中編

 翌日の日曜日。美菜は私にかぼちゃグラタンを振る舞った。

 

 午後六時過ぎに美菜から「今夜はうちで夕食いかがですか」とメッセージの着信があった。特に日を決めてはいないが、美菜は月に一、二回、私を夕食に誘う。外食ではなく美菜の部屋で、彼女が料理する。けれど、彼女は料理が得意というわけではない。ネットやレシピ本で数をこなしているから、苦手ではない。致命的な失敗はしないが、細かい失敗をする。少なくともこの半年間で、私が食べた料理にはそれが付き物と言えた。美菜に言わせれば、もはや憑き物なんだとか。

 

 だから別段、彼女の手料理を楽しみにしてはいない私だ。美菜は学内でけっこう目を引く可憐な女の子であるから、その子の手料理をいただく機会があるというのは喜ばしい。そんな趣旨の主張を以前に彼女自身からされた。なるほど、間違ってはいないのだろう。

 でも、本人にしたり顔されると、頬をつねってやりたくなる。というか、つねった。なぜだか嬉しそうな表情をしていた。被虐趣味?


 思えば、この夕食会があるせいで、あるいはおかげで、最低でも月に一回は彼女のすっぴんを私は目にしている。記憶を辿ると、一番最初の夕食会のときは、彼女はメイクを落としていなかった。

 それに対して、私は部屋に帰って出る予定がなければさっさと落とす。「入浴中のほうが、よくないですか」と私に言ってきたのはやはり美菜だったはずだ。いずれにしても、二回目の夕食会からは、彼女もすっぴんだった。

 曰く「ミナだけ素顔を隠したままってずるいかなって」らしい。私は肯定も否定もしなかった。

 新しい一日が始まり、どこか外へと出かけるならば、時にそれが最低限のものであってもメイクはする。それを、素顔を隠すと私はみなしてはいない。

 でも……そのときの美菜が言ったことはそういうのとは別なのかも。


「南野家秘伝のホワイトソースをご賞味していただこうとも思ったのですが、市販のホワイトソースで代用しました」

「一から作ると大変だから、材料調達の手間と時間短縮を考慮してってこと?」

「ほらっ、かぼちゃごろごろ入っていますよ! ごろごろごろにゃーんですよ!」

「猫は入っていないでしょ」

「熱いので気をつけてくださいね。それこそ猫舌だと火傷しちゃいますよ」

「はいはい」

「どうしてもって言うなら、ふーふーってしましょうか」

「するな。……で、どうしてかぼちゃグラタンなの?」

「ポテト派でしたか」

「どちらかと言えばそう。って、そうじゃなくてさ。私言ったよね」

「ミナ、気づいたんです」

「なによ」

「昨日のパイ。先輩としては、編み込みがあったほうがよかったんですよね」

「は?」

「パイアートってやつです。でも残念ながら、昨日のパンプキンパイは、平らでした。あ、勘違いしないでくださいよ。先輩の自前のパイに合わせてのチョイスではないです。お店にその種類のパンプキンパイしかなかったんです。あれですかね、アップルパイなんかと取り違えないようにするためですかね」

「さらっとまた私の胸囲を侮辱しないで。それに私のパイの好みの指標に、編み込みの有無はない」

「えー? でも、編んであるほうが美味しそうじゃないですか」

「あんたの好みは知らない。論点ずらしすぎ。なんで今日もかぼちゃ料理なのよ。そこだって。二日続けて、どうして苦手な食べ物を提供するのよ。嫌がらせ?」

「そう言う割には、ちゃんと食べる気満々じゃないですか」

「あのねぇ……」


 せっかくあんたが用意してくれたのに、手をつけない、一切口にしないわけにもいかない。私は大きく溜息をつく。それからステンレスの先割れスプーンを使って一口食べてみた。そのスプーンは三回目だったか四回目のときに彼女が私専用にと勝手に用意した代物だ。なんだっけ、スープパスタに挑戦したときだったかな。スープの味が濃かったんだよね。


「どうですか。美味しくできていますかね」


 いつも以上に、おそるおそる訊いてくる。

 彼女は、こっちが食べる寸前までは楽しそうに、さも自信ありげに話しているのに、毎回感想を求める時になって臆する。

 今回について言えば、昨日食べたパンプキンパイがプロの焼いたものであるのに対し、彼女のは素人料理なのだから、なおさら不安なのかもしれない。まず、人が苦手と主張している食材を使うなという話ではある。


