第8話 誓い

 もし端から見ていたら馬鹿げた茶番だと思ったに違いない。

 だが戯れ言と切り捨ててしまうには、シャルロッテの瞳の放つ光は強過ぎた。陽虎はもう迷わなかった。


「誓う。高水陽虎はシャルロッテ・スピアーズに己の魂を託す」

「許す。今より吾が汝の主だ」

 シャルロッテは厳かに告げて、陽虎にくちづけた。


 しっとりとやわらかい感触が陽虎の心を痺れさせ、直後に激震にみまわれる。

 空間が渦を巻いて意識を根こそぎ絡め取り、陽虎を形作っていた殻が散り散りに砕ける。剥がれ落ちた幾層もの人格の底に残った光る玉が、燦然と輝く巨大な恒星に引き寄せられ、激しくうねる炎に呑まれるや、膨大な熱と力を受けて弾き飛ばされ、焼けつく痛みに朦朧となりながら地上へと舞い落ちる。


「……やば過ぎ。死ぬかと思った」

 陽虎は頭を振り、ふらつく体に芯を通そうとして、おずおずと面を上げた。


「俺、今立ってる……」

 めでたく両腕両足完備である。しかし油膜に包まれてでもいるみたいに感覚が微妙に鈍い。手を目の前にかざすと輪郭が曖昧に滲んでいた。とりあえずの用には足りるものの、解像度に難ありだ。


「シャルロッテ?」

「……ここだ」

 やけに弱々しい声に戸惑いつつ視線を向ける。シャルロッテは床に仰向けに引っ繰り返っていた。


 なぜという疑問より先に気になるのは晒された下腹部、ではなく胸に抱えられている物だった。

 陽虎の頭である。脳天に剣のおまけ付き。


 ではここにこうしてある自分は何なのだろう。あと生首の顔がシャルロッテの胸の間に押し付けられているのがどうにも少年の純情を刺激する。


 シャルロッテは怠そうに身を起こした。陽虎はもどかしげに問いかけた。

「なあ、俺はまだ生き返ったわけじゃないんだよな?」

「ん、ああ」


 シャルロッテは胡座を組み、抱えていた生首を足の間に下ろした。さらにディープな場所に顔が当たる。もしこの瞬間に意識があっちに移ったら鼻血を噴くかもしれない。


「あたしの眷属になったことで霊気の密度が上がったんだ。ちょっとその辺を触ってみな」

 言われて陽虎はタイル地の壁に手を伸ばした。今さら気付いたが、どうやらここはどこかの家の浴室であるらしい。冷やりと硬い感触が指先に伝わる。


「触ったけど」

「もっと強くだ。壁にめり込むまで」

「無茶言うなって。そんなことできるわけ、うおっ!?」


 抵抗を越えて指先がするりとタイルに潜っていった。

 陽虎は慌てて引き抜いた。指は無事だ。壁にも穴は開いてない。


「きしょい、っていうか怖いよ。ふと気付いたら自分が溶けてそうでさ」

「今のお前はさっきより物質に近い存在になってる。だから他の物に干渉することもできるけど、まだ密度が薄いからすぐに境界を越える。生き身と霊体の中間だな」


 陽虎を不思議の国に叩き込んだ張本人はゆるりと立ち上がった。生首から剣を引き抜き、軽く一振りすると、重々しい武具は即座に掻き消えた。ついで生首の頭を撫でると、やはり即座にどこかに行ってしまう。また空穴くうけつとやらにしまったのだろう。


「お前の魂はまだシュリギアの中にある。その体は仮初だ。あたしの眷属でいる限りは存在するけど、魂を定着させるだけの強度がないから、絆が切れればそのうち消える」


「俺は本当に生き返れるんだろうな」

「そのためにはまずは首から下を取っておかないとっと……」

「シャルロッテ?」


 倒れかかる裸女を陽虎は受け止めた。

 ただ躓いたというふうではなかった。体の芯が折れてしまったみたいに、シャルロッテはぐったりとしていた。


「どうしたんだよ。しっかりしてくれ」

「大丈夫、どうってことないよ。丸一日以上寝て起きたあとだしな。色々と本調子じゃないんだ」


 幸か不幸かシャルロッテの体はまともな生身の感触だった。さっきの壁みたいに通り抜けてしまうことはなさそうだ。肌の滑らかさも体の柔らかさもありありと感じ取れる。


 このままじゃいけない。

 陽虎は危険を感じたが、「体」の一部にあからさまな変化が起こる前に、シャルロッテの方から身を離した。


 それでもまだ息が届くほどの真近にいる。アイドルやグラビアモデルの美しさとはまるで違う、だがもっと強烈な魅力が陽虎を襲う。


「陽虎」

「な、なんだよ」

「これからたっぷりあたしにご奉仕させてやるからな。嬉しいだろ。もっと喜んでいいんだぜ」


 己を取り戻すための陽虎の戦いはまだ始まったばかりだった。

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