第四章 サニーサイドアップ

 思わず身を引いた。神崎も仰け反って絶句していた。え、ちょっと待ってよ。何が何だか全然わかんない。……いや、わかってはきたんだけど、その事実に納得できないのだ。

 レイが──DC-001?

 僕らを仲間と呼び、今まで幾度となく言葉を交わしてきたレイが?

 呆然としながらも、僕は一つの光景を思い出していた。月光が差し込んだこの場所で、起動した DC-107イオナに名前をつけた時のこと。とは言えど名前をつけたのはレイと神崎で、僕はまだ何も知らなかった頃だ。それはさておき。

『私たちこれからその子をなんて呼べばいい?』

『107だから、イオナでいいんじゃないか?』

 数字に音を当てただけの、簡単な名前。レイ、という名前もまたそうだったというのか。001。なんて簡素で雑なこじつけだ。

 DC-001。〈ニホ〉がユナイテッドワールドから独立するための兵器として造られた、殺人用人造人間の第一機目。それは人としての感情を持たせすぎたからこそ、人間に近づけすぎたからこその失敗作。八年前、この廃ビルで起動実験が行われ、暴走した挙句に人を殺して逃げ去った。人を殺した、と言えばその殺された被害者の中には神崎のお母さんも含まれているのだった。

 彼女は今一体どういう心境なのだろう。許さない、とレイを恨んでいるだろうか。だがそうだったところで当然とも言えるし、僕に何かを言う権利なんてどこにもないのだ。

 そう思って横顔を盗み見ようとしたら、彼女もまたこちらを見ていたらしい。視線がバチッと合った。軽く気まずく思って目を逸らそうとした僕と違って、神崎はしっかりと見返して来た。怯えたような表情をしていながら、彼女の目がどこか鋭く光っていた。

「かんざ……」

「赤い石、持って来ておいて良かった」

「……?」

 神崎は少しだけ眉根を寄せるようにしながら笑った。悲しそうな笑みだった。もしかしたら、僕も同じような顔をしているのかな。

 ロボットのイオナと心を通わせようと、三人で歩んできた。色々あったけどだんだんと打ち解けて。越えられない一線に諦めたり絶望したりしながら、それでも一生懸命やってきた。だけど、三人のうちの一人は、本当はイオナと同じロボットで? ……もう何もかもごちゃごちゃだ。だけど、悲しんでもいられないから僕らは笑う。

 から元気でもなければやっていけない。

 神崎は言う。

「レイくんのこと、起こそう」

 起動させよう、じゃなくて、起こそう。

「私たちはちゃんと、レイくんともっと話さなきゃ。レイくんだけじゃなくてイオナちゃんともだよ。そのために。……私の未来に、野上くんの未来を重ねてくれませんか?」

 それはさっきの僕の台詞だ。ちぇっ、いいとこ取られちゃったな。

「当たり前でしょ」僕は精一杯かっこつけて答える。「ここまで来たら、もう戻ったりしないよ」

 神崎は一つ頷いて、それ以上何も言わずにポケットから赤い石を取り出した。そしてそのままレイの首の彫られた文字に、そっと当てた。レイ、起きて。都市で暴走するイオナを止めなきゃ。仲間だから、間違った方向に行こうとするのを止めるんだ。それは僕らの責任であり、宿命なんだよ。懸命に笑って泣いて踠いた絆の上に、きっと命は宿った。

 彼の白い首で、金に禍々しく煌めく文字が揺らめいた気がした。ビーンッッと凄まじい音がして、突如赤い石は砕け散った。「これはトルマリンの一種の、エルラニアだよ。ある特殊な素材に繋いだ時の発熱量と流れる電流の量がすごく多いけど、それをやり過ぎると砕ける」。優兄さんの説明を思い出す。イオナが暴れ回ったために破壊によって粉っぽくなった部屋に、紅の破片が夕陽の残光のように散った。

 彼の瞼が微かに震えて、ゆるゆると開いた。やがて焦点を結び──瞬きを一つ。それらの動きを見ても、まだ彼が人造人間だと信じられなかった。

 でも──。

 もう見えるものだけで決めつけるのはやめよう。

 そもそも僕らはずっと、目に見えないものに縋るようにこの一年を使ってきたのだった。

 レイが薄い唇を開くのを、神崎と二人でじっと見つめていた。レイは微かに首を傾げた。ブラックホールみたいにとぐろを巻く漆黒の瞳に、後悔と諦観が混じったのは気のせいか。

