第13話:嵐の前の静か②
季節は秋を迎えようとしている。
秋風は心地良く体を撫で、木々の葉は朱に染まり始めている。
「はぁ。」
とある一室。豪奢な椅子に座る冠を被った男――シア王国、国王の口から肩肘を突いて溜息が零れる。
「陛下、重臣達が居ないからといって気の抜けるような溜息を零すのはどうかと。」
その行動を諫めるのは黒髪、黒目、長髪をそのままに垂れさせた秘書っぽい女性。宰相ことマリエナ・アン・カリスト。貴族には女性にはアンほにゃらら、男性にはシンほにゃらら、と名前が付く。《ほにゃらら》は家名である。日本人っぽく言うなら姓がカリスト、名がマリエナ。アンやシンの部分はミドルネーム…とはちょっと違うな。性別を指す貴族に与えられし記号と言った所か。
「カリストよ。そう小言を言うでない。この報告書をみて溜息一つ零すな、なんてちと厳しすぎではなかろうか。」
陛下と呼ばれた男が指さす羊皮紙には以下の事が書かれていた。
『ご報告。東、南、西の都市街イース、サース、ウェースの開拓森林部に突如迷宮が出現。これにより魔物が急増、近隣の村々――およそ三十程が為す術なく蹂躙――壊滅したのこと。生き残った民や被害に遭う前に避難した民は都市部へ保護が完了――ですが、避難民の住まう土地や食料が満足には足らず、国庫からの支援をイース、ウェースから求められています。サースの迷宮は速やかに踏破済み。発見が遅れたイース、ウェースの辺境軍にギルド支部の冒険者達は対処に難航中。加えて、仮想敵国――ガルガンティア帝国との国境を守る国境守備隊によると軍事演習が例年の三倍を超えているそうで――少なからず守備隊にも緊張感が漂っており、影響が出ているようです。マゼス魔公国、ブリトリッヒ協商連合国、ランバルト海洋王国には特筆すべき動きはなし。これは都市街サースのギルド支部――〈
伝令兵の持ってきた羊皮紙にはこれでもかと言わんばかりにぎっしりと国の状勢が書かれていた。
「—―
「ふはは。どのみちこのままでは外務卿の尻拭いを防衛卿と軍務卿がする羽目になりそうだな。」
笑っている場合ですか。と、ジト目を向ける宰相の視線なんて気にも留める様子はない。
「避けられんものはしょうがあるまい。—―それよりもだ。帝国の連中が攻め込んでくる
先程とは一転。真剣な面持ち――国王としての顔を見せる。
「そうですね。もしかしたら、という推測の域を出ませんが……悪魔と手を組んでいる可能性がありますね。」
「そうでなくては、我が国で同時期に、三方に迷宮の出現なんて偶然が起きる筈もない……か。」
「悪魔だと仮定するなら……どれ程の対価を捧げたのか。生贄なのか物資なのか、は分かりかねます。がしかし〈
マリエナが言い終わることなく――。
――ドンッ。と、鈍い音が謁見の間に響き渡る。豪奢な椅子は石造り。そこに座するは国王。拳が振るわれた手すり部分には罅が入っている。
「つまり、こそこそと我が無辜の民を拉致しては他国に流す様に見せかけていた人身売買組織は、その実、迷宮発生の贄として潜り込んでいる帝国人――ひいては悪魔に供給していたと申すか?」
青筋を浮かべ、目には怒気が籠っている。王の威厳もあってもかマリエナ・アン・カリストでなければ――そこらの文官であったならば、圧に屈し失神していたであろう。
「繋がりがある、との報告と同時期に不可解にも主要都市に三つ…迷宮出現報告が来てますからね。濃厚――作為的なのは確実でしょうね。」
女性にして宰相にまで登り詰めた切れ者――カリストがそう結論付けた。この場に居たら重臣達ですら震える子羊に成り下がったのではなかろうか。それ程の気迫を放ち陛下が怒りを露わにした。これには流石のカリストも顔を引き攣らせまいと、苦心したが宰相としての資質か彼女の
国王陛下にとって帝国が攻めてくること自体は笑って済ませることが出来た。
敵対国であるからだ。幾ら休戦条約を結んでいたとしてもだ。そんなもの一時休戦な、次やり合うとした時は宣戦布告くらい最低限しようぜ程度の区切りみたいなものでしかないからだ。