「まぁまぁ、いいんじゃない」

「そんな汎用性の高いコメントいただいても、嬉しくないですよ。グルメリポーター並のリアクションお願いします」

「無茶ぶりしないで。……皮がさ、少し舌触り悪いかな」

「えっ」

「硬いってほどじゃないけれどさ。果肉部分はくずれすぎないように、食感が残るほどに過熱されているわね」

「うう~」

「呻くな。不味くはないって」

「ミナとしては『まぁ美味しい! 舌がとろけちゃうにゃん♪』って言ってほしかったんです~!」

「その期待には応えられない。残念でもないけれど」

「あっ! もしかしたら、先輩のほうだけそうなっちゃったかも。ほら、ミナのは皮までデリシャスの可能性ありですよ! あ、あーん……」


 美菜が彼女の分のグラタンをスプーンで掬って、私に食べさせようとしてくる。心なしか羞恥している面持ちだ。他の女友達相手に平然とやっていそうなのに、なんて考えも頭をよぎる。

 私は「いらない」と一蹴して自分の分のグラタンに視線を落とした。

 

「ですよねー」


 しょんぼりした声をあげるなと言いたい。でも言わない。


「そういえば、さ」


 お互いのグラタン、そして付け合せのサラダも残り少なくなってきたところで、私は切り出す。確認しておきたかったことが一つある。話すタイミングを逃してしまっていたことが。いくらでもあっただろうに、消極的になっていたやつが。


「なんです? デザートだったら用意していますよ。手作りじゃないです。スーパーで買ってきた一個138円のゼリーで、キウイとグレープフルーツの二択です。あえてみかんや桃じゃないんですよ、これが。ミナはグレープフルーツにしますね」

「じゃあ、私はキウイ一択じゃない。……デザートの話じゃないの」

「ええー、わりと真面目な話ですか? 何も楽しい夕食会の最中にしなくても。ミナとしては木曜日の空いた時間にいっしょにどこか行く話をしたいです」


 埒が明かないと察した私は思い切って本題をぶつける。

 

「松下くんとはあれからどうなったの?」


 松下くんというのは、例のサークルにいる私の女友達の友達で二年生。そうだ、友達の友達だ。同学年だが別の学部であるから接点がほとんどない。少し前に、その女友達を呼びにサークル棟まで彼が来た際に、美菜を一目で気に入ったみたいで遊びに誘っていた。

 容貌としては、野菜に喩えていいならトウモロコシ。でも、甘くないやつ。


「え、誰ですかそれ」


 意外な返事だった。安堵にはまだ至っていない。私は説明する。

 すると、美菜が笑い出した。


「ふふふっ、秋穂先輩ってば、面白いですね!」

「なによ、どういうこと」

「それ、松下くんじゃなくて、竹下くんですよ! なんでランク上げているんですか、まさか梅下くんと合わせてトリオを組んでいるとでも思っているんですか?」

「ニヤニヤしないで。覚えていなかったってだけでしょ」

「あれ?」


 急に真顔になる美菜だった。どうしたんだろうと思って、声をかけようとした矢先、彼女は決まり悪そうに言う。


「えっと、松下くんでしたっけ」

「は?」

「言われてみれば、松だった気もしますね。あー……連絡先は交換していないんで、わからないです。んんん? なんで先輩は、その彼と私がどうかなったと思ったんですか」

「だって、親しげに話していたでしょ。あの日、私はさっさと帰ってさ、その後ってどうなったか知らなかったから。てっきり」

「そうでしたね、ミナを置き去りにふらっと姿を消したんですよね。薄情者です」

「ねぇ、べつに仲良くなっていないわけ?」

「はい。今、訊かれるまで存在そのものを忘れていましたよ」

「そう」

「その顔、ミナはどう考えればいいんですか」

「どういう意味よ」

「安心した、って顔に書いてありますよ。鏡見ますか?」

「いい。そのまま今の話ごと、忘れなさい」


 美菜は「はーい」と言うと残りを食べ始める。私もそれに倣って黙々と食べる。彼女を盗み見ると、どこか思案顔をしていた。まさか彼とのことを隠している? ううん、それはないか。名前を確かに覚えていないようだったし。それも演技だったのなら、と疑念もなくはないけれど、それでも美菜を信じることにする。そういう面については不器用だと、自分に都合よく思うようにした。




