第82話 タタンの村④

(最後にやや残酷なシーンがあります。注意してください)





 何故、この村の名を聞くまで、こんな大事な事を忘れていたのでしょう。


 薄い月明かりの下で呆然とした御主人様に見つめられながら、私はあの時の事を思い出していました。


 本当に、本当に馬鹿な私です。





  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「なあ、十二号。君、腕は充分だが、どうにも思い切りが悪い。

 盟約に逆らっても、良い事など何一つ無い。

 それは毎回の痛みで思い知っているだろうに、何故戸惑うのかね?

 ともかく、今後はきちんと働いてもらう。

 この村で訓練も仕上げになる。分かったかな?」


 他の戦奴達、十一名と共に連れてこられたタタンの村は、本当にのどかな場所です。

 誰もが顔見知りだと云うこの村に、教官の言う『スパイ』なんて本当に居るのでしょうか?

 でも、反論は出来ません。

 耳したくない不快な声。何よりこの男の異常性は恐ろしい。

 目を見ることすら避けたい相手なのです。


 私は黙って下を向いて話を聞くだけ。


 一方、私と違って同期の戦奴達は誰もがやる気に満ちている事が感じられます。


 奴隷と言っても戦奴だけは完全な無給ではありません。

 戦意を高めるために、雀の涙ほどですが給与は支払われます。

 そうでなければ、僅かな命令の隙をついて自分の命を優先させ、戦闘をお座なりにしてしまうからでしょう。


 何より金が貯まれば、自分で自分を買い戻すことも出来ます。

 それが、命がけの戦闘を可能にさせる。


 詰まる処、戦奴とは、究極に安く素直な傭兵だと言っても良いのでしょう。

 なら、私も自分を買える日を望みに生き延びましょうか……。



 タタンの村を切り捨てるのは、既に決まった事なのだそうです。


 辺境過ぎる。人口が少ない。重要な防衛点にならない。

 理由は様々だが、要するに『守るには無駄であり、反面、敵の手に落ちたなら進入路として使えない事も無い』という事だとか。

 なら、橋を廃棄して村民を移住させるなどの保護を進めれば良いのに、と思います。

 生前のお父様は、この村の住民を移住させる計画を立てていた筈です。

 それが、領主の務めというものではないのでしょうか?


 考え込む中で、不意に教官が通りの向こうを指すのに気付きました。

 誰もが私達を恐れて家に閉じこもる中、何の間違いか、通りをのんびりと歩くひとりの少女。


「む、あの女、実に怪しいな……。ふむ、二号と三号。あの女を尋問したまえ」

 教官に指名されたふたりの目が輝きました。

 ずっと前に鼻に届いてしまったあの臭い息に、今では色が付くか、と云う程に興奮しています。


「尋問しても白状しない場合、何処までやっちまっても許されますかねぇ?」


「君たちが“上手く白状させられる”と思う方法があるなら好きにして良い。

 それでも白状しないのなら、殺したまえ」


「へへ、ありがとう御座います」


「これなら、戦奴も思ったより悪くねぇな」


 一号から六号までは、元々が山賊で、縛り首に成るはずだった男達です。

 元から殺しを楽しむ性癖なのでしょう。嬉々として駆け出していきました。


 数秒も待たずに通りに鳴り響く悲鳴。


 残る男達と云えば、

『あいつら上手いことやりやがって』

 だの

『次は俺にお願いしますよ』

『男の尋問は、後回しでも良いな』

 など、下碑た笑い声で命令を待っています。


 吐き気を催すような言葉を耳にしている筈なのに、何故私は冷静なのでしょうか?

 それが逆に悲しいのです。


 そんな中、教官の足下から声が聞こえました。

「お、お願いです。本当にこの村にスパイなど居ないのです。

 男爵様にお慈悲を求めます。

 何卒、話し合いの場を、ガッぁぁぁ~」


 教官が剣を抜いて、転がっていた男性の腹を突き刺しました。


 頭も薄くなり碌な栄養も無い村で育ったに相応しく、骨と筋の目立った男性ではありましたが、貧しいながらも品性のある人物だったと思います。

 最後まで村長としての責務を果たして死んでいったのですから。

 

 いいえ、彼だけではありません。

 村長の死体の側には、彼より数分早くこの世を去った六人の男達の骸が転がっています。


 その姿を見ても私には声を出すどころか、震えて身を縮込ませる事すら許されません。

 只、堂々と立っている自分にも慣れてしまいました。


『戦闘命令』


 この言葉を聞けば、私は意識を保っただけの人形になってしまう。

 悲しい。恐ろしい。

 でも、私の口は、叫び声どころか小さな悲鳴すら上げられない。

 命令されたなら、恐怖すらも殺されてしまう存在。

 それが、戦奴。


 ならば、心に反応する身体は、どうなのでしょうか?


 心臓は早鐘を打つように興奮しているだろうか、焦りを発するかのように滝のような汗が背筋を濡らして居るでしょうか?


 いえ、やはり、これも同じでした。

 そよ風に吹かれたように身体は平常で、辺りに漂う血の臭いにも何も感じはしない。

 そんな中、遂に教官は私を見据えて話し始めます。


「十二号。君は久々の竜甲兵だ。よって誰よりも殺しに慣れてもらわんといかん」

 普通なら背筋がぞくり、とする言葉なのでしょう。

 でも、今の私には何も感じられません。そして教官の言葉は続いていきます。


「竜甲というものは、圧倒的な“力”だね。

 戦場でどれ程の勇者だろうが、竜甲の前には幼い子どもも同然だ。

 つまり、これからの君は大人として小さな子どもを殺す事を繰り返していかなくてはならない。

 私の言いたいことが分かるな?」


 理解できました。

 そう、理性では、その言葉の持つ恐ろしさが理解できました。

 しかし心はまるで動かないのです。

 今までなら、その理性を必死に生かして命令に反抗もしてきました。


 けれど、繰り返される命令は次第に私の心を蝕んでいた様です。

 意志に反して、只、素直に頷きます。

 その動作が私の中の全てを壊した事に気付いたのでしょう。

 教官は嬉しげに命を下しました。


「ならば、行け! 最低でも八名だ。十才以上と思われる者は後回しで構わん」


 手近な家のドアを蹴破って中に入ります。

 そうして消えたドアのあった空間を通って、私は再び表に出て来る。

 その間、十秒とは掛かっていません。

 さて、次の家は何処にすべきだろうか。

 首を少しだけ巡らせると、すぐに目標は定まります。




 駆け出した直後、私の手から路上へと赤ん坊の首が放り投げられました。




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