その帝国が遂に、遂にシア王国第二十八代国王ジゼルヴァリス・シン・アーノルドの怒りを買った。非道な手段を――道理を捨てた搦め手を用いた帝国が悪いのだが。
「こちらは都市街という戦力三つの内、二つを封じられているようなものです。今回は厳しい戦いになるやもしれませんよ。」
「ふむ。……いや、ワシなら都市街サースにも何かしらの次善策を用いて、〈ヴォルフスブルク領主の領軍〉と〈死神〉の足止めをする。帝国の侵攻攻撃の応戦は、王都軍のみで行うものだと想定していた方が良かろう。敵の電光石火を防ぐ。そこに勝機があるような気がする。」
どう思う、とジゼルヴァリス国王が投げかける。
「陛下…
補佐をするのが宰相の役割である。詳しい事は専任者に聞け、それが誰なのか、受け答えするのが宰相である、と暗に告げているのだ。
「そうであった。其方が――カリスト宰相が有能な故に、唯一軍略に疎いことを忘れてしもうてな。フハハハ!」
国王たるもの早々人には頭を下げて謝ってはいけないのだが、人の弱点を
宰相の合図で宰相専属のメイドが一礼して謁見の間からするっと出ていく。宰相専属メイドは何故か赤縁眼鏡っ子のみで構成されているので分かり易い。基本的には黒縁が既製品で売られている眼鏡をわざわざ
『失礼します。』
扉の向こう側から声が響く。そして一定の距離を取って重臣達は跪き頭を垂れる。
「軍務卿と防衛卿の二人、よく来た。」
陛下は入室してきた重臣達に声を掛ける。目上の人間から声を掛けるのが
『はっ。御呼びとあらば。』
「このデレク、何時如何なる時でも馳せ参じる所存。」
「デレク防衛卿の言う通りさ。僕もこういう場は気軽に呼んでよ。重臣会議はイヤダけどサッ!」
「ハイド!貴様、何度言えばッ!何故貴様のような者が軍務卿なのか……あ!いや、陛下の差配を疑うわけではないのです。ただ自覚が足りないのではないかと思い、諫言を申しました……。」
「いっつもいっつも僕に諫言という名の小言を言わずにはいられないんだから~。前文の諫言なんて
生真面目な――堅物なデレク・シン・ブリュンヒルド防衛卿と対照的なハイド・シン・エゼルロード軍務卿のやり取りはいつもの事である。
「デレク卿、ハイド卿。急遽御呼びしたのはガルガンティア帝国との開戦が近い為です。」
話を切り出したのはカリスト宰相。そして一連の話を掻い摘んでデレク、ハイド卿に説明する。
「ふむ…。それは受け手に回るという事ですかな?守護騎士と国境守備隊は動かせないにしても、国防軍は今の内に国境付近に派兵…という事でしょうか?」
「うーん。びっみょーなとこだね。聞いてる限りじゃ手足を捥がれたわけだから国境から物量でオセオセもあるかもだけど、徹底してっかもよー?」
「…ハイド卿。というと?」
カリスト宰相が催促する。
「だって、散々搦め手使ってきて、ダメ押しが王道っていうかさぁ~、正攻法ってのもなぁーんかなーって思ったりしなかったり。見せかけの正規軍はいるんだろうけど、お飾り程度じゃないかなー。ただの直感なんだけどね。」
ハイド・シン・エゼルロード軍務卿の《直感》という言葉に、場が凍り付く。旧知の中である人間だけが知り得ている彼の《直感》がどれだけ有能か。それはもう未来予知なのではないだろうか、と思えるほどの精度なのだ。つまり、デレク・シン・ブリュンヒルド防衛卿の策は下策と言う事になる。それは相手が後詰に於いても正攻法で来ないという事に他ならない。
――もう敵は潜んでいると言っても過言ではないわけだ。
恐ろしいことこの上ない。意味が分かると怖い話のようなものである。
「……ハイド軍務卿よ。貴殿なら、電光石火の如く敵を追い詰めるとして如何様な策を弄す。」
ジゼルヴァリス国王が軍務卿に尋ねる。
「えーぼくならなぁ。うーん……。お飾り正規軍は国境守備隊の何人かを買収して早々に守りを打ち破るとして、内側にもう入れ込んどきますかね?国境を正攻法で攻撃しときながらの二面展開?部隊に合流されるとウザいっしょ~?周辺諸国にはサクッと侵攻出来たのは魔物ちゃん達のせいで片付くし。あ、手際良すぎるし、周辺諸国も一枚噛んでたりしてね?」
国王は聴きたくないとばかりに瞑目して頭を振る。
