第56話 Happy Side.

……痛え。なんかすげえ頭が痛え。

どうしたんだ、俺。特にこめかみの辺りがひどく痛い。


ふと気づくと、なんだか背中に地面の感触がする。俺は倒れているのか。

ゆっくりと目を開いた。


空が見えた。雲ひとつない澄みきった青い空。

でも俺が学校の昼休みに、校舎裏で寝転んで見たあの青空とはどこか違う。


あんなビル街の間から見える、切り取られた、絵画のような青空じゃない。どこまでも延々と続く広い広い空だ。際限のない空だ。


何かが聴こえる。

耳を澄ますと、サラサラと水の流れる音がする。

川のせせらぎのようだ。

俺はその音がする方に顔を向けた。

そこには大きな川があり、豊かな水量を河口へと雄大に流している。



ここは、どこだろう? 

多摩川の土手のキャンプ場か何かか?

子供の頃、親の車で何度か来て、バーベキューをしたっけ。


その、のどかな川のせせらぎを聴いていた俺の鼓膜を破るくらいの音量で、


「チンコーっ!」


と叫ぶ女の人の声がした。

なんだよ、チンコーって。下品だな。

嫌だな、嫌だな、怖いな、怖いな。


その女はなおも、

「チンコ! チンコ! チンコ!」と、一完歩ずつチンコ! と叫びながら、激しく足音を立てて、近づいて来る。


下品な言葉が、避けようもなく近づいて来る。


嫌だな、嫌だな、怖いな、怖いな、と思っていると、寝転んでいる俺の顔に影を落として、上から覗き込む女の顔が見えた。下品な言葉を何度も放った張本人だ。


でも、この女、どこか見覚えがある。


「チンコチンコシコシコカワカブリヘンタイヨイコ」

 

本当に下品だ。芯を食った下品さだ。

こんな下品なことを言うのは、あの女しかいない。

ユリナだ。


……ということは?


「リズム? リズムなの? ねえっ!」

遠くから叫ぶ声がした。


あの声はキララの声だ。


ドスンドスンと重たく腹に響く重低音がした。まるで重機で地面をならすみたいに。その音が響くたびに体が跳ねるくらいの振動がある。


俺はその音を立てている主を見た。

それは巨大な足で、大地を一歩一歩踏みしめて近づいて来る、体長30メートルくらいの金色のドラゴンと、その背中に乗ったキララだった。


「リズムーっ! 本当にリズムーっ、なんだね!」


2回目の、リズムーって、引き伸ばすの要らないよな。


「おおっ! キララっ!」

「すごく、すごく会いたかったよっ! リズム!」 


ドラゴンから飛び降りたキララが、俺に走り寄って、その細い体で抱きついて来た。キララは妖精が着るようなヒラヒラのついた白いふわふわの服を着ていて、その柔らかな繊維が体に心地良かった。キララがこんなにも華奢な体をしていたことを、いま思い出した。


キララは髪に華やかな赤い花を挿していて、俺はその髪にそっと顔を埋めた。

久しぶりに嗅いだキララの髪の匂いは、かぐわしい花の香りがした。太陽の陽射しをたっぷりと吸った、暖かな匂いだ。


「キララ元気だったんだ! つか、ここ異世界だよな、異世界ってやっぱりあったんだ!」


「あるよ、当たり前じゃん。みんないるよ、カメも猿橋くんも、リズムのおじさん、おばさんも」


「おーい、リズムーっ!」

猿橋の声がした。遠くから勇者の格好をして、腰に刀剣の鞘をぶら下げた猿橋と、本当にデカい陸ガメになったカメ、


武蔵坊弁慶みたいな格好をした武器屋の武郎と、水晶の玉を抱えてチャイナドレスを着た正恵が、みんな笑顔でこっちに向かって歩いて来る。サザエさんのオープニングみたいに。


『俺、超能力が使えるから、しゃべらなくても、思ってることが伝えられるんだよ』


猿橋が久しぶりに俺の頭に直接話しかけてきた。


うん、わかってるよ。俺は心の中でそう言った。


『俺、超能力が使えるから、しゃべらなくても、思ってることが伝えられるんだよ』


だからわかってるよ! 相変わらず意志の疎通が出来ない奴だな。


カメも大きな甲羅が真っ二つに割れそうになっていた。また死のビームを避けるための盾に使われたのだろう。


武郎と正恵も元気そうだ。特に正恵はあんな恥ずかしい死に方をしたのに、まったく悪びれずに俺に笑顔を向けて、「リズムっ!」と大きく手を振った。


その手であの電球を。

いや、もう電球のことは忘れよう。


「みんなリズムが来るのを待ってたんだよ!」

キララが俺の耳元で言った。

「うん、俺だってここに来ることを待ち望んでたんだ」


俺とキララはキスをした。それは初めてする深い深いキスだった。互いの熱い想いを、力任せに寄せ合った、深くて熱くて濃厚なキスだった。


「なんだい、この子ったら。母親の前でディープキスなんかして。まったく今の子は恥じらいがないねえ。お父さん、私たちも負けずに交尾しようか?」


「しないよ」


武郎は呆れ顔で言ってるけど、

二人がちゃんと交尾してたら、正恵もあんな死に方しなかったのにな。


俺とキララは、お互いの唇を熱く激しく求め合った後、そっと顔を離した。キララははにかんで、女の子の一番かわいい顔をしてうつむいた。


そして顔を上げると、


「リズム、この世界に来たばかりなのにごめんね。これから高島政宏魔王がちゃっかり生き返ったから、征伐しに行かなきゃならないの。あいつまたムチとローソク持って、ボンデージファッションで暴れてるから」


政宏魔王、変わらねえな。


「俺も行くよ、みんなと一緒に」


「でも着てる服、旅人の服だし、武器もコンボウしか持ってないけど大丈夫?」

「当たり前だよ、俺、結構ケンカ強いんだぜ。半グレたちを締めてたし。だからこれからモンスターを倒しまくって、すぐにレベル上げてやるよ。俺、Tueeeeから」

「まあ死んでもすぐにユリナが生き返らせてくれるから、いいか。じゃあ、すぐに行こっか」

「おーっ!」


俺はキララたちのパーティーに加わった。


俺はキララと一緒にドラゴンに乗せてもらった。他のみんなは荷馬車に乗り込み、武郎が馬に鞭を打って走らせた。


ドラゴンは背中の翼を広げると、力強く空を飛んだ。俺はドラゴンの背中の金色の毛につかまりながら、真下に見える緑の大地を見おろした。


大地はどこまでも、どこまでも続いている。

その向こうには城や要塞が見え、街のような華やかな場所も見える。


これから俺はみんなと冒険を始めるんだ!

もう1人きりじゃないんだ!


心が躍り出すのを感じる。

俺はこの異世界で生きて行くんだ!


髪をなびかせる強い風を感じながら、

俺はそう思った。

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