 翌日の月曜日。美菜はかぼちゃサラダを持ってきやがった。


 午後七時前にインターホンが鳴らされ、ドアを開けるとそこにタッパーを持った美菜がいた。


「作りすぎちゃったので、おすそ分けをと思いまして」

「またかぼちゃなの?」

「ええ、またかぼちゃです。あ、ついでに部屋にあがっていいですか」

「なぜ?」

「嫌ですか」

「……べつに」


 断ったらあっさり引き下がっただろうか。でも、そうでなければドアを開きっぱなしで押し問答をしないといけなくなる。だから、さっさと入れた。

 そう自分に言い聞かせた。

 つい今しがた、暇つぶしにネットで服を見ていて、気づけば美菜に合う服を探していたから、本人に会いたくも感じていたなんて口が裂けても言えない。それが予想外のかぼちゃサラダとともに実現して、微妙な気持ちになったのも悟られたくない。


「捨てられても嫌だから、ミナの前で食べてもらおうかなって」

「私が食べ物を粗末する人間だって思うの?」

「いいえ。って言いたいんですけれど、ミナは秋穂先輩のこと知らない部分もまだまだありますから。信じてはいます。でも、時々心配にだってなるんです。わかりますか、こういうの」

「珍しいわね、そういうこと言うの。何か相談事があってきたの?」

「わかりません」

「うん?」

「わからないですけど、ミナなりにこれが最善で最短なのかなーって」


 美菜は話し方こそふわふわしているが、要領を得ない、まるっきり読めないことは少ない。冗談なら冗談だってわかるし、何か主張があれば時に遠回しでも彼女なりに伝えてくる。伝わる表現で。だから、今のミナはいつもと違う。

 

「とにかく、私が南野の前でこのサラダを食べる。それでいい?」

「はい。お願いします」

「味見したんでしょうね」

「しましたよ。でも、あれですね。この色、ミナはそんなに好きじゃないかもです。白いポテトサラダのほうが好きかなぁ」

 

 だったらそっちを作ってきなさいよと目で訴えたが、伝わったかは怪しい。

 立ち食いせずに、テーブルにつく。美菜の部屋と違って、私の部屋にあるテーブルは二人が食事するのに十分な大きさではない。「あ、ミナはいいです。食べたので」と言うので、私一人が食べることになる。


「これ……かぼちゃね」

「そう言いましたよ」

「イメージしていた以上にってこと。マヨネーズで紛らわされているかなとも思ったけど、ちゃんとかぼちゃしている。あのさ、正直苦手かも」


 かぼちゃと塩胡椒のきいたベーコンとのマリアージュは私にとって調和ではなく衝突だった。


「ごめんなさい」


 謝るぐらいなら作ってこなければいいのに。苦手だって言っているのに。それなのに美菜は、ううん、私は二日続けて残さず食べて、こうして三日目にサラダをおすそ分けされている。なんなんだろう、この状況。


