
「あ、ありがとうございます」
言い寄られていた女を見て驚いた。昼間の『氷姫』ではないか。
「お!お嬢ちゃん……覚えているか?昼間、手紙を落としただろう」
「え?」
驚いた様に顔を上げた。初めて視線が交わる。が、それはすぐに逸らされた。
「あの時の方でしたか。重ね重ね、お世話になりました。ありがとうございます」
深々と頭を下げると、荷物を持ち上げ踵を返す。
おいおい、それだけか。と思わず口に出そうになる。後ろ姿が、ひょこひょこした動きで歩きにくそうである。グラーツはすぐに追いつき、手荷物を取り上げた。
「足、痛めてるのか?家はどこだ?」
娘は眉根をひそめて、煩わしそうである。一応、厚意なのだが。
「いえ、結構です。荷物返してください」
中々強情である。グラーツも警戒の対象のようだ。
「返してもいいが、その足でこの荷物はちと辛いだろう。また、さっきのバカ息子が戻ってきたらどうする?1人で走って逃げられるか?」
「それは……」
「大丈夫だ、お嬢ちゃんみたいな子どもに手を出すほど不自由はしてない」
「!!」
「それなら、少しは安心できるか?」
目を丸くする娘、逡巡してる様だ。しばらくの沈黙の後、
「……では……お願い致します」
「エラン・グラーツだ。下っ端の軍人だよ」
「リアリナ・アンファングと申します」
と、家まで付き添うこととなった。とは言っても、恐ろしいほどの沈黙。全く娘は喋らない。何か聞いても、「はい」か「いいえ」か無言しか帰ってこない。なるほど、聴きしに勝る『氷姫』ぶりである。
娘が案内したのは、下級役人達の官舎であった。入口で娘は荷物を受け取り、また深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「ああ、気にするな。それより、足きちんと冷やして寝た方がいいぞ。拗らせるとしばらく歩けんぞ」
「はい」
さて、気分良く人助けもしたところで、酔いも醒めた。グラーツも帰宅する…とはならず、花街の方へ好みの女を探しに足を踏み出した。
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