第37話 スタミナ

「てぃゃっ!」

 既に幾たび同じ場面が繰り返されたことだろう。

 鋭い呼気と共にシャルロッテがシュリギアを唸らせる。銀に輝く刃は人型をしたモノを触れる端から無に返す。天界の竜の潜性力を封じて鍛えられし霊剣だ。その威力の前には地上の粗い霊気から作られた鬼など紙よりもなお薄い。

 シャルロッテは一発の反撃も許さぬまま、その場にいた全ての霊鬼を斬り伏せる。


「はあ、はあ……んっ」

 しかし踏み込んでいたシャルロッテの膝ががくりと崩れた。肩を荒く上下させ、すぐには体勢を立て直すこともままならなず、ただ目ばかりを爛々と光らせる。


「口ほどにもない。もう終わりか」

 冷然と見下す珠士の青白い額には、汗一粒浮いてはいない。シャルロッテは顔をしかめた。


「……はっ、馬鹿言ってんじゃねえ、こんなの準備運動にもなりゃしねえよ……てめえの作った霊鬼なんざ、百万匹だって潰してやるさ」

「ならば試してみることだな。ただし、霊鬼を狩り尽くせば材料にしている娘どもも全員死ぬぞ。無論我はそれでも一向に構わぬ」


「ゲス野郎、それであたしを脅してるつもりかよ?」

「単なる事実だ。貴様がどう受け取ろうと我の知ったことではない」

 シャルロッテは面白くなさそうに黙り込んだ。必要以上に強く柄を握り締めているせいか、剣先が小刻みに震えている。全身の筋肉が張り詰め、軋む音が聞こえてくるかのようだ。


 それでもまだシャルロッテは全力を出していない。

 自らも霊体となった陽虎には分る。

 万物は霊気がなければ動けない。ただ在ることさえできない。


 そしてシャルロッテ達の本来いるべき世界に比べて、地上は霊気の密度が低いらしい。いわば空気が薄い場所にいるがごとく、シャルロッテは全開での戦いができていないのだ。


 対して敵手たるヴラドは、不足する霊気を囚えた少女達から吸収して補っている。

 なのにシャルロッテがしていることはまるで逆だ。自らのなけなしの霊気を費して、肉体から分離した陽虎の魂を繋ぎ留めている。


 それがどの程度の重荷なのかは分らない。陽虎を殺した者として当然の義務なのも確かだろう。

 けれどシャルロッテは見捨てることだってできた。あるいはヴラドがヒカゲにしたように、他の人間の魂を虜とする道具として使役することもだ。


「次だ。来い」

 シャルロッテが霊鬼の襲撃を退ける。手にしたシュリギアの威力には些かの翳りもなく、刃に捉えた敵を瞬時にして屠り去る。霊鬼はほぼ為す術なしだ。されどシャルロッテの反応速度も太刀筋も、少しずつ鈍くなっていく。


 新たに生成された霊鬼は七体だった。豪快な初太刀で四体は即消滅、二体の放った光弾をシャルロッテはぎりぎりの見切りでかわすと右に左に斬り伏せ、最後に残った霊鬼の体当りを喰らってよろけつつも直後には頭から両断してのけた。朝日を浴びた夜露よりも儚く灰色の人型のモノは消え去り、そして八体の霊鬼が出現する。


 刹那、陽虎の意識が遠くなった。それどころか体そのものまでが薄くなった。

 確かに気のせいではない。

 陽虎が回復するのと引き換えのように、シャルロッテの表情が生彩を失った。まるで高解像度のデジタルデータが、古いモノクロフィルムに差し替わってしまったかのようだ。その理由を直感的に陽虎は悟る。


 下僕に与えるべき霊気がいっとき途絶え、気付いた主が元の水準に戻すため自らの分を強引に削ったのだ。

 体をふらつかせたシャルロッテと陽虎の視線が交錯し、だがことさら語り掛けてくることもなく、黒褐色の肌の剣士は足を踏み締め八体の霊鬼と対峙する。


 どうやら陽虎を武器として操るつもりはないらしい。

 俺のことは気にしなくていいから好きなようにやれ、とは言えなかった。

 陽虎にだって都合というものがある。そもそもこの場にいることからして、百パーセント巻き込まれた結果である。シャルロッテには恨みこそあれ、粉骨砕身して助ける義理などありはしない。


 けれどこのまま傍観してるだけでいいのか?

 あの陰気臭い男は、己のために何人もの少女を犠牲にしている。他ならぬ櫻子も被害者で、ひとまずは助け出せたとはいえ未だ安全とはほど遠い。


 櫻子の魂を預かるシャルロッテは、いま八体の霊鬼を撃破して、続いて九体に取り巻かれた。

 黒革の上下の短衣はぼろぼろになっていく一方だ。服として役に立たなくなる時も近いだろう。剥き出しになった肌はどこもかしこも痣や傷で斑模様になっている。


 それでもシャルロッテは楽しげだった。

 自暴自棄にも狂気にも陥ることなく、おそらくは最期の瞬間まで笑いながら戦い抜く。

 九体の霊鬼に包囲されたシャルロッテは、しかし今度も必ず切り抜けるに違いない。


 だが次はどうだ。そのさらに次はどうなる。

 永遠に続くことなどあり得ない。いつかは精根尽き果てる。

 そしてもしそれがシャルロッテでないとしたら、命を落とすのは魂を囚われた人達だ。


 ふざけてる。

 陽虎は拳を握り締めた。

 そして今まさにシャルロッテに攻撃を掛けようとしている霊鬼に標的を、定めなかった。


「地上人ごときが……なんのつもりだ」

「ふん」

 壁際に弾き飛ばされた陽虎は、ズキズキと痛む胸元をさすった。ヴラドの背後から思い切り殴りかかろうとして、だが寸前で察知され光弾を打ち込まれたのだ。


 向こうもさすがに予想外だったのだろう。ずいぶん小粒の一発ではあったものの、陽虎にとってはかつて味わったことのない衝撃だった。もし生身の体だったら、きっと肋骨がいっていたに違いない。

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