「おはよう、──ハル、カナデ」

 もの静かな声に被せるように、神崎がわっと短い叫び声を上げた。

「レイくん! 私、私たち……」

 続かないその先の言葉を、レイが引き取った。「わかっている」。

「わかっている、全部覚えている。突然暴走し出したイオナを、俺は止め切れなかった。全てのアンドロイドのプログラムに誰かが干渉したらしい。最新 DC-107イオナが主導になっている。殺人本能が、本来の倍以上に出力された」

 だから、他のロボットたちまで暴走していたのだ。兵器としての本能に誰かが働きかけたから。イオナの殺人本能は外された、と思い込んでいたけれど、ロックがかけられただけだったのだろう。安全装置が外れれば元の木阿弥だ。だけど……初めから武器としての強さよりも人間としての感情の方が強く造られたレイだけは、暴走しなかった。

 造られた。

 それはなんて悲しい響きだ。

 彼のぴんと張っていた身体から、僅かに力が抜けた。

 僕は嫌なものを感じて彼に問いかけた。「どうするの。どうすれば……止められる?」

 遠くでガッシャーン……と玩具箱をひっくり返したみたいな音がした。今もどこかで、アンドロイドたちがビルやらの建物を破壊している。ミニチュアの町を壊すような容易さで。

 レイは首を振った。「止められない」

「……そんな」「じゃあ私たち……」

「今からプログラムを制御するなんて不可能だ。その前に都心部が荒野にされる。その前にどうにかして主機を……イオナを破壊する。人造人間たちが同期されているなら、それで全てが終わりになるはずだ」

「……っ」

 〈思い出づくり〉を謳って重ねた対話。夏の海でのキャンプ。そんなのは何もかも幻だったかのように。僕らのやったことに一体どこまで意味があったのか。レイの言ったことは、この一年の何もかもを白紙に戻すことを意味していた。だって壊す、というのは相手が機械だからこその表現だ。人間を対象にした言葉に直せば、「殺す」という表現に他ならない。

 プログラムに干渉されたイオナはあっさりと感情も何もない兵器になった。

 レイはあっさりと、そんなイオナを破壊すると言った。

 じゃあ四人──今となっては二人と二体?──で過ごした日々は一体何だったのだろう。

 神崎が目を伏せて、苦しげに首を振った。レイは……。僕は彼を見て、あっと思った。レイはいつもと変わらない冷酷な表情をしていたが、手が拳の形に強く握られていた。震えるほどに。

 ──あの二人、レイくんとイオナちゃん、すごく絵になるよね。関係性の話で。

 そう言ったのは確か神崎だ。

 それから、防波堤から浅瀬に飛び込んだイオナに、レイが手を差し伸べた光景が思い浮かんだ。

  DC-107イオナ DC-001レイにつけられた「DC」は製作者の名前だ。どちらも同じ人間の設計図で造られた。だとするならば。……ああっ、僕は今ようやくわかったよ、二人のことが。

「──レイ!!」

 怒鳴るように叫んだ僕に、彼は少し驚いたように目を見開いた。

「ハル……?」

「思ってもないことを言うな。イオナは君の妹なんだろ!? 僕は、僕は……」

 何もできなかったのかな。そうじゃないと信じたいのだ。僕らが、そして君が信じたものを、自分で裏切ることはやめて欲しい。

 気づくのが遅すぎた。レイの正体も、彼とイオナの関係も、それから神崎と僕のことも。だけど、まだ手遅れじゃないと叫びたい。

「君とイオナは──同じ父に造られた、兄妹だろ!? 本当は壊したくなんて、殺したくなんてないくせに。……ねえ、イオナのことをちゃんと止めに行こう。僕らならできるよ。そうでしょ?」

