第30話 満ち満ち
その晩、車で連れて行かれたのは、埠頭にある寂れた倉庫だった。恩田さんの運転手に送ってもらった。ミカエルも一緒だ。
「トランクに入ってますから」
恩田さんの運転手がそう言ってトランクを開けた。
戦場で死んだ兵士を入れるような袋がそこにあった。
「この袋を倉庫の中まで運んでもらえませんか」
「うん、わかった」
俺はその袋を両手でつかんだ。それほど重たいわけじゃない。これがすべての臓器を取られた人間の重みなのか。
俺はそれを持ち上げて、まるでお嬢様抱っこをするように運んだ。初めてするお嬢様抱っこが内臓のない死体だなんて、俺のアオハルは悲し過ぎる。
倉庫の中は空っぽで、唯一ステンレス製の手術台みたいな物が置かれていた。
「その上に袋を置いてもらえますか」
「うん」
俺は言われるままに、手術台みたいな物にそれを置いた。
「ジッパーを下げてもらえますか」
「俺の?」
「どうして今、あなたの股間のジッパーを開けないといけないのですか。出したいんですか? 空気に触れさせたいですか? ヌルヌルなんですか?」
「そんなに矢継ぎ早に言わなくてもいいじゃん。あ、この袋のジッパーね」
「気をつけて下さいね。グロいですから」
俺はジッパーを下ろしていった。
その死体は両目がえぐられ、開いた口には歯が一本もなく、切り裂かれた腹には、内臓をえぐられた魚のように、何も残っていなかった。これから干物にされたとしてもおかしくない。2枚におろされてるし。
睾丸やペニスもなかった。
あれも移植に使えるのか?
初めて見た死体は、オヤジが観てた映画のスタンドバイミーを一緒に見た時のようだった。死体はアオハルだった。いや、死体を見た俺がアオハルだ。俺がお嬢様抱っこで失ったアオハルが、今、死体を見て俺の中に戻って来た。
お帰り、アオハル。
「じゃあミカエルさんお願いします」
「わかりました」
ミカエルが指を一本立てると、宙に数値のようなヘブライ語のような、いやヘブライ語知らないから、古代文字的な物が並んでいった。
それが周囲を包み込むと、ミカエルの耳がピンと立った。ミカエルのミカエルが立ったのだ。
「今からこの死体を消します」
ミカエルが死体に手をかざした。
すると淡いブルーの光がてのひらから照射された。
段々と死体の色が薄くなっていき、やがてそれは消えた。袋の中にあった俺のアオハルがすっかりなくなってしまった。
「すごいな。あの死体、どこに行ったの?」
「死体は異世界にある湖に沈めた。そこにはさまざまな死体が沈んでる。この世界の人は誰もそこにはいけないから、あの死体を発見する者はいない」
「じゃあ完全犯罪だ」
「そう。誰にもバレない。死体がなければ事件にさえならない」
俺はちょっと身を乗り出して、袋の中を覗こうとした。
「リズムさん、それに近づくのはやめて下さい」
後ろから運転手さんに羽交い締めにされた。
「その金属製の台、すごい熱を持ってますから。手で触ったら溶けていって、体ごと全部なくなって、睾丸だけ残りますよ」
「なんでそれだけ残るんだよ」
「なんといっても男の勲章ですから」
何を言ってるんだ。この人は。
でも人を消すのには、すごい熱量が必要なんだ。
「これで死体はなくなりました。その後は?」
「ではこの台に冷却の魔法を」
「わかりました」
ミカエルが指を一本立てた右手に、左手の人差し指をくっつけてようとして、その直前で指を急降下させた。
手話でいうところの片思いだ。ドラマで見た。
そのポーズをした瞬間に、倉庫内の壁にオーロラが映り、耐え切れないほどの寒気が襲って来た。片思いの寒気だ。すげえ片思いだ。
運転手さんはいつの間にか南極越冬隊みたいな防寒着を着てる。こうなるなら教えてくれよ、運転手さんよぉ。
てか、運転手さん運転手さんって長えな。後で名前聞こ。
その冷気がミカエルの手の動きに合わせて、部屋を動き、ミカエルは台にてのひらを向けた。するとすべての冷気がそこに集中した。
壁のオーロラが吸い込まれるように、そこに消えて行った。
「もう大丈夫ですよ」
ミカエルが言うと、運転手さんが、
「じゃあこの耐熱耐寒の袋をジッパーを上げてたたんでもらえますか」
「これまた使うの?」
「ええ、高いですから。ロケットの技術が応用されてますので」
「わかった。あ、そうだ、運転手さん名前なんて言うの?」
「浅月と申します」
浅月。どこかで聞いたような。
「じゃあ袋を運んで、トランクに詰めるまでがリズムさんの仕事ですから」
俺は浅月さんに渡された耐熱耐寒用の手袋をはめて、袋をたたんだ。
「次の仕事はいつ?」
「ミカエル様、決まり次第連絡します。リズムさんにも」
「わかった」
俺はとても不思議な体験をしたのに、たいして不思議に思えなかった。異世界で魔王と戦っているキララたちの方が不思議に満ち満ちているからだ。
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