「でもそれだと敵がそれなりの規模が入り込んでいることになると思いますが一体どこに潜伏してるんでしょうね…?」
カリスト宰相がデレク防衛卿に投げかける。
「相当の手練れなら、ファライア森林帯に散って潜伏し続けることは可能かと思います。他にも東、西の迷宮鎮静化は失敗しているのでしょう?身分は冒険者に流れの商人って所ですかね。偽装して散って入り込んでいるでしょうね。商人の護衛に冒険者を雇って我が国に入って来ていても可笑しくないですから。」
宰相の疑問に、デレク卿が答える。デレク卿には予知じみた能力はないが、軍略……特に防衛に長けているため、シア王国が盤上なら、という一点に置いて敵の配置を読み解く能力で右に出るものはいない。そうでなければ国防は任されない。
「では、動ける国軍を用いて叩くので?」
「いや、ファライア森林帯に潜める程の手練れなら、私めの国防軍では――
これまた宰相の質疑にデレク卿が応答する。
淀みのない回答は流石だ。
「では、どうする?ハイド軍務卿に虱潰しに掃討させるか?」
「偵察――いや索敵に留めるべきでしょうな。それと国攻軍は使わず、密偵部隊――私兵を遣わせて、こちらも冒険者として紛れ込ませるのがいいでしょうね。」
出された対応策は甘い。
既に後手に回っているのに更に保守的な一手だ。それでは被害は甚大になってしまうだろう。防衛に置いて国内外問わず、一目置かれる――世界が認めた人間がそんなお粗末な案だけしか出さないわけがない。
「国防軍はどうしますか?」
よってカリスト宰相は催促する。
「国防軍はそのまま――現状維持でお願いします。それも宣戦布告まで猶予はあるとみていいと思います。ですが布告をされれば、此方は国境付近に兵を集めないと不自然です。どうしても王都の守りが手薄になってしまいます。それは致命的でしょう――なのでサースの領主軍と死神を左右に――東西に派遣、もしくは王都に召集することをお勧めします。」
デレク防衛卿が答える。
「つまり、サース領の駒を囮にするという事ですか?――戦いの火蓋を切ってもらい――向こうが開戦を万全ではない状態――計画の前倒しを図ってしまわなければならないように仕向けるという事ですね。」
開戦時期を相手に決めさせるようで、此方が都市街サースの軍を使い時機を決める。ということだ。
戦略を組み立てるのはからっきしでも戦略の意図を読み取ることは頭の切れるカリスト宰相にとってはお手の物だ。
「後の先を取れれば此方に勝機が生まれる。——では布告前に動いてもらおう。」
方針が決まった大臣達は速やかに其々のやるべき事に戻っていく。
――都市街サース領。
歩道と馬車道の境界線には
流石に路地のような部分には薄闇に包まれている場所があるが――それを差し引いても都市街は夜でも明るい。繁華街区、歓楽街区はこれから賑やかになっていく。
『良かったらウチで飲んでっておくれ』
『うちは肉料理がうめえぞ!酒と一緒にどうだぁー!!』
王国に存在する三都市のうちの一つなだけあって至る所で客引きや、宣伝文句が飛び交い、賑わいを見せている。此処、冒険者ギルドは歓楽街と繁華街の境界に位置している。この時間に冒険者がやってくるのは依頼を終えた者くらいである。そして残留組。一階カウンター広場では酒場が併設されており軽くだが飲み食い出来るので――祝杯と称して軽く酒盛りを始める人がちらほらいるくらいだ。基本的には酒は飲食店――酒場と相場で決まっているからね。—―ジョッキ樽を片手に
「あら、珍しいお方ね。」
奥室に招き入れたのは原色の赤毛を胸程の
「急ぎ知らせ頼みたい事があってね。」
「十二支のメンバーの一人が来るほどとは。それも兎か。用件は?」
ギルド長は姿を見て、察したかのように兎と呼ばれた人に用件を催促する。
「話が早くて助かるよ。東西の問題は把握してるね?ギルドはサースの領軍――ヴォルフスブルク家と協力して解決に動いてくれないかな。もっというとギルド側は……ギルド長――貴方に動いてもらいたい。」
ギルド長の片眉がピクっと微かに動く。
「用件はそれだけか?」
「ああ、ヴォルフスブルク家には今から伝えに行くよ。じゃあね。」
