第39話 一心同体

 まだ何体か残っていたはずの霊鬼は全ていつのまにか消えていた。

 ヴラドはシャルロッテとの超常的な鍔迫り合いに集中していて、新たな霊鬼を作り出す余裕はさすがにあるまい。つまり今や背後はがら空きだった。


 やるか?

 陽虎は一瞬考えた。無理だ。確かに陽虎はヴラドの眼中に入っていない。攻撃を掛けること自体は可能だろう。けれど絶対に通じない。


 ヴラドが身に纏う霊気の密度が尋常じゃない。陽虎ごとき半端な霊体が殴りかかったところで、触れた瞬間に弾き飛ばされるか、悪くすればばらばらになってしまうだろう。


「ん……くっ」

 シャルロッテが苦しげな呻きを洩らす。

 ヴラドの石から発する強烈な蒼紫の光を、シュリギアはどうにか受け止めることができている。


 しかし剣の持ち主の方はいかにも危うかった。今にも圧力に抗しきれずぽっきりと折れてしまいそうだ。

 同じ天界人でも、そもそもの地力が下回っているということか。


 違う。そんなはずがない。

 あの男が優位に立っているのはただその卑劣さの故だ。

 無辜の少女達を呪縛し、霊気を吸い上げてきたことで得た力の賜物だ。


 そんな糞野郎に、自らを削ってでも筋を通すシャルロッテが敗れるなんて駄目だ。

 それに綺麗事を抜きにしても、もし主のシャルロッテが命を落としたら、下僕の陽虎とそして櫻子の魂だって無事では済まない。


 とはいえ陽虎は元来平凡な地上人、しかも今は借り物の霊の体だ。助太刀をするどころか、重石になっているのにも等しい。

 何か手はないのか。この状況を打破してシャルロッテと一心同体となって戦うために、自分には何ができる?


 一心同体――そうだ。

 できる確証なんてあるわけもない。けれどためらっている暇はない。

 陽虎は意を決してシャルロッテの後ろに回り込み、しかしすぐさま後退りしそうになった。


 まるで煮え滾る溶岩流にでも直面したみたいだった。ヴラドの操る蒼紫の霊光は凄まじ過ぎた。そのほとんどはシュリギアが防いでいるが、周りから零れ落ちた粒が、灼熱の飛沫となって飛んでくる。


 こんな桁外れの存在にシャルロッテは真っ向から張り合っているのだ。陽虎は震える思いだった。やはり自分とは次元の違う存在なのだと心底から実感する。

 だがそれがどうした。


 シャルロッテ目指してじりじりと足を進める。磁石の同じ極を合わせようとする時みたいに、近付くにつれてさらに抵抗が増していく。

 単なる気後れや、ヴラドの霊光の流れに逆らっているせいばかりではなかった。

 シャルロッテの霊気の密度もまた、通常よりはるかに高まっているのだ。内に漲る力が外にまで溢れ出ている。


 行けるのか?

 分らない。

 むしろ絶対に無理だという気すらした。この体が耐えられる限界を超えるやいなや、自分が跡形もなく消し飛んでしまう。そんな想像に捕らわれる。


 ヴラドの霊光がさらにいっそう圧力を増し、剣士の背中が強風に煽られたみたいに揺らぐ。

 しかし命の際にあってなおいっそう明らかに、シャルロッテの魂は輝いている。

 あの場所に自分も辿り着きたい。

 陽虎は祈るように前に出た。


“上等だぜ、陽虎。あたしの中に入って来な”

 不敵な笑い混じりの声が胸に響いた。身心の強張りがふっとほどける。

 もっと軽く。もっと自由に。どうせ陽虎がいくらむきになったって、天界人の霊気は破れない。


 それに、本当は初めから一つだったのだ。

 余りに運命的な出逢いを果たしたあの瞬間からずっと、陽虎とシャルロッテは繋がっていた。


 陽虎の体が消えてシャルロッテと溶け合う。

 シャルロッテがそこにいる。陽虎がここにいる。

 それは宇宙最高の奇跡にして、最もありふれた出来事だ。

 二個の魂がぴたりと重なるその刹那、無限の力が解き放たれた。

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