第三章 覗き見の代償

第16話 霊鬼

 女子小学生と成人刑事が主従の契りを結び、女子高生一名を加えて、ある住宅に辿り着く少し前のことである。


 当の家では女剣士と幽霊男子高生の主従が少しばかり険悪になっていた。

 もちろん原因はシャルロッテにある、と陽虎ようこは思った。誤って人の命を奪っておきながら、どうしてこうもだらけていられる。しかもまさに償うべき相手の前で。


「おいシャルロッテ」

 畳の上にぐたりと寝転んだ自称天界人の姿は陽虎をひたすら苛立たせた。


「なんだよ」

 シャルロッテは一応返事を寄越したものの、ろくに身動きもしない。昨夜櫻子さくらこの部屋から戻って以来ずっとこの調子だった。


晴日はるひみたいなずっと年下が頑張ってるってのに、あんたはただ寝て待ってるだけか? 誰のせいでこんなことになったと思ってる。人として恥ずかしくないのかよ」


 自分は何もせず妹に任せっきりなのは陽虎も同罪だったが、いかんせんシャルロッテの霊力のおかげで存在を保っている身である。主の元を離れて自由には動けない。


 シャルロッテはうるさげに口先をすぼめた。

「やる時が来たらやるさ。そのために休んでるんだ」

「やる気のない奴の台詞にしか聞こえないんだが……ああそっか」

 陽虎はことさら嘲笑する風情になった。


「そもそもあんたがこっちに落ちて来たのって負けたからだもんな。本当は戻ってまた戦うのが怖いんだろ。だからそうやってうだうだしてるんだな?」

「……はん?」


 シャルロッテが頭をもたげた。弛んでいた雰囲気が一瞬で剥がれ落ち、肉食獣が獲物の存在を感知したみたいな猛々しさが表れる。


 まずい。陽虎は臍を噛む。やる気を出させようとする余り、つい殺る気スイッチまで押してしまったらしい。


 しかし平凡人の己にも意地がある。たとえ相手に生殺与奪の権を握られていようと、いやだからこそなおさら負け犬にはなるものか。陽虎は武張ってシャルロッテに指を突き付けた。


「ずず、図星か? くくく悔しかったら……」

「黙ってろ」


 震え声の陽虎を、シャルロッテは問答無用に突き飛ばした。

 自動車にぶち当たられたみたいに為す術もなく引っ繰り返り、ごろごろと転がる陽虎の視界を、影が過った。


 正体は分らない。ただひどくいやな感じがした。哀しみや怒りといった負の心的エネルギーだけを抽出して煮詰め、絶対零度で凍らせたみたいだった。

 人の形をした半透明の不吉な影を、シャルロッテは睨みつけた。


「どうして霊鬼がこんなところにいやがる。まさかシュシュの奴が追撃に来るわけはねーしな。なんか知らんけど、こっちにも珠士じゅしみたいな根性の捻じくれた連中がいるってことか」


 その霊鬼なるものは陽虎のイメージする鬼とはずいぶん異なっていた。角も生えていなければ筋骨隆々としているわけでもない。逆にビニール袋みたいに薄っぺらくて、質量も乏しそうだ。


 身の丈は百五、六十センチといったところか。どちらかといえば女の体型のようにも思えるが、定かでない。性別を考える意味があるのかも怪しい。


「ったく、鬱陶しい。叩っ切ってやるぜ」

 シャルロッテは宙空に腕を振った。次の瞬間、まるで不可視の鞘から抜き出したみたいに白銀の剣が出現する。


 対して霊鬼は不気味に静止している。目鼻のない顔からは表情を窺い知る余地もない。シャルロッテは相手の様子には頓着せず、剣を大上段に振り上げる。


「はっ!」

 短い気勢と共に真っ向から切り下ろす。ただそれだけで小規模な竜巻のようなうねりが生じた。


 戦闘には全く素人の陽虎にも瞭然だった。この一撃だけで決着だ。

 霊鬼は後ろに下がる素振りを見せたが甲斐はなく、白銀の暴風に捉えられて吹き散らされたように消失する。


 シャルロッテは舌打ちした。

「つまんねー。こんな程度なら初めから出て来るなっての」

 その背後に新たな影が湧き上がった。見る間に人の形を備えていき、鋭く尖らせた手刀を構える。


 陽虎は身の内側を氷で撫でられたような錯覚を覚えた。殺しても到底死にそうにない女だが、あの一撃はなんだかやばい気がする。


「シャル!」

 陽虎の警告に反応してシャルロッテの肩が動いた。しかしもう避けきれない。殺気ならぬ滅気とでもいうべきものをまつらわせた指先が、天界の剣士の延髄へと突き込まれる。


(来い!)

 シャルロッテの命令が陽虎の中で高らかに鳴り渡った。

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