「夜明けのマーメイド」(第32回)

小椋夏己

夜明けのマーメイド

「おはようございます、あなたのマーメイド、リンリンです。おはようの時間ですよ、起きてくださーい」


 早朝5時、ある男のスマホが鳴り響き、そんな声が聞こえてきた。


「う、うぅん……あ、リンリンちゃんおはよう……」

「おはようございます!」


 男は眠気の中で気怠けだるそうにスマホを取る。

 明るくなった画面の向こうから、色々な色が混じった長い金髪、長いまつげにアイラインで縁取られたぱっちりお目々、ピンクパープルの口紅の人魚がニコニコと笑っている。


 人魚の服装、と言っていいのかどうか、まあ着ている物が上はあの伝説の貝殻ビキニ、そして下は人魚というだけあってカラフルな魚のしっぽだ。

 しっぽの先がくねくねと、飼い主に甘える猫のしっぽのように揺れる。


「毎日お仕事大変ですね。リンリンにできるのはこうして朝起きてくださいって言うことだけ。でもね、ずっと応援してますからね。今日も一日がんばってくださ~い!」

「リンリンちゃん、ありがとね~」

「はい、じゃあまた明日~」

「また明日~」


 スマホの画面が黒くなり、人魚も電波の向こうへと消えていった。


「ふう……」


 カラフルブロンドのマーメイド、リンリンこと、しおり28歳独身、現在求職中はスマホのボタンを押すと一つため息をついた。


「さあて、次っと」


 スマホの電話画面を開き、


「5時5分、ナンバー2、ふとっぱらさん」


 に電話をかける。


 とぅるるるるる、とぅるるるるる、とぅるるるるる、3度呼び出し音が鳴り、相手が出る音がした。


「おはようございます、あなたのマーメイド、リンリンです。おはようの時間ですよ、起きてください、起きてくださーい」

「う~ん、おはよおー、リンリンちゃん……」


 まだ相手は眠いようで、言葉の最後が消えそうになる。


「おはようございます! 起きてますか~」

「うん~おはよ……」

「原さあ~ん、原のご主人さま~、リンリンですよ~起きてくださあ~い」

「うん、うん、起きる、起きるよ……」

「ご主人さまあ~だめですよ~もう一度寝たらだめですよ~」

「う、うーん……大丈夫」


 スマホの向こう、ぼってりした二重あごの原さんは、やっとのことで目をこすりながら上半身を起こした。


「よかったあ!」

「リンリンちゃん元気だなあ、ふあぁ~……」


 あくびはしてるが、ふとっぱらさんこと原さんは、今度こそちゃんと目を覚ましたようだ。


「よかったあ、ちゃんと起きてくれて。もう、リンリン心配したんですよ~」

「ごめんごめん、でも大丈夫、もう目が覚めたから」

「はい! じゃあ、今日もがんばってくださいね! また明日の朝~」

「うん、ありがとう、また明日ね」


 スマホの画面から原さんの姿が消えると、リンリンはまたほっと一息。


「さあて次は……って、5時10分。げ、もうギリギリじゃん!」


 急いで次の番号に電話をかける。

 大体一人5分ぐらい。3分ほどでどんどん起こしていく人もいるらしいが、しおりにはこれでせいいっぱい。


 この疫病不況で大学を出てずっと働いていた会社が倒れてしまった。

 まだ奨学金の返済も残っている。すぐにもなにか仕事をと探していたら、ふとこんな文字が目に入ったのだ。


「コスプレモーニングコール」


 なんじゃそりゃと思ったら、つまり、何かのキャラになりきってモーニングコールでお客を起こす、そういう仕事だった。


 ずっと事務の仕事しかしたことがなかったし、少し気持ちも変わるようで、やってみるかと応募したら採用されて、しおりはその日から、


「夜明けのマーメイド、リンリンちゃん」


 と、なったのだった。


 仕事を始めて半年になる。

 最初のうちはメイクに時間がかかり、2時間も前から準備していたが、慣れた今は30分もあればちゃちゃっと仕上がる。そうして5時から最後の7時半まで、20人ほどをリンリンちゃんは起こして回る。


 思っていたよりも楽しい。そして収入もそこそこある。

 だが、いつまでも続けられる仕事ではないとも分かっている。

 そして元々、少し貯金がたまったらやめようとは思っていたのだ。


 毎日毎日続けてきて、そろそろ少しつらくなってきたこの時期に、しおりは決めた。


「よし、やめよう!」


 即、今月いっぱいでやめたいと事務所に連絡をした。


「え~リンリンちゃん人気あったのになあ」


 営業部長が残念そうに言う。


「はい、申し訳ありません」

「うーん、もうちょいなんとかならない?」

「さすがにちょっと人魚は……」

「そうかあ」

「それでですね」


 しおりは部長に話を持ちかける。


「これから冬に向けて今度は冬の精霊シマエナガのランランちゃんなんかどうでしょう?」

「シマエナガ?」

「そうです、もこもこの白いきぐるみからお目々ぱっちりランランちゃん。お手々は翼でどうでしょう?」


 そう、つらいのは人魚の衣装。これからの真冬に人魚はちとつらい。だけど、冬毛のシマエナガならなんとか続けられそうだ。




 

 

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「夜明けのマーメイド」(第32回) 小椋夏己 @oguranatuki

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