第4話 生首

 櫻子は目をしばたたかせた。

 自分は夢を見ているのだろうか。

 それなら早く起きて着替えないといけない。


 だって今日は入学式だ。

 偏差値的には少し無理めだったけど、制服が好みだったのと、あともう一個の理由のために、頑張って勉強してやっと受かった高校だ。いきなり遅刻なんて幸先悪い。


 それに早く感想も欲しかった。

 ちゃんと言ってくれるかは五分五分だけど、まず見せないことには始まらない。

 陽虎のネクタイ姿もちょっと楽しみだし。


 首が苦しー、とか言ってすぐ緩めそうだけど、せめて式の間ぐらいはきちんと締めておくように注意しよう。


 だがもはやそんな心配はいらなそうだった。

 あんなふうに首がすっぱり取れてしまえば、苦しいとか以前の問題だ。いやでもこれは夢の光景のはずで、だから現実の陽虎はやはりネクタイを鬱陶しがっているのかもしれない。


「よっしゃー、獲ったぜ!」

 混乱する櫻子の耳朶を、どこか幼さを残した、だがそれ以上に力強さに満ちた声が打つ。

 横一文字に剣を振り切った直後、声の主は跳ね跳んだ生首をもう片方の手で掴み取った。


「思い知ったかよ! これでお前の魂はあたしの虜だ。下僕になるか消えて果てるか、好きな方を選びな」


 高らかに宣告する足元で、首から上のない体が降伏するみたいに膝をつき倒れ込んだ。上は櫻子とお揃いの深緑色のジャケットを羽織り、下はグレーのチェックのズボンをはいている。今日から通う高校の男子の制服だった。さっきまでの陽虎と同じ格好である。


 あれってマネキン人形だろうか。きっとそうだ。首が取れて捨てられてしまったんだろう。ひどいな。


 じゃあ仁王立ちしている女の人は、モデルとか?

 少なくとも自分達と同じ普通の学生ではあり得えない。


 腕やお腹が剥き出しの黒褐色の肢体は、オリンピックのアスリートさながらに力強く引き締まっている。


 朝の住宅街にはそれだけでも十分場違いだったが、右手に持った剣にいたってはまるでファンタジー映画の小道具だ。とどめに、人の頭みたいな物を左手で鷲掴みにしていた。完璧にアウトだ。


 喋る虎みたいに獰猛な笑みを、女はついと引っ込める。そして手にした頭を眺めてぽつりと洩らした。


「……あれ? 誰だこれ」

 そっちこそ、誰よ。

 櫻子の心の中での突っ込みがまさか聞こえたはずもない。だが女はこちらを振り向いた。


「なあお前、ここはどこだ? あたしはなぜここにいる。シュシュの奴はどこに行った」

 質問の意味がまるで分らなかった。櫻子はざわつく胸の辺りをぎゅっと掴んだ。下手に息をしたら戻してしまいそうだった。


「それから」

 櫻子の沈黙を気にしたふうもなく、女は掴んでいた頭を百八十度回して面の側を突きつける。


「これはお前の知ってる奴か?」

 もちろん知っていた。

 家族以外では一番馴染みがあるといっていいほどだ。


 輪郭や鼻筋は鋭い線を描いてるのに、目許が緩めなせいで、全体的には微妙に残念なのがあいつらしい。


 ほんのさっきまで当り前に言葉を交わして、それはこれからも三年間は続くはずで、なのに今は驚きのさなかに時が凍りついたかのように、目も口も半開きのまま固まっている。


「陽虎……どうしちゃったの?」

 縋るように問いかける。しかし求める相手から言葉は返らず、反応したのは正体不明の女の方だった。


「陽虎か。悪くない名だな。霊気はやたらと乏しいが……いや待て、それはこいつだけじゃないぞ。ってことはまさかここは……」


 女が忌々しげに考え込み始めたが、櫻子にはどうでもいい。

 やっぱりこれは夢だ。

 首から上だけの姿になった陽虎を眺めながら、櫻子は自分に向けて繰り返した。


 だってこんな奇天烈な状況が現実のわけがない。

 その証拠に、陽虎の首からは一滴の血も垂れてはいない。

 目を覚ませば悪い夢は終わる。そしたらまた馬鹿みたいなことを言い合って、怒ったり笑ったりしよう。


 起きるにはまず眠ればいいんだ。次はもっといい夢を見られますように。おやすみ。

 櫻子の意識は急速に遠くなり、体を支えていた力がふっつりと抜け落ちた。


「ん、どうした?」

 シャルロッテ・スピアーズは、倒れかかる櫻子の身を抱き止めた。


「気を失っただけか。しかし参ったぞ。これからどうする」

 意識のない少女を路面に横たえ、ぼやくように天を仰ぐ。右手に握っていたはずの剣はいつの間にか消えている。


「あっちに帰ったら泣いて謝るまでシュシュをボコるのは絶対としてだ。どうやって帰るかが問題だよな。けどその前にこの場の始末は……」


 大雑把に束ねた黒い癖っ毛を振り払い、人が集まり始めた周囲を見回す。

 蹴散らすのは造作もない。けれど戦う意思も能力も持たない者を傷つけてもつまらない。といって事情を説明するのは面倒過ぎるし、どうせ無駄だ。


「しょうがねーな。消えよ」

 誰かが通報したものか、緊急車両のサイレンが近付いてくる中で、シャルロッテの呟きを耳に留めた者はいなかった。

 だが仮に聞いていたとしても、まさか文字通りの意味だとは思わなかったに違いない。


「あ、逃げたぞ」

「捕まえろ!」


 シャルロッテは人の気配のしない横道へ走り込んだ。野次馬の中にいた男子中学生達が怖い者知らずにもあとを追って駆け出し、だがわずかに遅れて角を曲がった時には、彼女の姿は生首もろとも消えていた。

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