第2話 王立学校編②
ミシュレオンとアーノルドに暴力を振るってしまったエールカは、すぐに学校の審査会にかけられた。話し合われるのは、エールカを退学処分にするかどうか。
もしもエールカが貴族であれば、注意で終わっていたかもしれない。しかし、ただの庶民であるエールカを庇うような人間は1人もいなかった。それどころか、審査会に呼ばれたミシュレオンにより、エールカが突然暴力を振るったように捏造されてしまったのだ。
エールカは自分も審査会で申し開きをしたいと要望したが、許可は出なかった。審査会が開かれていた5日間、エールカは寮の部屋から出ることを許されず、ほぼ軟禁状態だった。
「せっかく…。せっかくみんなが応援してくれたのに…。ごめん、ごめん。」
エールカは部屋の粗末なベッドの上で涙を流しながら懺悔を繰り返していた。十中八九、エールカは学校を退学になる。自分を庇ってくれる人が1人もいないことなど、エールカには分かっていた。結局、1年も学校にいられず、両親が死に物狂いで貯めてくれたお金を無駄にしただけで終わってしまったのだ。
「ううっ…。アウラ、スイ、カイぃ…。」
助けてほしい。なんとか自分で頑張ろうとしたがもうこれ以上は無理だった。小さい頃からずっと自分を支えてくれた3人の名前を呼ぶ。しかし、もちろん返事などない。彼らは遠く離れた故郷にいるのだから。
村に帰って彼らに無様な姿を見せるのが本当に嫌だった。退学になっても村に帰りたくない。いっそ行方をくらましてしまおうかとさえ思う。
「でも、そんなことしたらみんなが哀しむかなぁ。」
彼らの悲しそうな顔を見たくない。結局答えは出ないまま翌日を迎えた。そして早朝、部屋を訪れた教師により、エールカに退学処分の決定が告げられたのだった。
退学となるのは約1週間後。歴史のあるこの王立学校で暴力沙汰を起こすなど前代未聞であり、なおかつ貴族の娘であるミシュレオンに手を出したということが重く判断されたという。自分の預かり知らぬところで話が進んでいたエールカは、退学処分通知の書類に書かれた退学理由をみてため息をついた。
もうどうすることもできない。この退学処分通知は、審査会の決定と同時に自分の両親にも送られていると聞いたからだ。処分通知は魔術文書の形態を取っており、普通の手紙と違って即日、送り主に届けられる。そして両親からは「退学日に迎えにいく」との返事があったそうだ。
退学処分が決定したエールカは、もう授業に出ることは許されないし、図書館の利用もできない。
何も考えないようにするため、ひたすらに部屋の荷物を片付け、掃除を繰り返していたエールカは、扉をノックされる音に気づいて手を止めた。
「失礼する。」
「え?あ、あの。」
突然部屋に入ってきたのはロベルトだった。慌てているエールカを見てロベルトはクスリと笑った。
「片付け中にすまない。…どうしても謝罪がしたくて押しかけてしまった。」
王族を立ちっぱなしにさせるのも気が咎めて、エールカは部屋に唯一の椅子をロベルトに勧め、自分はベッドに腰を下ろした。そして、思いがけない言葉に目を丸くする。
「謝罪とは、一体何のことですか?」
「今回の退学処分のことについてだ。」
「…あなたが私の退学を決めたということですか?」
「違う。私は君の退学には反対していた。…なんとか厳重注意だけで終わらせようとしたんだが、他の王立会のメンバーと、学校理事会に所属する貴族たちからの反対に勝てなかった。…本当にすまなかった。」
「ちょっ!やめてください!」
椅子から立ち上がり、深々と頭を下げるロベルトを見て、エールカは慌てて顔を上げさせようとした。王族に頭を下げさせるなど、また不敬罪と言って虐められるかもしれない。いや、もう退学処分になったのだから気にしなくていいのかもしれないが。
「…君が優秀な生徒だというのは分かっている。いつも図書館に行って調べ物をしていたね。授業態度も良く、誰とは言えないが教師の中には君が退学することを非常に残念がってるものもいることを忘れないでほしい。…もちろん、私もその1人だ。」