兎仮面は
「了承しちゃって良かったの?」
「—―選択肢があったように思えんがな。」
口元に手をやり、くすくすと一笑いしてから、それもそうね。とティアは返答を返した。
そして続けて――
「でも、そうなると此処がお留守になっちゃうわね。」
「ああ。どうする?付いてくるか?」
「貴方の傍が一番安全だもの。付いて行っても良いなら?」
「—―はぁ。そうなると……後は後輩達の動き次第か…」
サース領の受難が確定した日である。
サース領、居住区の一画を占めている豪邸。
そこに住まうは領主―—ヴォルフスブルク家当主リーゲルバット・シン・ヴォルフスブルクである。
彼の執務室がノックされる。いつもなら執事のゼメルが入室の許可を取ってくるのだが、今日は違うようだ。
中性的でフランクな声が聞こえてきた。
「お久しぶりですね。当主様。」
「—―誰だ。いや、貴様は…」
「ジゼルヴァリス王直轄部隊――
「ノックしておきながら、扉は開けずに入室か。一体全体どうやってるんだかな。魔法か手品か、種明かしでもしていただきたいものだ。」
「種を明かした後、どうされるんですかね。」
「同じ手で入ってこれぬよう対策を立てさせてもらう。」
「じゃ、教えるのやめておこうかな?」
「ふん。端から教えるつもりもないくせに、無駄口叩いてないで、用件を言え。」
おどけた口調で兎は領主の目の前に現れた兎仮面に、リーゲルバットは怒気を隠そうともせず、用件の催促をする。アポも取らずに、いとも簡単に領主の邸宅に乗り込んでみせた兎のせいで警備体制の
「領主様が怖い顔をしてるので、お望み通りに用件をお伝えしましょうか。ギルド長と東西の領にも出現した
※なるはや、とはなるべくはやくの略。
リーゲルバットは眉間を寄せた。
「それは他領の管轄に手を出せと?領主達に許可は?ギルドではなく、ギルド長ということはあの男が直々に動くのか?つまり――。」
「領主達の許可は他の十二支が取っています。ご心配なく。用件はお伝えしましたので――じゃあね。」
兎はリーゲルバットの話を最後まで聞かず、最低限の質問に答え、手を振ると、霞のように消えた。気配は――もう感じ取れない。
「—―はあ。身勝手な奴め。」
選択の余地なし。溜息を吐き、顎髭を撫でる。暗に戦争の時が近いから早く他領の問題を解決しろとのことか。それとも――いや考えすぎか。リーゲルバットは頭を振る。俺はヴォルフスブルク家として、王命に背く訳には行かない。
リーゲルバットは執務机に取り付けられた呼び鈴に魔力を流す。
「御呼びでしょうか。ご主人様。」
三度のノックの後、扉越に渋い声の壮年の紳士が語り掛ける。
「ゼメルよ、入れ。」
いつもの老紳士の声には安堵感を与える力がある。
「では、失礼します。」
ゆっくりと扉が開き、老執事のゼメルは洗練された動作で室内に入ってくる。たかが入退室、されど入退室。
「悪いが、ギルドマスターへ
「—―ふむ。畏まりました、ご主人様。—―それで、どちらの方で会われる予定で?私自らが赴くという事は大切な御用件なのでしょう?」
「うむ。向こうが指定するならそれも良し。私自らそこへ行こう。何も言ってこなければ此方の防諜室でも使おう。と提案してくれ。」
主の回答に少々眉根を寄せ、非難するが意を唱える程のことでもない。相手がただのギルドマスターであったなら間違いなく領主としての威厳が――などと言ってしまっていただろうが。一般的な立場は領主が上、他ギルド含め、冒険者ギルド達は独立しているが下。冒険者ギルドは武力を以て、物事を解決しがちな性質を持っているので緊急時は非正規戦闘員扱いなのだ。今回のような急を要するよう話の場合、指揮を執るのは領主と相場で決まっている。それは現サース領、冒険者ギルドマスターも分かっていないわけがない。分かっていても配慮する姿勢が、主の態度が弱腰に映りかねない、と思ってのことだ。
「言いたいことは分かる。ただ今回は俺もギルドマスターも急を要する王命の使いパシリみたいなものだ。同じパシラレ役同士仲良く円滑に物事を進めたいんだよ。」
