第5話 炎の欠片①

 ヤバイ……。


 五日目ともなると、いくら何でも、もう限界だ。

 この世界に来てから、まともなものを何も口に入れていない。

 果物と水だけ、って、俺ぁカブトムシじゃねえんだよ!

 これじゃあ当たり前だけど目も回って来る。


 そんな中、洞窟を出た直後に崖下にいる“そいつ”を見つけた。

 兎、にしてはやけに大きい。

 ネットで見た事があるヨーロッパの食用兎よりでかい!


 二メートルぐらいはあるんじゃないだろうか。

 重さは楽に百キロは超えていると思う。

 兎って草食だよな。と思うんだけど、まるでゲームの魔物のように先の尖った角が生えている。

 角の長さはまっすぐ四十センチぐらいあるだろうか。


 あんなのが腹にぶつかって来たら、あっという間に突き抜けてしまうだろう。

 どうする……。


 といっても、何か食べないと死んでしまう。

 体力のある今のうちにあれを倒せれば、何とか肉が手に入るんじゃないの?


 けど、すぐに気付いた。

 あれを上手く殺せたとして、どうやって皮を剥ぐんだ?

 どうやって肉を焼くんだ。


 一生懸命生きようにも、生きる手段が無い。

 あの声が約束してくれた生きるための助力って奴は、今日も現れる気配がない。


 

 あ、兎がこっちに気付いた。目が合ってる。

「ハロー……」

 ダメだ。凄い目だ。前世で見た兎なんかじゃない。

 肉食獣の目だ。

 少し開いた口から確かに牙が見えた。


 崖の上の俺を見つけて、岩場を跳ねながら少しずつ移動して来る。

 決して友好的な態度じゃないことは、そのうなり声から分かる。

 あれを喰うだって! 馬鹿な!


 喰われそうなのは俺の方じゃないか!


 必死になって側にあった石を投げたが、毛皮はものすごく硬いみたいだ。

 あっさり弾き飛ばされる。

 いや、怒りを大きくしただけかも知れない。


 遂に奴は斜面を駆け上がって来た。凄い勢いだ。


 もう、なりふり構っていられない。

 持ち上げられる中で一番大きな岩を持ち上げた。

 角が腹に迫る。


 思いっきり、振り下ろした。



 メチャクチャ運が良かった。

 デタラメに振り下ろした岩はあの化け物兎の頭をたたき割ってくれた。

 あっちのスピードが速かったのも良かった。

 カウンターになったんだろう。

 でも、それだけなら奴は死ななかったと思う。


 崖を落ちながら兎は頭を下にした。

 角が頭蓋骨にめり込んでいる。

 早い話が、自滅した訳だ。


 腰が抜けた。


 確かに死んでいると思うんだけど、近寄れない。

 どう見ても確実に死んでる筈なのに……。

 怖い……。


 いきなりガバッと起き上がってきたらどうしよう、なんて思ってしまう。

 でも、凄く腹が減ってるのも確かだ。


 生肉だって良い。

 まずは食べなくっちゃならない。

 石斧でも何でも使って解体するしかない。


 そう思って、やっと立ち上がろうとしたんだけど、そのまま動けなくなった。

 犬、いや狼だろうか。

 四頭いる。

 俺が“やっつけた”兎に取り付いてその牙で切り裂き、かみ砕き、呑み込んでいく。


 気付かれたら俺まで餌になる。

 そう思うと動けない。


 でも、そんな中で悔しい気持ちも芽生え始めていた。

 あれは、俺の獲物だ。

 俺が命がけで倒したんだ。


 いや、何より、何故こんなに怖がっているんだ。

 あいつ等にも岩を投げつけてでも、戦うべきじゃないか!

 俺は何て情けないんだ。

 一生懸命生きる、ってそう決めただろ。

 逃げ回ってるだけじゃないか!

 前世で負け癖が付いちまったのか!


 怒りが狼に向いているのか、自分に向いているのか、分からなくなってきた。


 その時だった。

 頭の中に、不思議なイメージが湧いてくる。

 赤い『何か』

 例えるなら、炎のような何か。


 こいつか!

 あの“天使の声”の言葉を思い出す。


『身体の中にひとつ。扱い方を間違えると破滅』


 じっとりと汗をかいている中で【炎】が俺に話しかけて来る。

【そうだ。この力を使えば良い。あの様な虫けら、ものの数では無い】

 薄く、無機質で冷酷な笑いが含まれた意識が流れ込んでくる。


 お前、誰だ!


 一応、問い掛ける。“声”に教えられていたのだ。

 いずれは、こいつと信頼と信用の関係を作らなくてはならないが、最初は強気で対応しろ、って。


 確かにあの“声”の言った通り、こいつは危険な悪意のある“何か”だ。

 少しでも気を抜けば身体を乗っ取られそうな程の圧力が感じられる。

 そんな俺の気持ちを無視して、【炎】は語りかけて来た。


【貴様が一度は自力で生き抜いた事で条件が揃って現れた存在、とでも言うべきかな?

 だが、それ以上は何でも良かろうに。

 いい加減に決めないと。ほれ、気付かれたぞ!】


 そう、こいつの言う通りだ。狼の一頭が確かにこっちを見た。

 おい、普通の狼じゃないぞ。

 目玉が三つある! その上、良く見ると尻尾にでかい針まで着いてる。

 きもっ! 恐っ!


 冷や汗が流れる。

 無意識のうちに指先を中央にいた一匹に向ける。

 何故か、そうしなくちゃいけない、って分かった。

 それから、


“死ね!”


 怒りと恐怖を全部集めて固めた。そんな思いを込めて指先に意識を集中した。



 ドドォーン!!!!!



 途端に崖下が吹き飛んだ!

 炎、なんてもんじゃない!

 地面が、いや、空気までもが燃え上がり、激しく震える。


 一瞬耳がおかしくなるほどの大爆発!


 炎が収まっても、真下は何も見えない。

 もうもうと土煙つちけむりが立ち上るだけだ!

 

 どれくらい経っただろう。それが収まると……。


 崖は一メートル近く高さを増していた。

 兎の死体も狼達も、みんなまとめて地面ごと綺麗さっぱりと消え去った。

 そして、そして俺はというと……。


 巨大な穴の底を、只、見つめているだけだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る