第18話 わりと乙女

俺たちはトイレの前のパチスロ台まで走った。

そして犯人を見た。紺色のビジネススーツで白髪混じりの髪をした40歳くらいの痩身の男だった。ABCマートの黄色い袋が落ちていた。これにレンガを入れて来たのか。


「おい、何やってんだよ」

俺が声をかけ、奴の気を引きつけた瞬間、猿橋が背後に回り、レンガを奪って腹に強烈なパンチを入れた。


男はそのまま壊れた台にもたれながら、ガラスの破片が散らばる通路にゆっくり体を沈めていった。


「おっさん何してくれてんだよ、この台いくらすると思ってんだよ?」


言ってる自分がいくらするかわからない。一回のサンマの水揚げくらいの値段だろうか。サンマの水揚げの値段もわからないが、いけすかない奴が花屋の花を全部買いしめるくらいの値段か。


いや、それもわからない。フェラーリに後ろから突っ込んだ時の賠償金くらいか。なんで後ろから突っ込むんだよ、前にフェラーリいたら慎重になるだろうフツー。ほんとグズな野郎だな。


「俺がこの店にいくら突っ込んだと思ってるんだよ! 1000万以上だぞ!」

だからってフェラーリに後ろから突っ込むなよ。


「こんなに突っ込ませたお前らが悪いんだからな」


こんなに突っ込ませた? フェラーリの後ろに? 人のせいにすんなよ。お前が自分の意思で、裁量で、フェラーリの後ろに突っ込ませたんだろうが。


「お前、聞いてんのか? 俺はもう破産だ!」

挟んだ。

何を挟んだんだ? ケツか。ケツに挟んだのか。ケツに挟むなら薔薇の花しかないだろう。一択だ。美術の時間のモデルになれそうだ。


「青山様、これで気が晴れましたか? 人生負ける時もあれば勝つ時もあります。負けっぱなしの人生なんてないんですよ。


あなたは銀行の融資係をしてらっしゃるのでしょう。お客様の情報はすべて管理してます。負けたら架空口座にお金をじゃぶじゃぶ振り込んで横領しちゃえばいいんですよ。そうすればあなたの負けはなくなりますよね。あなたの勝ちですよ、勝ち」


「そ、そうだね、横領してみようかな」

「おもらししちゃおっかな、のノリで」

「そういうノリなの? 幼児プレイの? じゃあ、おもらし、しちゃおっかな」

「はい、おもらしさえ出来れば、青山様はもう大丈夫です」

奥寺さん、イカレてるな。


「リズさん、お猿さん、青山様を玄関までお連れして下さい」


名前の詰め方と、人との距離の詰め方も下手くそだな。リズさんなんて呼ばれたことないぞ。猿橋なんて、人間ですらないし。


俺たちはイカレた奥寺さんの言う通りに、青山というおやじを2人で腕を支えながら、扉の外へ出した。


店に戻ると、

「ありがとう。うちは特殊な店だから、あんなことされても警察に届けられないの。だからなんとか青山様におもらしさせて、おとなしく帰らせるしかないの」


つか、おもらしさせてってなんだよ。比喩か? どうなんだ?


「じゃあ事務所からラップ持って来るから待ってて」


ラップ。サランラップのことか。それともヒップホップか。文脈的にヒップホップではないな。ヒップホップを持って来られてもどうしていいのかわからない。ヒップホップ意外と熱くて持てないかもしれないし。



奥寺さんが駆け足で戻って来た。

片手にはガムテープ、もう片手には、まるで腕がサイコガンになったみたいに大きな筒を腕に通していた。


その筒にはラップが巻かれていた。業務用のデカいラップだった。

「リズくん、これをはがして台の上に固定して。私がガムテで留めるから」

俺はイカレた奥寺さんの腕からサイコガンを引き抜くと、ラップをはがして台の上に当てて手で押さえた。


するとパチスロの椅子に乗った奥寺さんがガムテでそれを留めた。


「じゃあお猿さんは、ラップをはがしていって、台の下まで行ったらラップを切って手で押さえてて」


「はい」お猿さんはいつだって素直だ。バナナでも与えておけば。


お猿さんがラップを台の底に引っかけて、ひねるようにして器用に切ると、手で押さえた。


すると椅子の上から、イカれた奥寺さんが、「ガムテ、ガムテ♪」と歌いながら、椅子からぴょんと飛び降りた。


ガムテを手にすると人は陽気になる。ハイになる。何かを炙って吸ったようになる。そして廃人になる。


イカレた奥寺さんはガムテをびりっとはがして、ラップに貼りつけて台に固定させた。


「これでOK! 破片ももう飛ばないし。あ、これで危険さわるなと注意喚起の言葉をラップの上に書いて」そう言ってポケットから黒のマジックを出して、お猿さんに渡した。


お猿さんはマジックを手にすると、

『棄権』と書いた。


棄権。

どうして難しく間違えるのだ。それともこのラップに書く役を棄権するということなのか?


「お猿さん、字が、ちょっと、違うね」

イカレた奥寺さんが諭すようにゆっくり言葉を切って叱った。

するとお猿さんは、『棄権』の文字に書き足した。


『ちょっと』


ちょっと棄権。

もうこれは読んだ客は意味がわからないぞ。


「そういうことじゃなくて、危険が違うの」

お猿さんは大きくうなずいて、ちょっとという文字に✖️をして消した。そして『棄権』の下に、


『が違うの』と書いた。


棄権が違うの。

もう意味もなさないぞ。


「奥寺さん、俺が書きましょうか?」

「そうね、お猿さんには字は書けないかもね、ごめんね無理なことさせて」

「うきー」


俺はマジックを握り、『棄権が違うの』を黒く塗りつぶした。


そしてその脇に、『危険、障るな』と書いた。

するとイカレた奥寺さんが、「その障るなは、例文で言うとね


おまえはマジでしゃくに障る。

サクラの話し方は私の神経に障る。

大丈夫, おなかに障るようなものは一つもないから。


の、障るなのね」


なんだこの例文は。

サクラって誰だ。いるのか、実際に。神経に障る話し方のサクラは。


最後のはなんだ。

『大丈夫、おなかに障るようなものは一つもないから』


いつ使う。この例文を、いつ使う。


「まあ、いいや。危険で、意味がわかると思うから」

そう言ってイカレた奥寺さんが手を出したので、思わず握手した。


「違うでしょ、マジック返して」

ちょっとはにかんだ顔をして、イカレた奥寺さんが言った。


イカレた奥寺さんはわりと乙女だった。




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