リーゲルバットが執事ゼメルにざっくりと状況を説明すると諫めるような鋭い目つきは――柔和な好々爺のように、はたまた執事然としたものに変わる。
「そういうことでしたか。失礼致しました。」
一礼したゼメルは、主の命を受け、部屋を退出した。
「はぁ。仕えてる主が過分に下の地位の者に配慮するべからず。ってか。ただそれは緊急時の統制を円滑にするためのものであって、まだ平時である今ならこの位の配慮許されるんじゃなかろうか?」
問題がどれだけ深刻か、などはギルドマスターが来れば嫌という程考えさせられることになるのが分かっている。だから
「冒険者ギルドマスター殿、ティア殿も迅速な対応に感謝する。
十二支の兎がやってきた翌日、防諜室に招いたリーゲルバットは向かいのローソファに座るよう手で合図した。
「いえいえ、あら!うれしいわね。」
「
眼鏡が良く似合う赤髪の女性専任秘書ティアに、ギルドマスターが諫める形で感謝を述べる。
「かまわんよ。むしろ堅苦しいのはよしてくれ。君にありがとうございます、なんて言われたら此方が落ち着かん。」
「—―ふむ。分かった、善処しよう。」
「じゃあ、私は薔薇茶で。お二人は珈琲かしら?」
『ああ、それで頼む。』
男性陣はティアに飲み物の管理を任せる――早々に丸投げしようと決め、
「呼び出した理由は、東西の都市街に出現している迷宮攻略についてだろう?」
「話が早くて助かる。この件は迅速な解決が求められている。西部都市は山間部を切り拓いているとはいえ、領軍を派遣するにはな…。」
「ああ、大人数での移動は
「そうだ。我々は海上から東都市街イースに領軍を送るのが妥当だと考えている。此方が派遣先を決めたのだ。何か便宜を図って欲しいことはあるか?」
「—―今回はどうもキナ臭い。俺の専任秘書でもあるティアを同行させるつもりだ。ただ、迷宮にまで同行させるつもりはない。俺は個人主義だからな。」
「貴方のは個人主義なんじゃなくて
※
黙ってお茶を嗜んでいたティアがギルドマスター発言に茶々を入れる。
「—―ま、そういうことだから。迷宮に潜っている間、護衛をしてもらえると助かる。」
「ふむ。それは向こうの冒険者や冒険者ギルドに頼めないのかね?彼女も職員だろう、その方が安全のような気もするが。」
「俺達が動かねばならない位――ってのは彼等に余程余裕がないということだ。護衛に人員を割かせて迷惑を掛けるわけにはいかない。」
リーゲルバットはフンッっと鼻で笑う。そして鋭い目で問う。
「建前は止せ。女一人匿えないで何がギルドか。死神殿は、この事態どう読んでいるのだ。」
敢えて管理職名ではなく、
「俺は――既に敵は、忍び込んでいるとみた。イース、ウェース
支部はそいつらの妨害に遭っているはずだ。敵を狩る為に餌は撒くもので、みすみすくれてやるつもりはない。」
「餌だなんて失礼しちゃうわねっ。俺の女にちょっかいかける愚図は許さない、くらい言って欲しいわね。」
ティアはわざわざティーカップを置き、ギルドマスターの腕にぐりぐりと拳を押し付ける。
見た目と反して、実に可愛らしい抗議をしてみせた姿にギルドマスターよりも対面に座っているリーゲルバットが困惑し、たじろいでいる。無論、ギルドマスターも内心はリーゲルバットと変わらないが。
「ま、まあそういうことなら家から派遣しよう。何人いる?腕の立つ女性士官となると、候補となるのは三部隊…
「あら、その説明だと一部隊は丸々護衛に出来そうだけど?」
ティアがもっともな疑問をリーゲルバットに投げかける。
「実力がな。副隊長以下は、元農民や孤児院の
リーゲルバットは説明の途中で大袈裟に溜息をついて話を中断し、冷めた珈琲を飲む。
「実力だけが問題ではないと?人間性的な問題か?」
ギルドマスターは
「いや、違う。性格も良い。すこぶる良い。良すぎるが故に、出会いに飢えた我が領兵の間では、正真正銘の
リーゲルバットは言い終えると同時に、ガクンと首を折るようにして頭を垂れる。
『………………。』
ギルドマスターとティアは流石にそこまでの人気だとは思ってもいなかった――というか影響力の凄まじさ含め、リーゲルバットに掛ける言葉がすぐには見つからなかった。
