第一章 あってはならない出来事
第3話 人生最期の日
季節は春、舞い散る桜が新しい舞台の幕開けを告げている。
洗面所で最後にもう一回、制服のネクタイの結び目や寝癖をチェックしてから、陽虎は玄関扉を開けて外に出た。
柔らかい風が頬をくすぐり、浮かれ気分に思わず走り出してみたくなる。
けれど小学校の入学式ならいざ知らず、この歳になってそんな真似をしたら馬鹿を通り越してもはや危ない奴である。軽く飛び跳ねるだけにとどめておいて、門を越えたところで着地する。
「ひゃっ、びっくりした!」
途端に背後で声が上がり、子供っぽい場面を見られて陽虎は慌て気味に振り返った。門柱の前に立っていたのは、案の定、昔からよく知る相手である。
「
つい咎めるような調子で問うと、真新しい服を着た
「なによ、いたら悪い? せっかくわざわざわたしがこうして待ってて、って今の無し! 別にあんたのことなんて待ってないからね。たまたま時間が一緒になっただけだし。ご近所なんだから普通でしょ。でもついでから一緒に行ってあげるわ。文句ある?」
気が強いようでいて、実は意外とビビりな奴である。緊張して一人で行くのが心細いという辺りが本音だろうが、突っ込んでも余計面倒臭くなるだけだ。
「いいんじゃねえか。どうせ行き先も同じだしな」
陽虎は歩き出した。櫻子もすぐに続くかと思いきや、なおいっそう不満げに陽虎の袖を掴む。
「ちょっと」
「なんだよ。いきなり引っ張るなって。危ないだろ」
「わたしに何か言うことはないの? あるでしょ。あるわよね!」
よろめきなながら陽虎が傍らに戻ると、櫻子は眉を怒らせて迫ってきた。答えるまでは離してくれそうにない。
「あー、入学おめでとう?」
「うん、ありがとうって違うわよ! ううん、違わないけど、それはあんたも同じじゃない。他にあるでしょ、入学に関係することで大事なことが。ヒント、一目見て分ることです」
櫻子は制服の上着の襟元をなぞり、赤チェックのスカートの裾を払った。まことに主張の分り易い仕種だった。
「それな。新しいせい……」
「うんうん、新しい制、なに?」
「新しい性の目覚め?」
「そうそう、わたしだってもうオトナだしね、えっちなことの一つや二つ、ばかぁっ、そんなわけあるか! だいたいどうしてそんなことが一目見て分んのよ。あんた超能力者なの? それとも魔法使い? “気”とか見る力でも持ってるわけ? 今日のわたしのオーラはピンク色なの!?」
「えっちくたっていいじゃない、にんげんだもの。さくらこ」
「えっちくない! そんな微笑ましそうな顔で見つめるなーっ!」
ほとんど涙目で騒ぎ立てる櫻子の頭の上に、陽虎はぽんと手を置いた。
「新しい制服似合ってる可愛い」
早口かつ小声で言い捨てる。半分は世辞で、四分の一は義理だ。それでも面と向かって告げるのは小っ恥ずかしく、陽虎は櫻子を置いてさっさと足を前に踏み出した。
「え、今なんて。もう一回ちゃんと聞こえるように。ねえ陽虎ってば!」
すかさず櫻子のおねだりが追ってくる。だが陽虎の耳には届いていない。
「なんだこれ」
目がどうかしてしまったのかと思う。ひびの入ったレンズを覗いているみたいに、視線の先がぐにゃりと歪んでいる。まるで空間がねじれて、離れた場所とおかしな繋がり方をしているといったふうだ。
その奥に黒い影が生じ、見る間に一つの形を成していく。
人の姿をしていた。上下に分れた黒い短い服を着て、右脇に振り上げているのは剣、だろうか。
「……女だ。すごい、き」
それが最期の言葉となった。
突如出現したその相手に一太刀で首を斬り飛ばされて、高水陽虎の生涯はここに絶えた。
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