第40話 愛情表現

 極微に凝縮された極大の一閃が、蒼紫の霊光を易々と斬り破る。

 星をも落とすような奔流が走り過ぎてのち、ヴラドを守るのはただ重く湿った夜の空気だけだった。出来の悪い仮面のように平板だった表情が、驚愕に歪んでひび割れる。


「こんな……馬鹿な……」

 その惨めな敗北の様をシャルロッテは嗤わない。

「終わりだ」

 足元まで振り切ったシュリギアを静かに構え直し、棒立ちのヴラドの胸の中央に真っ直ぐに突き込んだ。


 地上に堕ちて独り幾星霜を過ごした、銀髪の珠士の半開きの口から血の泡が零れ出る。

 瞳は焦点が合っていない。ここではないどこか遠くに向けられているようだった。


「……これで、やっと、かえれ……」

 微笑んだと見えたのは、あるいは一瞬の幻だったのかもしれない。

 硬い音が床を打った。落ちて転がった丸い石の表面に、淡く光の漣が立った。しかし長くは続かずに、黒ずんだ色になって静止する。


 シャルロッテは持ち主の消えた玉を拾い上げた。らしくもなく沈んだ横顔だった。元の霊体に戻って再び身が分れた今、陽虎に主の心の内は知られない。

 ヴラドは最初から最後まで敵であり、必然としてシャルロッテは完膚なきまでに討ち果たした。それでも本来属する世界を等しくする者同士だったのだ。幾許かの感傷を抱くのは当然だろう。

 とはいえこれほど打ちひしがれた様子はさすがに予想外……いやそうじゃない。


「おい、しっかりしろ!」

 がくりと崩れ落ちたシャルロッテを支える。幸い意識はあって、体の重さを預けながら陽虎を見て片頬だけで笑う。

 嫌な予感がした。きっとまた悪ふざけをたくらんでいる。


「んんっ」

 案の定だった。しっかりと唇を塞がれる。

 さすがにもう慣れた、とは言わない。だけど抵抗はしなかった。


「……ふう」

 思いの外短い時間で、柔らかく濡れた感触が離れていく。

「今のも気つけか?」

 満足げに吐息をついたシャルロッテを、口元をこすりながら陽虎は睨んだ。霊気の補給が必要なら拒否するわけにもいかないが、断りを入れるぐらいしろよ、と思う。

 シャルロッテは平然と首を振った。


「いいや? ただの愛情表現だ」

「はぁ?」

 陽虎は素っ頓狂な声を上げた。冗談だとしても、なんとも対応に困る。

 シャルロッテは直ぐに陽虎を見つめる。黒褐色の頬がわずかに上気している。きっとさっきまでの激烈な戦闘の名残りだろう。そうに決まっている。


「あ、そういえばヒカゲとか他の囚われてる人達はどうなったんだ? 無事なのか?」

 露骨な話題の転換に、シャルロッテは一呼吸の間を置いて応じた。


「たぶんな。ヴラドに縛られてた魂は全部解放した。ここに体がある分は自然と元に戻るだろ。そんなことより陽虎」

「な、なんだよ」

「お前、あたしにしてほしいことがあるよな。すっげー大事なことだ」

 脳に針を刺されたみたいな気がした。とある記憶が鮮やかに再生される。


“あたしと交尾させてやる”

 陽虎を下僕にする「おまけ」として、シャルロッテが言った台詞だ。あの時はうやむやになってしまったが、約束はまだ生きているのか。


 正直、高まる。

 シャルロッテとはとんでもなく濃密な時を共に過ごした。文字通り体だって重ねたのだ。今さらためらう理由があるか?


「シャル、俺は櫻子のことが好きなんだ」

 だがこの気持はなくせない。陽虎の突然の告白に、シャルロッテは少し驚いたふうな顔をした。それから苛立たしげに言い返す。


「関係ねえだろ。これはあたしとお前の間のことだぜ」

「それは……そうかもしれない。けど、さ」

「櫻子のことはあとだ。やるぞ」


「ちょっと待て、今ここでかよ? まだ心の準備が、ってか俺だって初めてなんだからせめて時と場所を選んで」

「陽虎」

 シャルロッテは陽虎の肩を掴むとずいと顔を寄せた。また唇を奪われるのかと思いきや、戦いのさなかには猛く輝く瞳が今は澄んだ光を湛えて思いを伝える。


「あたしはやると決めたことはやる女だ。お前もいい加減覚悟を決めろ」

 陽虎は固い唾を呑み込んだ。ぎこちなく頷く。

「分った。俺も男だ。やってやる」


「よし」

 シャルロッテはくるりと後ろを向いた。黒革の短衣に包まれたしなやかな腰に、陽虎の視線は吸い付けられた。


「えっと、あの、いきなり後ろから、するのか?」

「ん? 何をだ」

「何って、こうび……」


「だーっ、まどろっこしい、お前がいなくちゃ始めらんないだろうが!」

 シャルロッテは腕を掴むと強引に引き寄せた。前に縦長の台座が置いてあり、上には全裸の首無しの男が載っている。


「俺の体……まさかあんた」

 陽虎は震えた。いくらシャルロッテが肉食系だとしても限度というものがある。

「霊体と肉体で同時に後ろから前からなんて、鬼畜で異次元なプレイをするつもりかよ!?」


「さっきからお前は何を言ってるんだ」

 シャルロッテが生白い目を向けた。

「お前を生き返らせるのにお前の体を使うのは当然だろうが。それとも霊体のままの方がいいってのか?」

「……なんかすまん。頼む。元の体に戻りたいです」

 陽虎は心から言った。

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