第41話 3日間の断食道場
一人暮らしは寂しいかと思ったら、自由の方が勝っていた。
武郎と正恵が死んでいたら、そうは思えなかったかもしれないけど、異世界で生きてるし。正恵の死に方については、天井の電球を見るたびに思い出すけど。
メシはコンビニ弁当でもマックでもいいし、まあ掃除も洗濯もやれば出来る。
やれば出来る。
ティモンディ高岸は偉大だと思う。
今日は家にある冷凍食品で晩メシは済まそうと思ったら、インターフォンが鳴った。
誰だろうと覗き穴から見たら、真中名さん、いや、よだれだよさん、いや、真中名香那眞さん、いや回文さんが立っていた。
思わずドアを開けると、「ごめんなさい、突然来ちゃって。お母さん亡くなったって聞いたから、晩ご飯でもと思って」
えっ、回文さん俺の家、知ってたっけ?
俺のちょっと怪訝そうな表情に気づいたのか、
「姫来ちゃんから聞いていたから。前に、入来くんってどこに住んでるのって、聞いたことがあったんだ」
キララが教えるかな。あのもう、よだれだよさんに逢わないでくれたら、結婚やめるって言ってたキララが。
「そうなんだ」
「これ、持って来ただけだから」
そう言って、オレンジ色の袋を持ち上げて見せた。
Hの文字が真ん中にどんとある。エルメスの紙袋だ。
「晩ご飯、男子が作るの大変かなと思って。シチューとサラダとバケット持って来たの」
「それ手作りなの?」
「うん、バケット以外は」
よく見るとエルメスの紙袋の底の方が、茶色くにじんでいる。ビーフシチューがこぼれたのか。タッパーちゃんとフタしなかったのか。エルメスの紙袋にシチューのシミがついてるってすごいな。
俺が「ありがとう」とそれを受け取ると、「じゃあ」とよだれだよさんが、違うよ回文さんが帰ろうとしたので、
「ちょっと寄って行かない? 今、誰もいなくて寂しいし」嘘だ。俺はフリーダムを堪能していたのだ。
回文さんは俺の目を見て、「いいの?」と言った。
「うん、人の温もりが欲しかったんだ。真中名さんって、平熱高いでしょ。それだけで心が温まるから」
俺は何を言ってるんだ。平熱が高いなんて、知らねえし。やっぱり両親がいなくて、少し人恋しいのかもしれない。
「じゃあごめんね。あがらせてもらうね」
回文さんは真新しいスニーカーを脱いだ。エアジョーダンの高いヤツだ。制服姿だから油断してたけど、こんなとこに高価なモノがありやがった。
俺は母親が電球をアソコに突っ込んで倒れていたダイニングキッチンに、回文さんを招き入れた。
まさにその場所に、スリッパを履いた彼女は立っている。
俺はエルメスの紙袋に入っていた、ハイキングにでも持って行きそうな、サンリオのキャラが描かれているタッパーを出した。
あの百均にあるような透明で密閉できるタイプじゃなくて、フタをして両サイドにある留め金をパチンと止めるタイプだった。だからシチューがこぼれたのか。
俺は1番上のシナモロールのタッパーをテーブルに置き、2番目のハローキティを置き、3番目のシチューがはみ出てベトベトになった、シャケの切り身のキャラクターのタッパーを置いた。
「えっ、うそ。こぼれてた? ごめんね、今、拭くから」
彼女はポケットからハンカチを出した。もちろんHの文字が見えた。
「大丈夫、キッチンペーパーで拭くから」
俺は流しの上のキッチンペーパーホルダーをぐるぐる回して、
給食委員が鍋をひっくり返してこぼしたカレー汁でも全部拭き取れるくらいの量を引きちぎり、タッパーをきれいに拭いた。
「ほんと、ごめんね」
「大丈夫だよ、このくらい。じゃあ、早速チンしていい?」
「うん、このまま加熱出来るやつだから」
俺はタッパーを電子レンジに入れて、3分間に合わせて、「じゃあ、そこにでも座って、飲み物出すから」
その椅子は母の丸出しの下腹部に掛けたストールが置いてあった椅子だ。
「うん、ありがと」
彼女はその椅子に座った。俺はペットボトルのジャスミンティーを置いた。ジャスのミンだ。ウーのロンにしなかったのは、彼女にはジャスミンティーが合ってそうだからだ。