 まだ、もう少しだけ何も考えずに突っ走っていたいよ。

 レイが何かを言おうと口を開きかけて、それからやめた。顔を歪めたそれは人の表情だった。

「でも、どうやって」神崎が泣きそうな目をして問う。「イオナちゃんがどこにいるかなんてわからない。それに、ハルくんのバイク……」

 その先の言葉は掠れて消えたが、言いたいことはわかった。

 神崎とここまで二人乗りして来て、崩落するビル群の最中を飛んできた愛機 Speeder 空飛ぶバイクは大破してしまった。とてもじゃないが飛ばせられない。お気に入りだったのに……なんていう感傷は置いておいて、そもそもあれは三人乗りも不可能だ。

「……」

 心理的よりも物理的にもうどうしようもないかのように思われた、その時。


「ぼくらなら、役に立てますよ」


「……?」「えっ」「ええ?」

 背後からの声に、心臓が跳ね上がった。一斉に振り返ったそこに、見覚えのある男性と女性がいた。会ったことがある。どこで? 必死で記憶を探って、それからアッと声を上げた僕に、神崎とレイは揃って怪訝そうな顔をした。そうだよね、会ったことがあるのは僕だけだ。ある夏の日、優兄さんの「何でも修理店」に来たお客さんだ。

「覚えててくれたみたいだね、まあわかってたけど」

 男性が口の端を引くようにして笑った。あくまで意味深な言葉だ。やっぱり夏の前にもどこかで見たことあるような顔。なんなら身近で見知っているとも言えるぐらいの顔。

「どうしてお二人が……」

「助けに来た」

 二人が身を引いたその背後に見えたものに、僕らは息を呑んだ。それは……ドア? 木目の入ったいかにも木でできたドアが、開いていた。向こう側に広がるのはこの廃ビルの一室の景色じゃない、どこか別の場所。

「これが何だか、二人ならわかるんじゃないかな」

 男性はドアを閉めてから、木枠を叩いて笑う。その目はしっかりと僕と神崎のことを見ている。なんで断言できるのだろう。疑問があまりに多い。何もかも不思議だ。でも、僕たちはそのドアを──正確に言うなら、そのドアと似たものを確かに知っていた。

「「どこでもドア……?」」

 声が揃った。ある夏の空き地で散々読んだ漫画に、それは何度も登場した。ピンク色をした単なるドアのようでいて、それを開ければどこにでも行くことができる。瞬間移動のようなもの。

 男性も女性も嬉しそうに顔を見合わせた。「ご名答」

「まだ色も塗ってなければ試作品なんだけどね」

「それを使えば、イオナのいる場所にも行くができるわけか」

 完全に蚊帳の外になっていたレイが、眼光を光らせた。女性が頷いた。指先が金色のペンダントの鎖を弄っていた。

「行けるはず。まだ実用化していないとは言え、だいぶ完成品には近いから」

「一体どういう原理で」

「それ、アンドロイドの君が言う? 難しい原理なんてどうでもいいじゃない。それにすぐには説明できないかな。私たち、研究者してるから」

 彼らは僕のことだけじゃない、神崎のこともレイのことも知っているらしかった。一体どうして。聞こうとしたが、

「ていうかいいの?」と男性が腕を組んだ。「早く行かなきゃ、〈ニホ〉中壊れちゃうよ」

 そうだ。この瞬間だって、イオナはどこかで破壊を続けている。僕らは〈仲間〉なんだ、大切な友達なんだ。それなら。

「ドアを貸してください」

 僕が言うと、男性は面白がるようににやっとして、それから演技めいた動作でドアの真ん前のスペースを空けた。

「もちろん」

 僕は閉じた扉の前に立って、振り向いた。カナデ、と呼ぶと、彼女は意を決したように頷いた。レイも頷く。「他の色んな謎より、まずはあいつを止めるのが先だ」

 あの〈どこでもドア〉と同じものだと考えていいのなら、使い方はわかっていた。というか使い方? そんなもの存在しないぐらい簡単だ。ドジで不器用なのび太でさえ使えるように作られているはずだった。

「イオナの、いる場所へ」

 追いかけること。人の心などもう無いのかな。それでも〈仲間〉であろうとすること。

 ──ただ忘れない。

 忘れられるわけがないだろう? 例え誰かがそれを不幸と呼んだとしても。

 そっとドアを開いた。行って来ます。向こう側に背を向けて、男性と女性の方に目を遣ったら、彼らは感慨深そうに手を振っていた。

 怖いけど大丈夫だよね? ちゃんと、できるかな。くしゃりと顔を歪めかけた僕に、男性が大丈夫と言う。

「今までだって、色んなことを越えてきたでしょ? ……大丈夫、未来は今の君たちが思っているよりずっと明るいよ──」

 背後の外から、潮のような匂いの混ざった強い風が吹きつけていた。廃ビルの中とは異なる、明らかに外の空気だった。未来は明るい? なんでそんなことをそんなに自信たっぷりに……そう思った時、ふと頭の中で繋がるものがあった。

