第4幕

 夢の舞台。あの日見た新国立の舞台に立つ二人の舞台俳優は、約束を交わした時よりもずっと大きくなり、仲違いすることとなったあの時よりもずっと美しくなった。


 二人だけの舞台で演じるのは、夢の中でランが手にしたあの本。


 ストーリーはありふれたものだ。愛する人を奪われた男が、奪った人間に対して復讐する。ただ、それだけ。その道中において、冥王星の街を旅したり、復讐のための力を手にしたり、すったもんだの悲喜こもごもがあって、物語の終焉へと進んでいく。


 第四幕において、主人公とその敵はついに対峙することとなる。


 ランと咲良が対峙する。


 スポットライトに照らされた舞台には何もない。戯曲において、そこは何もない草原とされている。夜の帳が下りた草原に、乾燥した鋭い風が吹きすさび、二人から体温を奪っていく。


「探したぞ」


 叫んだのは、ランだ。そのシャウトに込められた感情は、主人公が感じている以外のものが多分に込められていた。


 揺れんばかりの大声にあてられたにもかかわらず、咲良は涼し気な表情を全く崩さない。悠然と、邪悪な笑みを浮かべる。


「やあ君か」


 ランは、手にしていた銃を咲良へと向ける。現代で見かけるような銃というよりかは、創作物上に存在する光線銃のような見た目をしている。冥王星で友人から譲り受けた電気を飛ばす銃だ。拳銃の銃口にあたる、電気銃の円錐の先端からは、カートリッジからこぼれんばかりの電力が供給され、待ちかねたようにスパークする。1.21ジゴワットなど優に超える電力の一撃は、時空間転移を引き起こす前に炭化させる。


 そのような武器が向けられてもなお、咲良は態度を改めない。むしろ、ランを嘲笑するかのように笑みを強めた。


「そんなもので私を傷つけられるとでも思っているのかい?」


「馬鹿にして!」


 ランはためらうことなくトリガーを引いた。電気銃から稲妻がほとばしる。電光石火の白い一撃が、咲良の体を焼かんと空間を伸びていく。ホール中に鳴り響いた雷鳴が、そのジグザグとした雷光が本物だと告げる。


 演出でもなんでもない。歯を剥き出しにしたランは、目の前の友人『だった』存在を本気で殺そうとしていた。


 殺意を向けられたというのに咲良は笑い続けていた。それどころか、電撃を避ける素振りを見せようともしない。それもまた、ランと同じように演技でも何でもなく、その稲妻を意に介していないという意識の表れであった。


 スッと、スーツに身を包んだ咲良の手が上がった。そうすると、電気が吸い寄せられるようにそちらへと向かう。そして腕を焦がし、体を浄化の炎が包み込むのだ。ランは確信した。これで、アイツの命運は尽きた。


 だがしかし、そうはならなかった。その咲良の、不健康とさえ思えてしまうほど真っ白な肌は黒焦げにはならない。


 電流は、そのすべてが咲良の手のひらの中へと吸い込まれていった。普通ではありえない現象。吸い込まれたからといって電気の性質が失われるわけではない。しかし、吸い込まれたと形容するほかない。


 光が渦となり、体へと吸い込まれていくさなか、皮手袋が焦がされ燃え上がり、すえた臭いを巻き上げながらその手のひらが露わとなる。


 醜悪な口が、そこにはくっついていた。その強欲な口が、電気エネルギーを余すことなく吸い込まんともぐもぐと動いていたのである。


 劇場に悲鳴が上がる。それは観客によるものだったのか、ランが発したものか。多くの人間にとっては幸いなことに、その口が晒されたのは一瞬のこと。次の瞬間には、光はすっかり飲み干されて、そこには頬をわずかに赤らめた咲良の姿があるばかりであった。


「言ったでしょう。効果はないと」


「さっきのは一体なんだ」


「ふむ。説明するのはやぶさかではありませんが、貴女にも心当たりがあるのでは?」


 あまりにも自然にセリフが改変されていたために、観客は気が付かなかった。だが、戯曲に目を通したランなら分かる。その問いかけが向けられているのは登場人物に対してではない。それを演じる自分に対して問われている。


「そんなのは――」


 銃を突きつけ、セリフを口にしながら、ランは考える。


 心当たりがないわけではなかった。咲良の言っている心当たりというのが、手に口が生まれるような奇妙な類であればだが。


 夢の中で手渡された本。


「――そんなことはどうだっていい。俺はアンタを殺すためにやってきたんだ」


「どうやって? その虎の子の電気銃も効果がなかったのに?」


 咲良がせせら笑う。その姿は、演技の域を超えていた。演技など、とうにやっていない。今まさにスポットライトによって照らされ舞台上に露わとなった役そのものが、彼女の邪悪な本性なのだ。それは、年齢を経てますます強大なものになっているようにランは感じた。陰湿な影とでもいうのだろうか。白くてぶよぶよとした威圧感が、ランを覆いつくそうとする。粘っこい視線が舐めまわしてくるたびに、恐怖で膝が折れてしまいそうになる。