「え?」
「食堂での私の声かけがこのような事態を招いてしまった。何度お詫びしても足りないことは分かっている。」
「…いいんです。もういいんです。全部、全部もういいんです。無駄になったから。今更そんなこと言われても、もう遅いんです。」
ちゃんと自分の頑張りを見てくれていた人がいたことに喜びが湧いてくる。しかし、それ以上に退学という重い事実がのしかかる。謝られたってもう遅いのだ。反省されたってもう無駄なのだ。全ては終わってしまったのだから。
ボロボロと大粒の涙をこぼすエールカを、ロベルトは悲痛そうな表情で見つめる。しばらくエールカの堪えきれない嗚咽だけが聞こえていたが、ロベルトが意を決したように口を開いた。
「そ、それで。もし君さえ良ければ、どうだろう?城に来ないか?」
「し、しろ?」
突然の申し出にエールカが首を傾げる。ふわふわの髪が揺れる様にロベルトは顔を赤く染めた。ツンと上を向いた鼻は赤く染まっていて、瞳は涙できらめている。泣きすぎているせいで幼くなった口調も、ロベルトに激しく突き刺さっていた。
「くっ!そ、そうだ。城のメイドとして働いてみないか?もちろん給金も出るし、私のつてで家庭教師を紹介することもできる。それに城にある図書館を利用することもできるぞ。」
「図書館を?!」
「あぁ、そうだ!」
じっと見つめてくるエールカに向かって、ロベルトは大きく頷く。
城の図書館が利用できるなら、学校で見つけた植物の名前がわかるかもしれない。それにそもそも村には帰りづらいと思っていたところだ。城で働くのもいいかもしれない。
でも自分一人で判断することはできない。退学日に両親が来るので、その場で相談して、そのまま城で働き始めたらどうだろうか。
「…両親にも相談してからでいいですか?私は働きたいと思ってるんですが。」
「っそうか!なら手筈を整えておこう!」
顔を赤くしたロベルトは、にっこりと笑うと早足で部屋を出ていった。
どうなることかと思っていたが、もしかしたら運が向いてきたのかもしれない。エールカは涙を拭いて掃除を再開することにした。
「ロベルト様をたらし込むとは…。本当に目障りな小ネズミね…。」
エールカの部屋から少し離れた廊下。ミシュレオンはニヤリと笑って踵を返した。
とうとう退学日当日となった。荷物をまとめたエールカは一応教師陣に挨拶をして、校舎を出た。1年も通えなかった学校だった。本当はもっともっといたかった。でも仕方ない。自分が無能で弱いからこんな結果になったのだ。もっと強くて美しくて賢ければ、こんなことにはなっていないはずだ。
「せめて城では少しでも役に立ちたいな。」
数少ない服や本などが詰め込まれた鞄1つを持って、エールカは校門へと向かう。本来ならもう一つ、幼馴染たちが贈ってくれた鞄があるはずだった。最高級の革に金糸で刺繍が施された小さめの鞄。都会に行くのなら、一つぐらい洗練されたものを持っておけと渡されたそれは、ミシュレオンに灰にされてしまった。まるで、自分の学校生活、そして村を救いたいという夢も一緒に燃やされてしまった気分だ。
あと少しで校門を出る。エールカは校門に寄りかかる男、ロベルトを見つけた。自分を見送りに来てくれたのだろうと、早足で駆け寄ろうとする。
「あら、もはやこの学校の生徒ではないあなたが王族に近づこうとは。それだけで不敬。殺されても文句は言えなくてよ?」
「っ!」
ロベルトの陰から出てきたのはミシュレオンだった。そして、ほかの王立会の面々もそこにいた。どうしてかれらがここにいるのか、そしてミシュレオンはなぜロベルトと一緒にいるのか。混乱したエールカは、困惑した表情でロベルトを見上げだ。
一方ロベルトは、苦虫を噛み潰したような表情で小さく「すまない」と謝罪した。
