第3話 いらない子②

 いつからだったろうか?


 昔は、よく走り廻っていた気もする。

 周りには、ごく普通に友達もいたような気もする。


 もしかしたら、それは俺が心の中で作った嘘の風景で、昔から本当の友達なんていなかったのかも知れない。


 いや、やっぱり昔は友達はいた。

 だけど、みんな離れていった。


 切っかけは、中学に上がったばかりの頃に始まった、ひとりへのイジメだった。

 他の小学校から上がってきたグループ。

 俺の通っていた小学校には居ないタイプだった。

 年の割に夢と現実の境があやふやで正義の味方を気取っていた俺は、それを止めた。

 小学生の頃なら、それはヒーローとして周りから賞賛される行為だっただろう。


 でも、俺はあの年頃の人間の変化ってやつを甘く見ていたんだ。

 イジメの矛先は俺に向かってきた。

 そこから周りの誰もが俺を避けた。

 奴らは常に集団で行動し、教師の目を盗んで上手く立ち回った。

 いや、教師も気付いていたのかもしれないが、大学を出たばかりの若い教師のヒステリックな説教は奴らを更に凶暴化させただけだ。


 次第に、同じ小学校からの友人も俺から距離を置くようになった。

 それが不愉快で、暴行を受けた後から“友達だった”相手が謝ってきた時も無視してやった。


「恐かったんだ。ごめん」

 奴らはそう言った。 

 そう、それはあいつらが俺に示した精一杯の誠意だったのかもしれない。

 皆が皆、最初っから敵って訳じゃ無かったんだ。


 だけど、

『俺だけが正しい! 他の奴らはイジメをする糞か、見て見ぬ振りをする腰抜けだ!』

 そんな訳の分からないプライドがどんどん大きくなっていった。

 人を見下していった。


 そこを、“あいつ”につけ込まれたと言ってもいい。


 奴は、おれの味方の振りをして、

『周りの奴らに馬鹿にされても、一緒にいじめられたとしてもお前を信じる』

『いつかはお前の方が正しいと誰もが認める』

 そんな甘い事ばかり言ってきた。


 だから俺も、あのグループに対して更に強気に出た。


 けど、実際は奴こそが裏のトップだった。 

 奴は影で俺をからかい、馬鹿にして、俺が引けない様に細工した。

 夢見がちで、お調子者の俺は単純に奴を信じた。

 おびき出された俺は、人気の無い廃屋で袋だたき会った。


 それだけなら俺も抵抗を続けただろう。

 けれど奴は俺が思う以上に悪辣あくらつだった。

 過去に俺が助けた連中をひとつのグル-プにして、武器を持たせて俺を襲わせたんだ。

 この時のショックは大きかった。

 あの時の“奴”の歪んだ笑いも許せなかったが、それ以上に許せなかったのは、あの、いじめられっ子達だった。


 俺に助けられたにも係わらず、我が身可愛さなら、とばかりに、あっさりと俺を襲った。

 人を助けても何の意味もない、と思った。


 そこからのイジメは更に激しいものに変わっていった。

 すれ違いざまに後から蹴られるのは当然。

 階段から突き落とされる。給食のシチューにGが入っていた。

 どれもこれも、珍しくもなくなった。

 プロレスごっこと称しては集団に押さえ込まれ、目に指を入れられ失明し掛けた事すらあった。


 そして結局、俺は折れた。


 うつむいて、下を向いて、病気の振りをして全てから逃げた。


 家では反動で暴れた。

 最初の頃は家族も学校に抗議に行ってくれたが、犯人を断定する証拠も見つからず、結局は有耶無耶うやむやにされた。

 まあ、クラスの男子はほとんど敵だったんだろう。

 当然、解決は出来なかったが、その後も兄貴は随分、俺に気を使ってくれた。

 友達との距離を縮める方法なんてのも教えてくれた。


 けど、イジメに負けた事を認めたくない俺は、ますます周りを否定して孤立していった。

 実は家族も信用していなかったのかもしれない。

 だから二年を過ぎると、当然、家族も俺をそっとするようになった。

 この頃から諦められていたんだろうね。


 友達が居なくなった事から、本にのめり込んだ。

 そこから人を見下す性格に更に磨きが掛かった。最悪だった。

 でも、受験に向けた努力とは違う無駄な知識ってやつは、どうやっても学力には結びつかない。

 高校は一ランク落として受験するしか無かった。