「そういうことなら仕方ないわね。私も危険な所には近寄らない予定だし。護衛は一人で良いわ。」
護衛対象であるティア自身が沈黙を破って、リーゲルバットの提案を受け入れた。本人が良いというのだ。ギルドマスターも意を唱えることはないようだ。
「すまないな、此方が便宜を図ると言ったのに。ティア殿は中庭で鍛錬している
リーゲルバットは胸ポケットから手帳を取り出し、一筆書くと、破ってティアに手渡す。給仕を務めていた内の
「ギルドマスター殿も話がないならティア殿に付いていってもいいのだぞ?」
「いや、俺にはまだ話がある。」
リーゲルバットは怪訝そうな目でギルドマスターに催促する。
「この地の――サース領の防衛についてだ。俺がこの地を離れ、ウェース領の迷宮に潜った事が確認された頃合いに、サース領は襲われるだろう。王都軍が助力してくれるのかは分からん。決めつけは良くないが――もしかしたらガルガンティア帝国との戦争になってそれどころではないかもしれん。俺は
飛躍した話にリーゲルバットは仰け反って、ソファにもたれかかる。
「そ、そんな話は聞いておらんぞ?!港区の一件か?報告の義務を果たさなかったのか!」
リーゲルバットは自身に何の報告もなかったことに――実際には三名の商人ギルド組員が犠牲になったものの、構成員の壊滅、とだけ報告が入っていた。
「そういう訳ではない。単に逃げ足の速い奴でな。重要な話が訊けそうな奴を捕まえるのに王都付近までかかってしまっただけだ。報告が遅れたのは謝るが、このようなことを口頭で済ます訳にもいくまい?此方に戻り次第、報告書の作成はしていたよ。」
相当に使い込まれているであろう――年季の入った黒革の手袋を付けたまま、鞄の中に入っている書きかけの書類をリーゲルバットへ手渡す。
内容は
「死神殿でも手を焼いたのか。しかもたった一人とはいえ取り逃がすとは……。」
血走った眼で情報を必死に取り込むと、リーゲルバットは関心と驚愕をない交ぜにしたような感想を漏らす。
「一対一で取り逃がすことなどあり得んがな。ひたすら逃げの一手では八十を超える上級冒険者を相手に――いや、それよりも重要な内容を持っているのか、という点で生かすか殺すか逡巡し――時間を掛け過ぎた。」
「時間は向こうの味方だったということか……。して、この報告書には
「ああ、そいつらがガルガンティア帝国が主要取引先だったことを明かしたよ。」
「ガルガンティア帝国への国境では厳重な取締が行われておる。しかし近年、大量の奴隷密輸はされた形跡はない。それなのに帝国が主要取引先か。—―ふぅ。」
点と点が繋がった気がした。
「ガルガンティア帝国が一枚噛んでいなくともシア王国を攻めない奴が帝国の座に君臨し続けられるわけないだろ?密偵が此方の情報を送っている筈だ。その戦争は避ける為に俺達が動くのか、それとももう避けられない段階なのかは分からんがな。」
リーゲルバットは息を呑む。
「あわよくば前者であることを願うが、最悪の事態を想定して動くために、サース領防衛の話を―――ということか。で、何か策はあるのか?」
「残念ながら策と言う策はない。ただ混乱を最小限にするため、指揮系統の
何かしらの人為的な襲撃が起こる可能性を示唆した上で、誰の指揮下で動くべきか。日付にサインが書かれた一枚の羊皮紙である。この
勿論、予めギルドマスターの魔力が込められた一点物だ。
「この街にも既に患者が紛れている可能性は大いにある。そいつらが扇動して指揮系統の妨害をすることは容易に考えられる。大胆に直接的な攻撃を加える可能性もな。俺のギルド支部で俺の姿や声を聴いて疑う奴はいない。」
だから、これを使え。と、
「ああ、ありがとう。」
「俺が出来ることはこれくらいだ。どう駒を使うかは領主様に任せるよ。」
それだけ言うとギルドマスターは立ち上がり部屋を退出した。
領主として、もっと気の利いた感謝を述べるべきだったと、リーゲルバット・シン・ヴォルフスブルクは後に語る。
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