第52話 言葉のあや
ハンカチで手を拭きながら出て来たのは、浅月さんだった。
「浅月さんっ!」
俺はもう、拉致監禁されてるものと思ったので、テレビの音量の48くらいデカい声を出してしまった。
浅月さんは俺たちを見て、
「な、何、どうしたの? 俺なんか悪いことしましたか? ただトイレにいただけですよ。ちょっとお腹下ってて」
アジトの隠し部屋がトイレってなんだよ。
「心配したじゃん。机に書きかけの遺書を置いて、その本人がいないなんて。絶対、拉致されたと思うって」
「それは遺書じゃないですよ。買ったばかりのボールペンが書けるかどうか試し書きしてたんです」
試し書きで『先立つ不幸をお許し』なんて書くなよ。よく普通にその言葉が浮かんだな。
それに途中で書くのをやめてトイレに行くなよ。せめて、お許し下さいまで書けよ。お許し下さいまでよぉっ。
「でも、封筒に遺書って書いてあるじゃない。これは何?」
杏さんが問いただした。
「これは封筒に『遺書』って、印刷されてる面白グッズですよ。よく見て下さいよ、手書きじゃないでしょ?」
封筒を見ると、確かに印刷された文字だ。
こんな物、いつどこで使うのだ? 遺書としてしか使えないだろう。こんなのが20枚くらい入ってたら、使い切れないだろ。
遺書って書かれた封筒に、学校からのお知らせの紙が入ってたら怖えな。
「それに、ここはアンミカさんしか知らないから、誰も来られないんですよね。だから安心して、長クソ垂れてたんですよ」
垂れるな、汚ねえな。
俺は浅月さんの顔をよーく見てみた。
浅月さんは少し歳取ってはいるが、銭湯アイドルと呼ばれているおじさんたちみたいに、わりと端正な顔立ちをしていた。
年齢的にはキララが姪だとしたらちょうどいいくらいの歳だ。
「あのさ、浅月さんに聞きたいこと、すげえあるんだけど」
「なんですか、リズムさん。なんでも言って下さいよ。なんでもって、なんでもいいわけじゃないですからね。初体験の話とかはしないですよ。親戚のお姉さんに通夜の晩に強引にやられたとか」
「聞きたくねえわ、いや、その話は今度聞くわ。忘れずに聞くわ。ちょっと興味出たわ。
今、聞きたいのは、なんでキララがあんたの姪だってことを隠してたってことだよ」
「私が初めて浅月って名乗った時に、リズムさんは気づくと思ったんです。でも何もおっしゃらなかっので、私もそのままスルーしました。いつか自然な形で気づかれる方がいいと思って」
「全然、自然じゃないわ。恩田さんにあんたをぶっ殺せって、言われた時に、ついでに教えられたわ。すげえ、ためた後に」
「私を、ぶっ殺す、ですか。まあ組織を裏切った訳ですからね」
「どうして恩田さんを裏切ったの?」
「契約更改で少し揉めまして」
「契約更改?」
杏さんが、すっとんきょうな声をあげた。
すっとんきょう。こんな言葉初めて使うな。
今日はすっとんきょうの初体験だ。
通夜の晩に親戚のお姉さんに、強引にすっとんきょうって、言わされるよりはマシだな。
「契約更改って、あんたはプロ野球選手か?」
「いや毎年、シーズンオフに恩田さんと契約更改するんですよ」
「死体消しにシーズンオフなんてないだろ」
「それがあるんですよ。10月に公式戦が終了したら、年内はシーズンオフです。
無理して投げて肩でも壊したら大変ですから、休みも必要です。夜の素振りは欠かさないですけど」
もうツッコむとこばっかだな。
死体消しの公式戦ってなんだよ。非公式だろ、そんなの。
それに肩でも壊したらって、何を投げるんだよ。
最後は下ネタだし。
「で、その時に、今年の成績を元に恩田さんと話し合うんです。今年、摘出した臓器の数とか、死体を消した人数とか、それによる組織への経済効果などで、具体的な額を割り出して恩田さんが提示するんです。
恩田さんが私に提示したのは、前年から30%ダウンの金額でした。私は少しゴネました。まあ許せる範囲だったので、サインしても良かったのですが、
やっぱりちよっとは我を出さないと、と思って1度目は保留しました。そして2度目も交渉決裂となりました。
その時に、緊急のオペが入りました。
シーズンオフでも時々あるんです。でも交渉が成立してなかったので断ったのです。
でもそれは某国の貧しい女の子が心臓疾患で、心臓移植しか助からないので、闇のクラウドファンディングで集めたお金で移植をするという、案件だったんです。
その女の子には、どうしても心臓が必要だったんです。
でもそんなことを知らない私はそれを断ってしまった。
通常、臓器を摘出したら運び屋に渡すまでが私の仕事で、その臓器が誰に移植されるかは知らされません。誰に移植されるかその時点ではわからないことも多いですし。
そしてその某国の女の子は亡くなりました。
そのことで恩田さんは激怒しました。
恩田さんは反社で、悪の権化なのに正義感が強いという、アンビバレントな人です。
その女の子が私のエゴのせいで亡くなったことが許せなかったのでしょう。
それで虹のかけはしに、私をぶっ殺せ令が発されました。でも、ぶっ殺せ令は言葉のあやで、本当は見つけ出して説得して連れて来いという、温和な意味なんです。恩田さんとは長い付き合いだからわかります」
えっ、マジか。本当にぶっ殺すことだと思ってた。
ひとつ間違ったら、マジでぶっ殺すとこだった。
つか、そんな言葉のあやなんか、わかるか!
「まあ、それで恩田さんの怒りが収まるまで、ここに隠れていたわけです」
なんだよ、それ。
尿意を催すようなふざけた話を聞かされて、本当に尿意を催してしまった。
「なんかションベンしたくなったから、トイレ借りるわ」
俺はさっき浅月さんが出て来た隠し部屋のトイレに行こうとした。
「あっ、そこには入らないで!」
「いいじゃん、隠し部屋のトイレで一度してみたかったんだよ。ちゃんと便器から外さずにするから」
俺は壁を押して、中に入った。
でもそこはトイレではなかった。
真っ白い壁に囲まれた、20帖くらいの部屋で、その奥には指輪などの貴金属が置かれるようなガラス張りのショーケースがひとつ置かれていた。
俺はなぜか惹かれるように、そのショーケースに近づいて行った。
背中から浅月さんの「やめて下さい! 見ないで下さい!」と叫ぶ声が響いた。
俺はそのショーケースの前に立った。
その中を覗くと、俺の胸の中に風が吹いて、心の水面にさざ波が立った。
ケースの中で目を瞑り、横になっていたのは、
制服姿のキララだった……
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