 その時ですら、あいつ等のせいで……、という憎しみと恨みから逃れる事は出来なかった。



 高校に入れば環境も変わるかと思ったが、中学の同級生がひとり居た事で結局、最低のスタートとなり、そのまま登校しなくなった。

 要は引きこもってしまった訳だ。

 一六を過ぎても毎日毎日、ネットで人の悪口ばかり書き込んでた気がする。


 段々情けなくなってきた。


 ある日、不意に、そう何故か不意にこのままじゃいけない、と思った。


 もう一度だけ前に進みたい、そう思った。

 だから日曜日の居間に降りて、まず家族に謝ろうと思ったんだ。



 やけに静かだった。


 誰もいない。

 テーブルの上には一枚の置き手紙と一万円札が二枚。


 “お父さんは出張です。

 お母さんは、お兄ちゃんと留学予定先の下見に行きます。

 二週間の間にはどちらかが戻るので、そのお金で生活しなさい“


 日付は昨日になっていた。


 兄貴の留学、何のことだ?

 知らない。


 いつの間に準備をしていたのだろう。

 留学と云う事は海外だ。

 お祝いもあったかもしれない。 

 思い出した。

 一月くらい前に、三人の帰りが随分遅かった事があった。


 それに二週間の旅行ともなればそれなりに準備も必要だ。

 少しぐらい家の中が騒がしくなる筈だ。

 だけど、誰もが何時も通りだった。


 少なくとも、俺が知る範囲では……。


 ああ、そうか。 俺はこの家にとって、もう“いない”存在なんだ。

 そう思ったら今まで以上に苦しくなった。

 叫んでいた。


 走って走って、訳が分からなくなって川に落ちて、それで俺は死んだ。


 そして今、この訳の分からない場所に居て、酷い話を聞かされている。


「みんな……、喜んでる?」

 感情もないままに“声”に聞いてみた。


『親は、まあ、表だっては悲しんだ振りをしてますね。

 でも、心の底では一生ニートになると思ってた厄介者が消えた、って思ってる様です。

 あと、あのいじめられっ子達ですが、過去の事を知っているあなたが消えたのでバンザイ三唱状態ですよ』

 声は機械的というより、俺の相手をするのをとても面倒に感じているようだ。


「あんた悪魔?」


『うっかり殺しちゃいますか?』


「いや、もう死んどるし!」


『……でしたね~。とにかく違います』


 あ、誤魔化しやがった。


『では、これで失礼します』


「あ、っちょっ、ちょっと待てよぉ!」


『何ですか? そのキモタコの真似みたいなセリフは』


「……いや、別に」

 気まずい。


「なんか、気まずいっすね。ここまでの無かった事にしてくれません?」


『そうですね。まあ、良いでしょう』


「あのさ、あんた神様?」


『いえ、私はその様な偉大な存在ではありません』


「じゃあ、天使とか云う奴?」


『まあ、そんな処ですね』


「俺に何か用?」

 天使、という言葉はとりあえずだが信じることにした。

 この妙な場所では“声”が嘘を吐いているとも思えなかった。

 何より俺を騙しても得も無さそうだし、ついでに俺のことは何でも知っている様だからだ。


 不意に“声”の口調が変わった。

 今までの馬鹿にした、あざける様なものじゃなく、真剣なものだ。


『ここ、どこだと思います?』


「地獄……、じゃないみたいだね」


『正解。ここは煉獄れんごくです』


煉獄れんごく?」


『生者の世界と死者の世界の中間点ですね。

 昇天できない魂が留まると言われています』


“言われています”なんて、やけに妙な言い方をする奴だと思う。

 普通、天使という奴は、天界の事をきちんと理解しているもんじゃないのか?

 けど、今はとりあえず尋ねてみる。

「昇天って?」


『一度、きちんと死んで生まれ変わる事です』


「俺は、それが出来てない、ってこと?」


『はい』


 何だか知らないけど、それってヤバイ状況じゃないの?

 あの世でも世間から見捨てられてるって言うか、そんな感じかなぁ?


『そうですね。はっきり言えば、そうなります』


 うわ、やっぱり心を読まれてる。


「あ、あのさ。どうすれば昇天できるの?」


『生者の中であなたの魂の安らぎを願う人が祈り、それがある程度の意識を重ねた時に昇天できます』


「自分では?」


『無理です!』


 即答かよ!