クルクルクルクルとレンジの中でよくわからないシャケの切り身のキャラが回っている。もっと激しく回したら、昔、母に読んでもらった絵本に出てきた虎のバターになりそうだ。あのバターで焼いたホットケーキが世界で一番食べたかったのだ。
いや、シャケの切り身がバターになるかよ。
チンと鳴って、タッパーをキッチンのフックに掛かっていた鍋つかみでつかんでテーブルに置く。鍋つかみを両手にしてる人って、なんかマヌケに見えるな。
俺はマヌケをすぐに手から外し、
そしてナイフとフォークを用意する。
俺は彼女の前に座り、
「じゃあ、ごちそうになるね」
「うん、おいしくないかもしれないけど、ごめんね」
俺はシナモロールのタッパーを開けた。
レタスとミニトマトと刻んだパプリカの上に、クルトンが乗ってその上にサウザンドアイランドのドレッシングがかかり、またその上に粉チーズが掛かっていた。
ハローキティのタッパーには焼きたてのバケットが入っていて、香ばしい焼き立てのパンの匂いがした。
途中のパン屋で買って、入れてくれたのだろう。
そして今、チンした、よくわからないシャケの切り身のキャラのタッパーを開けた。
ごろっとした牛肉とニンジンとブロッコリーが良い感じにデミグラスソースで煮込まれていて、その上からアクセントとして、うずまき状にクリームソースが掛かっていた。
『すごくおいしそうだよ、料理うまいんだね」
「女子はねえ、好きな人のためになら、頑張れるんだよ」
またアオハルが吹いた。
胸がギュッとした。
ヤバい、武郎と正恵があんな死に方したから、心が弱ってるのか。特に正恵だ、まったく。
「じゃあ、いただきます」
そう言って俺はシチューをスプーンですくって、一口食べた。
「うまいよ、すごく。フレンチの店のみたい」
「うそ、そんなに。うれしい」
彼女は、はにかんだ笑顔を見せた。
俺は、3日間の断食道場で胃をすっからかんにした、ラーメン二郎好きな小太りのオタクみたいに、って、そんな奴が断食するかわからないし、そんなオタクにはなりたくないが、
そのくらいの勢いでシチューとバケットとサラダを三角食いした。よくおかず、ご飯、味噌汁って順に三角食いしろって母に言われたな。
なんで三角なんだ。
おかずが2品あったら四角だし、3品あったら五角だし。極真空手の三角蹴りから来てるのか。来てないな。
俺が1週間の断食道場で頬がげっそりした彦摩呂みたいにガツガツ食べているのを、彼女は微笑みながら見ていた。
「ほんとおいしそうに食べるのね。うれしいな、好きな人が私の作った物なんか、おいしそうに食べてくれて」
またアオハルが吹いたではないか。
あんなにキララに真中名さんとは逢わないで。逢わなかったら結婚辞退するって、言われてたのに。
なぜだろう、なぜこんなにすんなりと、彼女は俺の心に入り込めるのだろう。
多分それは、俺が今、寂しいからじゃない。
彼女は特別な何かを持っているんだ。
俺のDNAに組み込まれた、彼女を受け入れる何かが。
そして真中名さんはメガネを取った。
ダメだ。また目がくらんでしまう。ダイヤモンドダストが現れた。うちのダイニングキッチンに。母がアソコに電球を入れて死んだ、うちのダイニングキッチンに。
俺はまぶしくてタッパーのフタをかざした。
透明なタッパーじゃなくてホント良かった。
「どうしたの、またそんなおかしなことして」
「まぶしすぎるんだよ。キミが。目が慣れるまでこうしていさせて」
「うれしい。そんな風に言ってくれて」
いや物理的にまぶしいのだ。太陽が出現したのだ。
こんな近距離で。
その時、ポケットのスマホのバイブが震えた。
「ちょっとごめん」と言って、スプーンを置いて、スマホを見た。キララからのLINEだった。
俺はスマホを開いて見て、えっ、と思った。
こんなメッセージがキララから届いたからだ。
『今、真中名さん来てるでしょ。私、あんなに近づくなと言ったのに』
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