「ねぇ、本当になにもないの? 湿っぽい顔してさ」

「たとえばの話をしていいですか」

「え? ああ、うん。どうぞ」

「たとえば、ミナが明日はかぼちゃの煮付けを秋穂先輩のために作ってきて、持ってきたら食べてくれますか」

「そんなに余っているの、かぼちゃ」

「いえ、昨日買った分はこのサラダでなくなりました」

「それなのに、また買って、かぼちゃが苦手な私に食べさせたいの?」

「わかりません」

「それはこっちの台詞なんだけれど」


 私たちはしばし黙って見つめ合った。先に目線を逸らしたのは、私だった。笑顔でない彼女を、その曇り顔を見るに忍びなくなった。


「ひょっとして、南野ってさ」

「な、なんですか」

「あからさまに動揺するのね」

「し、していませんよ! ひょっとしてミナがなんですか、なんなんですか!」


 美菜が姿勢を正す。私はまた彼女を見やる。ぶつかる視線。狼狽えた表情。


「実家が、かぼちゃ農家なの?」

「は?………はぁーーっ!?」


 また表情が変わる。笑いそうになる。私の好きな笑顔ではないのに、でも、愛おしく感じた。コミカルな怒気を噴出しながら美菜が言う。


「ちがいますよ!? 実感がかぼちゃ農家だから、かぼちゃが苦手だっていう先輩のために一肌脱いだって、そんなストーリーを思い描いたんですか?! なんですか、それ! 見当はずれ、おおはずれですよ! なんだったら、ミナだってかぼちゃ、そんなに好きでもないですから! 芋や栗派ですからね!? スイートポテトやモンブランのほうが好きですから! ミナは、ミナは……!」

 

 そこまで言い切ると、泣きそうになる美菜だった。それはさすがに私も愉しめなかった。私は聞かねばならない。彼女の意図を。


「じゃあ、いったい―――」

「帰ります」

「えっ、ちょっと待ちなさいよ」

「明日以降に、タッパー洗って返してください」

「待ちなさいって」

「そんな言葉じゃミナを引きとめられはしませんよ」

「なによそれ。いいから、座って。ほら」

「止めたいなら」

「うん?」

「ほんとに、いてほしいなら抱きしめでもしてくださいよ。ぎゅーっと抱きしめればいいじゃないですか!」

「どうしてそうなるのよ」

「わかんない!」

「そればっかり。頭を冷やしなさいよ」


 彼女につられて立ち上がった私は、顔が熱くなるのがわかった。

 抱きしめることを、彼女をこの場に繋ぎとめるための抱擁を求められて、それを想像して、不覚にも恥じらい、照れた。

 そんなのできないって思う一方で、できたらいいのにって願いさえしていた。

 友情の範疇だ。問題ないわよ、と自分を唆す自分がいる。たしかに、友達同士でだって、ハグはするものだ。異国風の挨拶でもある。

 だから、べつにしたっていいのだ。他でもなく美菜自身が求めているのであればなおさら。そこまで理性的になっているのに、決行できない。

 臆病だった。

 わかっている。私は彼女と違って、わかっていた。

 怖いのだ、美菜に私の下心が、彼女に恋するこの私を知られてしまうのが。怖い。何もかもが壊れるのが。


「先輩、そんな顔しないでください」

「うっさい、あんたのせいでしょ」

 

 すぐ近くに姿見がない。どんな顔しているかは把握しかねる。


「あのさ、南野。私もたとえばの話をしていい?」

「はい?」

 

 ダメだとわかっている。そうだ、わかっている。それなのに口が止まらない。どうして理性と食い違うのよ。おかしい。なんなのよ、美菜はサラダに薬でも混ぜたのだろうか。そんなわけない。


「私がさ、もしも…………男の人より女の人が好きだって言ったらどうする?」

「へ?」

「あんたと部屋にふたりでいるとき、あんたの隣を歩くとき、あんたの笑顔をみるとき、いつもいつも、馬鹿みたいにドキドキしているって、南野美菜に今よりずっと近づきたい、触れたいと感じていたとしたら、どうする?」


 美菜は目を丸くしていた。かぼちゃみたいに、とは言うまい。その瞳は潤んだまま、驚愕の相を露わにしていた。

 沈黙が痛ましかった。彼女を見られない自分がいた。泣くどころか、吐きそうだった。嫌悪感ではない、ただひたすらに、情けなくなってしまった。何がたとえばの話よ。どうせ告白するなら、それでもって美菜と最後のやりとりになるのなら、もっと言い方あったはず。そのはずなんだ。


「帰って」

「え、えっと、あ、あのっ! でもっ」

「お願い。帰って」


 怒鳴れば涙が出ると確信していたから、声を荒げはしなかった。

 他の人も住むアパートだから、の配慮なんてなかった。意地を張りたかっただけなのだ。見栄を張ろうとしただけなのだ。

 

 そうして美菜は帰った。私のお願いを彼女は受け入れた。

 

 しばらく立ち尽くしていた私は、膝からゆっくりと崩れ落ちた。

 ああ、やっぱり泣くの我慢できない。せめて声はあげまいと、私は辛抱した。結局、抱きしめたのはその辛さだけだった。

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