 ま、まあ気を取り直して、質問を続けよう。


「どれくらい、祈りがあれば良いのかな?」


『ほんの少しですよ。

 ほんの少しの“安らかにあって欲しい”という心からの祈りが重なれば、死者がここに留まる事はありません』


「じゃあ、俺の場合。その“ほんの少し”も無いって事?」


『ですね』


 あっさりとした答だが、これ以上の言葉はない。

 俺は誰からも気に掛けられる存在で無かった、という事なのだ。

 両親にも、兄にも……。


「このままだとどうなるのかな?」

 声が震えるのかと思ったが、それも無く普通に喋れていた。

 どうやら肉体が無いのは事実らしい。


『どうもなりません』


「どういう事?」


『ずっとここに居るだけです』


「ずっと! ずっとって、どれくらい?」


『ずっと、は“ずっと”ですよ。仮に終わりがあるなら、この宇宙の終わりが来るまで、じゃないのでしょうか?

 私もそこまでは知りません』


「他に誰か、」

 人はいるのか、と聞こうとしたけど、それに被せるように声は答えた。


『誰もいませんよ。一人でずっとここに居るんです。

 私ももうすぐ消えます』


 ゾッとした。

 気が狂った方がマシじゃないか!


「ちょ、ちょっと待って!」


『どうしました?』


「ここから出る方法は本当に無いの?」


 沈黙……。


 声は答えない。


 声も“もうすぐ消える”と言っていた。

 もう、誰もいないのか。

 叫ぼうとしたが、意味がない事を思い出し、それも止めた。

 何も考えられなくなった。



『ならば、』

 不意に聞こえた“声”に涙が出そうになる。

 救いの糸は切れていなかったのだ。


「な、何!」


『ならば、選びなさい』


「何を選ぶんだよ?」


『ここに留まってしまう人間は、不幸な死に方をした人が多いのです。

 その様な人々をこの様な空間に閉じ込める意味が私にも理解できません。

 もっとも神の意志に逆らう事の出来ぬ私には、どうしようも無い事なのです』


「はあ……」


 こいつ、天使ってだけあって、実は性格は悪くないんだ。


『ここに居れば、少なくとも苦しみや痛みはありません。

 空腹も無ければ、怪我や病に苦しむこともないでしょう。

 しかし、あなたがここから出たいと言うなら、元の時間軸では無い別の世界に“新たな生”を求めなくてはなりません。

 しかも、三つの条件が付いてきます』


 嫌も応も無かった。即答だ。

「ここから出られるなら何でもする!」


『後悔するかも知れませんよ。それに長く待てばここから出られる可能性もあります』


「可能性?」


『はい……、可能性です』


 どうやら、その可能性とやらはかなり低いようだ。

 俺は質問を続ける方を選んだ。

「“新たな生”って云う事は生き返れるんだよな?」


『ええ。但し、あなたの生きていた世界ではありません。

 命の価値がとても安い世界です』


「なんだ。今までと同じじゃん? それが苦しい条件のひとつ?」

 間接的に言えばイジメで狂って死んだような人生だ。

 そんな言葉でビビると思ったら大間違いだぜ、と言いたかったが、天使は直ぐさま切り返してくる。


『馬鹿を言ってはいけません! あなたの世界では建前だけでも人権がありました。

 これから行く世界は、それすら怪しいのですよ。

 また言葉や文字が違うことも含めれば、生きることは更に難しいでしょう。

 しかも、条件は別にあります』


 思わず唾を飲み込む。

 次第にこの声に含まれる力に圧倒される気がしてきたからかな。

 こういうのを“威厳”って言うんだろうな、と思う。


『試練を三つ与えますが、失敗した時点で全て終わります』


「あ、ああ……」


『まず、ひとつです。とにかく一生懸命生きて下さい!

 そうして多くの人との繋がりを生みだし、死に際して最低千人の人々から少しでも惜しまれて世を去らなくてはなりません。

 そうしなければ、死後はまたここに来ることになります。

 今度は私も救えません』


「人との絆……、最低千人に惜しまれる死に方!」


 無理だ! そんなに簡単に人を信じられる訳が無い。

 あんな目に会ったんだ!

 やり直そうとしたら、もう手遅れだったんだぞ!

 それに“千人”だって! もう無茶苦茶だ!


