第9話 地下室にて

 陽虎や櫻子の家がある野見のみ市に、箸丘はしおかと呼ばれる小高い地をまるまる内に含めた、広大な私邸がある。その中に建てられた家屋の地下、ある特別な目的のために設けられた一画に、奇妙な物体が運び込まれていた。


 長方形の台の上に載せられたそれは、概ね人の形をしている。

 だが生きた人間でないのは確実だった。手首を取っても脈はなく、仮に精密な心電計を使ったところで、わずかのパルスも検知できまい。


 なにしろ首から上がない。

 だが首なし死体としてもやはりそれは異常だった。着衣を取られて露になった肌は、未だ血が通っているかのごとくに瑞々しい。


 さらに特筆すべきは首の切断面である。縫合等の処置が為された形跡が皆無にもかかわらず、肉も骨も血管も整然と内部に納まっている。まるで生きた人間の一瞬間を切り取って作成した、超高精細3DCTスキャンモデルといった趣だ。


「……やはり、これは」

 斬り口を指でなぞっていた男が、感に堪えぬように呟いた。


 年齢のよく分らない、特異な風貌の持ち主だ。肩に垂らした銀髪は地毛なのか白髪なのか判然とせず、肌は皺がない割にくすんで乾いている。三十代と言っても通りそうだし、六十代だと言われても納得できる。


「おい、どうなんだ。貴様が是非にと言うから、わざわざ手を回して入手したのだぞ。苦労した甲斐はあったんだろうな」


 尊大な調子で話しかけたのは、脂ぎった初老の男だった。普段から人に命令することに慣れているらしく、たるんだ皮膚の上から覗く目には相手を呑んでかかる色がある。

 対して銀髪の男は慇懃な態度で面を伏せ、首肯した。


「間違いございません。この首を断ったのは現世の外より来た力です。結果、肉体は世の常の時の流れから切り離され、朽ちるのを免れているのです」

「それで?」


「私の跡に連なる魔術師の仕業であるのはまず確かかと。ならば必ずあれも所持しているはず」

「賢者の石、か」

「はい」


 矢部製薬会長、矢部やべ辰男たつおは半信半疑という態だったが、その庇護を受けるヴラド・ツェランゾはあくまで謹直に頷いた。


「会長の宿願を果たすために絶対に必要な物です。なんとしても持ち主の術者を捕らえねばなりません。どうぞご協力の程を」

「簡単に用意できるものではないぞ。とりあえず現状は維持してやるが……増分については今後の成果しだいで考える」


「ありがとうございます」

 低頭するヴラドにはもはや見向きもせず、矢部は忙しげに踵を返した。銀髪の占い師を残して地下室を立ち去る。


「……ついに現れた。この機会、絶対に逃すわけにはいかぬ」

 ヴラドは肌身離さず身に着けている宝珠を襟元から取り出した。時を経て黒ずんだ表面を光がさざなみのように走り抜け、だがその淡い輝きはつかのまのうちに消えていた。

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