つんつん娘の小さな親切

日結月航路

第1話

 視界を淡くピンク色に染めた桜の季節が去り、日差しも温かくなり始めた5月の半ば。

 高校に入学して最初の中間テストを終えるチャイムが鳴り響いた。

 とある1年生の学級では、テスト最終日を誰よりも喜ぶ元気な声が目立っていた。


「いや~、やっと終わったよ。だるかったなー、この三日間」


 座席についたまま、身体を大きく伸ばしながら、新堂風音が言った。 

 結果はどうあれ彼女は今、試験が終わったことを心から喜んでいた。

 後ろに束ねた長い黒髪が、嬉しそうに左右に揺れる。


「お疲れ様、風音ちゃん。今日はどうだった?」


 彼女におっとりと話しかけてきたのは、時和詩子。中学からの同級生だ。

 白い肌に柔らかな笑顔。その容姿は本当に女性らしく、誰からも好かれていた。


「うー、やっぱ数学は苦手だね。んでも、詩子が丁寧に教えてくれたし、もらった予想範囲も当たってたから、ホント助かったよ」

「まあ、良かったわ」

「テストも終わったし、どっか寄っていこうよ、詩子」

「ええ、行きましょう、行きましょう」、と詩子はにっこりと微笑んだ。


 そこに、二人の会話を遮るように担任教師である葉山が教壇から声を掛けた。


「盛り上がってるところ悪いけどな、新堂。お前は日直だから黒板の清掃、ゴミ捨て、戸締りをよろしくな」

 そう言って葉山先生は教室を後にした。


「ぬああぁぁッ!そうだった!ごめん、詩子。ちょっと待っててくれる?三十分くらいで、ぱぱっと終わらせるからさ」


 力なく机に突っ伏した後、風音はちょっと申し訳なさそうに詩子を見上げた。


「ええ、大丈夫よ。それなら図書室に行った後、下駄箱前で待ってるわね」

「ありがと。よーし……オイ倉木!私はゴミ捨て行ってくるから、黒板掃除しときなさいよ!」


 勢いよく立ち上がりながら、風音は用具箱前の男子に指示を出した。


「なんだよー、新堂。お前が指示するなよー。」と、倉木男子。

「うっさいわね。私が黒板掃除で粉塵吸って、気管支炎にでもなったらどうすんのよ。そういうことで、頼んだわよ。」


 風音は詩子に、「じゃ、あとでね」と言うと、ゴミ箱を両手に教室を出た。


「ちぇッ。」


 風音には聞こえない程度の悪態をつきながら、倉木は詩子の方へと近づいて来る。


「時和はよくあんな男女(おとこおんな)と、仲良くやってるよな」、と彼が言った。

「あら、あれで風音ちゃんって、すごく優しいところあるのよ」

「マジか、信じられないや。気は荒いし、すぐに突っかかってくるし」

「倉木くんも、風音ちゃんのことよく見てたら、きっと分かるわ」

「いや、そんなことしたらぶん殴られるよ!……でも、女子には優しいんだよな。おっと、俺掃除に戻るわ」


 そういって彼は仕事に戻っていった。



 ゴミ捨てから帰ると、風音は教室に居残っている他の生徒へ退出を促し、倉木と共に戸締りを行った。

 そうして鍵の返却後、軽い足取りで下駄箱へ向かい、詩子と合流を果たした。


「ごめーん。待たせたね、詩子」


 駆け寄った風音は詩子へ軽く抱き着く。

 すると、詩子の香りがやんわりと周囲に広がった。


「いいえ、私もちょうど来たところよ。」

「ねえ、駅前で甘いものでも食べて帰ろうよ。バイト代も入ってるからさ、お詫びに詩子に奢るよ」

「嬉しい!……なんだかデートでのやり取りみたいね」

「ホントだ。でもさ、変な男には気を付けなよ。詩子かわいいし、押しに弱いから心配だよ」

「あら、そうならないように風音ちゃんが守ってくれるんでしょう?」

 

 そう言った詩子の表情は、少しうっとりとして見える。 

 付き合いの長い風音でさえ、女子同志であっても見惚れてしまう程だ。


「う、うんッ。当ったり前よ!詩子に近寄る害虫は、私がぶっ倒してやるんだから!」


 シュ、シュ、シュ、とパンチを繰り出す仕草で、風音は照れをごまかした。


「さ、行こう」と、風音。

「ええ」と、詩子。


 そういって、校門を後にした。




 二人が会話を弾ませながら、駅前のバス乗り場を通過しようとする時だった。

 白杖を携えた初老夫人が、少し不安そうに首を動かしながら、停留所で待っている。傍から見れば周囲の喧騒にわずかな恐怖心を抱いているように見えただろう。

 ましてや、昼下がりで人通りも多い駅前で、女子高生が二人会話に夢中になっているのだから、それ以上は気付くことはない。



 いや、そのはずだった。


 

 それまで詩子のことしか見ていなかった風音は、ふと足を止めて斜め上を見た。

 無表情というか、真顔に近かった。


 

「あれー、詩子さ。私たちって、何番乗り場のバスで帰るんだっけ?」


 頭を少し搔きながら、恥ずかしそうに風音が尋ねる。

 

「私たちの街へは、8番乗り場から帰るのよ。風音ちゃんったら、忘れん坊さんね」


 にっこり笑いながら詩子は答えた。


「そうだった、そうだった。ここ、7番だから隣だよね。いやー、まだ通学して1ヵ月だからさ、ど忘れしちゃうわ」

「まあ。そろそろ慣れないとね、風音ちゃん」

「うん、ありがと。ははは」


 大声ではなくても、若い二人の声はよく通る。

 それは、老婦人へも同様だった。



 二人が離れてしばらく、遠くで小さく頭を下げると、その老婦人は隣の乗り場へと移っていった。

 その時初めて、はっと振り返り、詩子は起こった出来事に気が付く。



 立ち止まった詩子は、ゆっくりと風音を見た。



「……風音ちゃん、優しいわね。だから好き」

「ちょッ、いきなり何言ってんのよ詩子」

「だって……」

「知らない、知らない。ほら行くわよ」


 風音は気にも留めず、軽く流した。

 しかし、その瞳はどこか優しげで、詩子にはそれがすごく嬉しかった。

 前を向き直ると、彼女は再び風音の方へと向き直った。

 気付いた風音も横を見る。


「そうだわ、風音ちゃん。甘いの食べたら、ちょっとお買い物に行きましょうよ」

「いいけど……。詩子、欲しいものあるんだ」

「ええ、風音ちゃんのぱんつ」

「はぁ!? いらないわよ、そんなもん!!!」

「だって、風音ちゃんのは男っぽいんだもの」

「イヤイヤイヤイヤ、これはこれでいいのよ。動きやすいし、通気性もいいし」

「ふふふ。大丈夫、私がプレゼントしてあげる」

「……。よーし、私は自分で買うからさ、詩子も買いなよ」

「まあ。じゃあ、お揃いのにしましょうよ」

「それいいかも! あー、お腹すいた」

「ええ」


 そうして二人はファミレスへと向かって行く。

 楽しそうな会話のやり取りが、8番乗り場から遠ざかっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

つんつん娘の小さな親切 日結月航路 @kouro-airway

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