 か細い糸のように、それはぴんと張って。

 ああ、あなたたちは。神崎が泣きそうな顔でドアの中に飛び込んできた。レイもその後に続いた。

 あなたたちは、未来の僕たちなんですね──?



 目を見開いて唇を噛み締めた僕の前で、ドアが閉まった。彼らは未来から来たのだ。過去の、つまり今の僕たちを助けるために。

 完全に閉じて、ゆっくりと透けるように見えなくなっていくドアに向かって、思わず深く一礼した。神崎が隣で同じようにする気配があった。

 大丈夫。

 未来は今の君たちが思っているよりずっと明るいよ。

 ……っっ。ことごとくもう僕は何も言えない。ありがとう、ありがとう、ありがとう。無力に念じる。

 完全に扉が消え去った時、僕は顔を上げた。

「行こう」

 呻き声にも似た声。後ろに遠く聞こえる潮の音。夜の冷たくて鋭い空気の中に、懐かしい匂いが漂っている。ここがどこだか、振り向かなくてもわかった気がした。

 イオナ、本当に?

 まだ君の〈心〉に賭けてもいいのなら、その余地があると言うなら。

 ドアの消えた方にくるりと背を向けて、三人で駆け出した。向こうの方に冬の海が広がっていた。夏に来た場所だった。声にならない何かを叫びながら、神崎が堪えきれずに泣き出した。何ぐちゃぐちゃな表情してんだよ。そう思った途端にじわっと目の前が白く霞んだ。ばか……。目を滅茶苦茶に拭いながら、ひたすら走った。

「イオナ!」

 海岸の人影がこちらを向く。見知った顔が無表情で僕らを見つめた。彼女が手を振り上げた。見えないほどの凄まじいスピードで、周りの砂浜が抉れた。

「近付かないで、こっちに来ないで」

 小さな砂の粒が舞い上がる。

「壊さなきゃ、いけないの。壊さなきゃ……壊しちゃう」

「イオナちゃん! もうやめていいんだよ……っ!」

 神崎が喚いた。その横顔を、三日月の白い光が照らし出していた。

 イオナは無表情に、何の感情も無いみたいに僕ら三人を見据えながら、それでも苦しんでいた。苦しんでいるかのように見えた。

 ざんっという音がして、また地面が抉れた。今度は僕の目の前。

「わたしは……殺人兵器なの。わかってるくせに、仲間だなんて言わないでよ。ロボットなのよ。DC-001レイとも違って、感情なんかで歯止めが効くように造られていないの。人間はみんな同じ、殺す対象よ。わかっているくせに、わかっているくせに……」

 凄まじい轟音と共に風が掠める。目を開けていられない。よろめいて、やっとのことで体勢を立て直す。イオナ、もうやめろ、とレイが低く叫んだ。

「っは……」

 息を吸い込むたび、喉の奥までからからに乾く。

 強い風と、ひたすらに僕らを近づけまいとする攻撃。だけどその攻撃は何故か決して、僕らに直に当たることはない。

 ごめんね。イオナ。兵器であり……兵器であった君を、苦しめたのは紛れもない僕たちだ。ごめん。だけど。

 暴風に身体が砕けてしまってもいいと思った。全身全霊の力を振り絞って、僕は声を張り上げた。感情なんかで歯止めが掛からないというのなら。

「じゃあ──なんでイオナはこの場所に来たの」

 イオナが目を見開いて、攻撃がぱっと止んだ。

 ここは、夏にみんなで来た場所だ。キャンプをした場所だった。子供のようにはしゃぎ、他愛もない夢を語り、遊んで、花火をして、バーベキューをして。全部忘れた? そんなわけないってわかってる。

 それにそれだけじゃないよ。初めて会った時に、僕の心拍数やら血圧やらを離れていたのに測定した君が、レイもまた人造人間であることに気づかなかったわけがないじゃないか。なのにどうして黙っていたの? 君は何を考えて、何を願っていたの。