「ロベルトから声をかけられて有頂天になってしまったのかしら?ごめんなさいね、私の婚約者であるロベルトの優しさを愛情と勘違いしてしまったのかしら?あなたを城に誘ったのは性処理の道具として。思い違いをするなんてはしたないわよ、愚かな子リス。身分も学も美しさもない女には、そのような、仕事がお似合いね。」
高らかに笑うミシュレオンの言葉に思考が止まる。性処理?今、性処理の道具と言ったか?もう16歳。そういうことを知らないと言うつもりはない。娯楽が少ない村ではそう言うことを楽しみとしている人がいることもわかっている。しかし、今、なぜその話なのか。
「あ、あなたは私の優秀さを評価して誘ってくれたんじゃ…。」
「っ、それは!」
「優秀?あなたのような人なんて、学校にはごまんといるわ。まだ勘違いしているの?」
「やめろ、ミシュレオン。エールカ、私は!」
「エールカ•モキュル。愚かな庶民よ。過去王妃も輩出したアグノス公爵家のわたくしを不快にさせたこと、死ぬまで後悔するといい。ロベルト様、この汚い娘とわたくし、どちらをお取りになりますか?…返答に寄っては今後、即位された後の王政運営に滞りあるとお思いになってくださいまし。」
ミシュレオンは妖艶に笑ってロベルトの肩にしなだれ掛かる。ロベルトは強く唇を噛んで、呆然と立ち尽くすエールカから目を逸らした。
「…勘違いさせたならすまない。側室の1人としてどうかという誘いであった。」
かっと全身が赤く染まったような気がした。
「あら、側室などというような上品なものではございません。娼館の女と一緒。ただの道具でございます。」
これ以上の侮辱があろうか。あまりの悔しさにエールカの瞳から熱い涙が溢れる。村のために。それだけを理由に頑張ってきた。みんなの笑顔を守るために。
その笑顔を守るためには、こんな屈辱を我慢せねばならないのだろうか。しかし、この提案を受け入れなければ城の図書館に入ることはできない。それはつまり、村を救うための植物の名前を知る機会が永遠に失われることを意味した。
本当はまたミシュレオンの頬をぶん殴ってやりたい。なんなら髪の毛を全部むしり取ってやりたい。しかし、それをすればもう退学処分などという甘い罰ではすまない。学校を退学となったエールカには、階級制度が適応される。貴族に手を出せば死刑になることだってあるのだ。
もしかしたら、この申し出を断ること事態が不敬罪にあたるのかもしれない。全てはミシュレオンの手の上で踊らされていたのだろうか。
「…私はあなたに何かしましたか?」
あまりのやりように、エールカは思わずミシュレオンに尋ねた。するとミシュレオンはクスッと笑う。
「最初から気に入らなかったの。その光。本当に気に入らない。消えたはずなのに、また戻ってきたのね。」
訳の分からない言葉にエールカは混乱する。そんなエールカにミシュレオンは畳み掛ける。
「さぁ、どうされますの?村に帰ったとしても、あなたを受け入れる方がいらっしゃるのかしら?…あぁ、あなたの幼馴染がいるのだったわね。それはそれは優秀な方達が。ふふふふ。」
ミシュレオンの瞳が不気味に歪む。化粧で彩られていたはずのその瞳は、半月のように細く、引き絞られていく。紫色の瞳がなんだか暗く汚れていっているような感じもして、エールカの身体にゾッと悪寒が走った。目を逸らしたくてもできない。心の中の何かが吸い取られていくような感覚に、その場に崩れ落ちそうになる。
「さぁ!さぁ!どうするのです?答えを聞かせてちょうだいな!」
「おーう、エールカ。来たぞぉ?」
「へっ?」
校門の外から聞こえる声。低く艶があり、そして優しさが滲み出る懐かしい声を聞いて、エールカはゆっくりと顔を上げる。
いた。大事な幼馴染が。
「アウラ…?」
「おう。久しぶりだな。」
くあっと大きな欠伸をした後、ニカッと太陽のように笑う。筋骨隆々の美丈夫は、ヒラヒラと手を振ってそこに立っていたのだった。
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