 そう、叫ぼうとした。

 だが“声”はそれより早く、告げる。

『違います! 誰でも人を信じるのは難しい。それが当たり前です。

 生きる事は闘いです。残念ながらあなたは闘い方を間違えた。

 生き方そのものが間違っていた、とは言いませんが、もう少し我慢強くあるべきでした。 

 話し合うために家族が帰ってくるまで耐えるべきでした。

 一時の感情の爆発に身を任せた事が間違いでした』


 言葉に詰まった。


 そんな俺に向かって天使は言葉を続ける。


『私はあなたの生き方が嫌いではありません。

 世の“不条理”を正そうとした精神は、これからの人生に大きく影響を与えると思います。

 最初にからかったのは、本当に済みませんでした。

 本音を知りたかった事もありますが、あなた根は明るい子だったんでしょ?

 友達と馬鹿な掛け合いをしていた頃を思い出して欲しかったのです』


「友達なんか……、いないよ……」

 口にするには辛い言葉だった。


『人は弱いものです。難しいでしょうが、いつかは彼等を許してやって下さい。

 彼等はあなたより早く折れてしまっただけなのです。

 新たな世界に行くに当たって人を疑った心の侭では、これからの試練に耐えられないと思うのです』


 やけに心に響く言葉だ。

 そうだ。

 やり直すなら、心を強く持たなくちゃいけない。

 俺だって結局は“折れた” そういう事だと思うしかない。


 しかし、千人の人間に惜しまれる死か。


 難しいけど、絶対に無理って程じゃない筈だ。

 一人ひとりが、ほんの少しずつ残念に思ってくれるだけで良いんだから。


 思い直して、やっと声が出る。

「あと、ふたつあるんだよね……?」


 何事も無かったかのように“天使の声”は答えてくれるが、中身はやはり厳しい。

『次はちょっと難しいですよ。

 と言うより、ここから本命ですが、後々あなたに害を及ぼす可能性すらあります。

 それでも聞きますか?』


「だって選択肢なんて無いじゃないか!」


『まあ、そうですね。では、まずひとつ。

 欠片かけらを八つ集めて食べて下さい』


欠片かけら? 何の? あと、食べるって?」


『どの様なものか、今は教えられませんが、すぐに分かるようになります。

 集めている内に“それ”が本当は何かも自然に分かります。

 元々あなたの中にも、ひとつは置いて置くつもりでした。

 この試練をこなすには、ひとつは最初から持っていなくてはなりませんからね』


「中に置く?」


『その意味もいずれ分かります。まあ、生きるための助力です』


「何か役に立つものなの?」


『力があるもの、とだけ言っておきます』


“力!”

 つまり、あの、よく聞く“チート”って奴か!

 そりゃ悪くない!


 だが、喜ぶ俺を冷やすほど“声”は静かだ。

『それが引き出せる様になるまで、生きていられるなら良いんですけどね』


「ええっ! 生きるために必要だって、今言ったじゃないか!?」


 無条件で使えるんじゃないのか?


 その心を読んだのか“声”はやけに冷たくなる。

『私は試練を成し遂げる為に必要だと言っただけです。

 自力で生きる気力も無い人間には、何を与えても無駄です。

 あなたが死んだら、さっさと回収させてもらいますよ』


 また言葉に詰まる。

 やはり甘くない……。

 つまり、生き残りの闘いはもう始まっているんだ。


 とにかく、情報が欲しい。

「集めるのが八つで、俺の中にひとつ。

 と云う事は全部で九つ?」


『ええ。今言った通り、この九つの欠片は正しく使えば、あなたの味方になります。

 しかし欠片の力にみ込まれたなら、その時は“破滅”ですね』


「やっぱり、また、ここに来ることになるの?」


『いえ、もっと酷くなる可能性もありますね。

 はっきり言えば、“分かりません” どうします。やっぱり止めますか?』


「まさかだろ! で、最後の条件は?」


 天使から最後の条件を聞いた時、俺は開いた口が塞がらなかった。

 はっきり言って言葉の意味が分からなかったのだ。

 だが、それでも、その条件も受け入れるしかない。

 最後に天使の声は何度も確認するが、永遠にここに居る以上の恐怖なんてある筈もない。

 とにかく賭けるしかないんだ。


 生まれ変わりの儀式を受け、意識が反転する直前、声は妙な言葉を付け加える。

『良いですか、人に惜しまれる死、です。 “人間”以外は認められませんよ』

 その声がやけに念を押している様に思えて不安だった。


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