「そんなの……」

 イオナが顔を手で覆った。

「わからないわ。わからないよぉ……」

 波が静かに打ち寄せ、そしてまた引いていった。

 無意味に砂や小石を打ち上げ、また水の中に回収するように引き込んでいく。だけどこの自然の営みの中で、何かが打ち上げられることだってある。

 レイと神崎が彼女に飛び付いて抱きしめた。お互いをお互いで温め合うように、僕らは長いことずっとそうしていた。

 そうだね、わからないね。イオナが最終的にここにたどり着いたのがただなんとなくだったのか、それとも何かあって来たのか。そんなのはもうわからないし、捻じ曲げて解釈する気もない。見えない存在を確かめ合ったこの瞬間がきっと存在した。それだけでいいや。

 大好きだよ。みんな。

 この一年間、僕はずっと楽しくて幸せだったのだろう。

 海風が吹く。もっと強くなって、涙まで吹き飛ばしてしまえばいいのに。


     ❇︎


 誰もが過去に色んなものをきっと持っている。

 人に言えないようなものだって少なくないだろう。だけど──

 ── 明るい方を表サニーサイドアップにして生きていく。


     ❇︎


 さて、あとはその後の物語。

 イオナが攻撃をやめたので、その兄弟たちにあたる他のアンドロイドも皆街の破壊をやめていた。殺人兵器として造られたロボットたちは、案外簡単に兵器としての務めをやめてしまった。それが彼らが〈不良品〉であり〈失敗作〉である所以なのかもしれないし、別にシステム上の問題であるだけなのかもしれない。人造人間たちは国の研究機関及び工学機関に回収された。もちろんその中にはイオナやレイも含まれていた。

 ちなみに、イオナの殺人本能の設定をいじったのは、DCディーケルナンバーの設計士、ディーケル博士の細君であったそうだ。もともと百七体ものロボットのうち、博士が設計したのは001だけであったらしい。にも関わらず国は全てに「DC」の番号をつけた挙句、どれもこれもを失敗作にした。「ディーケル博士の行いはは政府によって殺された」というのが夫人の主張で、その復讐として彼女はロボットを使って国の首都を瓦解させようとしたとのことだった。

 結局夫人は逮捕された。当たり前と言えば当たり前だし、会ったこともない彼女に対して何かを思うこともなかったが、殺人兵器の製造は、最終的に誰のことも幸せにはしなかったのだと思うと感慨深かった。

 そして。

 僕と神崎には、ありふれた何の変哲もない日常が戻ってきた。普通に学校に通い、義務以上の会話はしない。廊下ですれ違う時に軽く目が合っても、僅かに微笑む程度だ。強いていうなら二年生になってクラス替えがあったために神崎に対するいじめは止んだようだ。僕は放課後になれば優兄さんの店に通って、まあそれなりに助手として働いた。ああ、そういえば一度ぼこぼこに壊れてしまったかと思われたSpeeder は、あの後〈殺人ビル〉に駆けつけたらしい優兄さんが修理してくれていた。傷もない新品同様になったそれに乗って、僕はまた毎夜とびまわる。

 何事もなかったみたいに……僕らはそれぞれあるべき場所に収まった。あるべき場所だなんて、誰が決めたか知らないけど。それに忙しくは合ったから、懐かしんで感傷に浸っている暇なんてなかったのだ。

 なんで忙しいかって?

 それは、僕がようやく自分の夢を見つけたからだ。

 夢を叶えるために毎日勉強して、優兄さんに色々なことを教わって、そんな生活。せかせかして忙しないようで、意外なほどに充実していた。

 ねえ、あの夜の海辺で泣きながら笑いながら、思ったんだよ。これは必然だよね。──僕は、人を幸せにするためのロボットを造りたいって。

 人を殺すためじゃない、傷つけたりなんかしない。時に不器用で優しくて、そばにいてくれるようなロボットが造りたい。

 理想論だって笑う?

 でも語るところからじゃなきゃ夢は始まらない。そうでしょ?

 未来の自分に、それからちっぽけだった「あいつ」……のび太に、過去の僕らは散々助けられた。今度は僕の番だ。ちゃんと彼を助けてあげなきゃいけない。

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