 目の前にいるのは本当に咲良なのか。


 疑問が頭の中に浮かび上がる。どうしてそう思ったのか。気圧されているのか。相手の雰囲気にのまれてしまっている気がして、ランは疑問を振り払った。


 今はそれどころではない。演技を続けなくてはならない。観客のためではない。ほかでもない自分のため。


 咲良の瞳が、黒い悪意に輝く。


「取引をしようじゃないか」


「取引? 俺が乗ると思っているのか?」


「いいや乗るね。私を殺すことができる方法を君に教えるのだから」


「馬鹿な」


「いやね。私は死ぬことがないのだよ。君も見ただろう。私は不思議な力に守られているから、ちょっとやそっとじゃあ殺せない。せめて核兵器くらいは持ってこないと」


「……それで?」


「それはフェアじゃない。殺し合いをするのであれば、対等な条件がいいだろう」


「言ってみろ」


 咲良の口が、一つの単語を紡ぐ。それが観客に聞こえることはない。ランにも聞こえるか聞こえないかといった微妙な声音であったが、それで十分だった。


 それを耳にしたランの肌が粟立つ。意味不明な単語。なのに、恐怖が体中を駆け巡るのだ。咲良の目が、そんなランのことを見下ろしていた。その瞳の奥にいる強大な何者かが、ランのことを試すように見つめていた。


「さあ、言うんだ。言えば君は――」


「――言うものか」


 ランへと近づいて来ようとしていた咲良が、ぴたりと立ち止まる。


 俯いていた顔をランが上げた時、そこには恐怖はなかった。


「それが、アンタのやり口だってことは知ってるんだ。この悪魔」


 ランは、襲撃者に、それを演じている咲良に対して言った。咲良が今の立ち位置に到達するまでにやったことは、ランの知るところであった。誘惑した。脅迫した。扇動した。人が思いつく悪行の数々を、あの二元的な笑顔の下でやってきたのだ。


 友の行いを否定するために、ランはこの場に立っていた。


 咲良が、よたよたとランから離れていく。その口は裂けてしまいそうなほどに吊り上がり、壊れたラジオのように不気味な笑い声を断続的に発する。――いや、裂けてしまいそうではない。裂けている。


 目の前で、咲良の皮膚がビリビリ音を立てて破れていく。筋繊維が裂け、錆色の血液が弾けた。ちょうど、虫に寄生したキノコのように、人体の内側から何かが出てくる。


 それは、咲良よりもずっと大きな怪物だった。肥大化した悪意がそのまま形を成したかのような醜悪な姿は、どこかイエティのようにも見えなくもない。だがイエティと違うところは、頭のある場所に頭がなく口があってはならない場所に口があった。手のひらの口からはよだれが垂れ、血液と混じって湿っぽい音を立てた。


 今度こそ、観客が恐怖におののいた。突如として現れた怪物が演出などではないことに気が付いた人々は、泣きわめき悲鳴を上げながら、押し合いへし合いホールの外へと駆けていく。


 瞬く間に、劇場は静かになった。


 舞台に立つのは、二人の女性。――女性だったものと、それと対峙するラン。そのシーンは、くしくも戯曲の展開そのままであった。


 白い怪物は満足げにぶよぶよとした体を震わせると、ランの頭ほどの手のひらについた口から言葉を発する。


「再度、聞こう。私と一緒にならないか。神にも等しい力を得られることだろう」


「それはそうでしょうね」


 怪物が一歩歩み寄ってくる。弾力のある大きな足によって咲良だったものが踏みつぶされ、ぐちゃりと不快な音を立てた。


 ごろんごろんと転がった咲良の顔は、恐怖で固まっていた。


「では――」


「神の力なんて必要ない。そんな醜い姿になんかなりたくないし、私は復讐ができればそれでいいのよ」


「復讐なんて容易い。私の力があれば、権力も金も男もなんだって手に入る」


「随分俗な神様もいたものね。――そんなのくそくらえってこと。言葉にしないとわからないの?」


 バカにした調子で、ランが言う。時が一瞬、止まる。次の瞬間、二つの口から、怒りのこもった咆哮が吐き出された。鉄くささと腐臭の混じった臭いが、暴風となってランの髪を揺らす。吐き気を催しながらも、肥満体を睨み続けていた。


 さらに、怪物はランへと近づく。一歩近づくたび、舞台の床が苦し気に軋む。


 腕が伸びてきてもなお、ランは動かなかった。


 手のひらが、ランの肩へと伸ばされる。舌が柔肌を吟味するように舐める。歯が突き立てられようとした直前に、ランが口を開いた。


「馬鹿ね。こんなことをしたって無意味よ」


「そんなことを言うこと自体が無駄なことだ」


「ふん。食べたきゃ食べればいいじゃない。でも、私だったら逃げるわね」


「どうして」


「上を見なさい。といっても戯曲とは違って、ここからじゃあ見えないかもしれないけれど」


 ランが上空を指さす。つられて怪物が、存在しない頭を上へと向ける。


 はるか先に、ドーム状の天井が見える。だから、濃紺の空は見えない。それは、一般人にとっての話。ランには、宇宙の外から飛来する存在が知覚できた。そして、それは常軌を逸した存在である目の前の怪物も同様であった。


「どうしてあのような神が、ここへ――このような銀河辺境の星を目指してやってくるのだ!?」


「たぶん、私たちが演じた戯曲がトリガーとなっているの。こんなこと荒唐無稽かもしれないけれど、召喚の呪文とでもいうのかもしれないわ」


「最初からこのために……!」


 怪物が焦り始める。どうして焦り始めたのか、ランにはわからない。怪物が言うところの、『神』がやってきているからかもしれない。


 ただ、復讐がなせるという確信があったから、戯曲の完成を目指した。それだけであった。


 怒りの白い体を震わせた怪物が、ランへと牙を突き立てる。肉が噛み千切られ、血液が噴き出す。傷口は化のうしたかのように膿にまみれて、血は凝固することなく流れる。


 痛みはなかった。


 あるのは達成感だけ。


 そのうち、空から恐るべき神が舞い降りてきて、劇場をがれきの山に変えた。劇場だけではない。呼び出された白痴の神は、何かをするわけでも人を殺すことを目的にするわけでもなく、地球上のありとあらゆるものに対して、不定形の触腕を振るっていった。

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