当て馬伯爵は邪神に囲われる

肉巻きありそーす

第1話

 私は正しいはずだ


 田舎から来た平民上がりの男爵に貴族としての在り方を教授しようとしただけだというのにどうして決闘などしなければならない?


 私は暴力が嫌いだ


 血など見たくもない


 己が傷つくことはもちろん、誰かが傷つくことも度し難い。それがたとえ、無礼な芋男爵だとしてもだ。



「ロイナード伯爵!あんな冴えない生意気野郎なんてやっちまえ!」


 まったく、野次馬はのんきで結構。私の心労なんて気にも留めない。願わくば、この群衆の中に彼女がいなければいいが。


「それでは、これより決闘を開始する。今回の決闘はこのディミトリが執り行う。規則として使えるものはその木剣のみ」


 ディミトリ・デイ・エクストルマ。畏れ多くもこの国の第三殿下である。件はこの殿下に対するかの男爵の態度が起因だ。拙い敬語であったなら仕方のないことだと目を瞑ったが、奴はまるで平民の者に対する言葉遣いで殿下に話し掛けた。

 近くにいた私はさすがに看過できないと口を出したのだが、それが口論へと発展し、拗れに拗れて決闘までに至った。


「ドルテア・ゲリオス男爵、エルデンド・ロイナード伯爵。ともに心構えはよいか?」


 殿下の問いかけに私は無言で頷く。


「さて、いっちょやったりますか」


 対する男爵はなんとも汚い言葉遣いか。そして、私の見る限り彼は


「始め!!」


 私 よ り も 強 い



「うらぁぁぁ!!」


 気合いとともに真っ直ぐに突っ込んでくる男爵。私には受け流す技量はない。だから、それを受け止めるしかないのだ。


「ぐっ!!」


 骨と筋肉が悲鳴を上げる。ただの木剣だというのになんという重さなのだろうか。まともに喰らえば間違いなく骨は折れるだろう。


「おらぁ!」


 そのまま力で押し切られ、体勢を崩してしまう。


「しまった!」


 私は咄嗟に構え直すが、奴はその隙を与えない。


「ぐぼぁっ!」


 脇腹に一撃。内蔵がグルグルと回転する。不快感で視界が白む。


「うげぇぇぇ!」


 次いで痛みと吐き気が襲いかかってくる。こんなに痛い思いをしたのは父上から剣の指導を受けて以来だ。


「おいおいどうした伯爵様よ? 俺に貴族としての振る舞いをおしえてくれるんじゃなかったのか?もしかして、それがその礼儀とやらか?」


 ああ、私はコイツが嫌いだ。おそらく、こいつは暴力でどうにかしようと考える輩だ。己の間違いも力で黙らせることで正しくしてしまうような野蛮人だ。


「黙れ...」


 剣を杖がわりにどうにか立ち上がる。これは意地だ。暴力こそ正義だと知らしめることがないように。我々、貴族としての誇りをかけて、私は屈しないという意志だ。


「ぷっ、なんだよあの伯爵。平民上がりにやられてやがる」「なさけねぇ、貴族としての誇りはないのか」「いいぞーゲリオス男爵!!そんな小枝みたいな奴なんてぶっとばしてやれ!!!」「貴族の面汚しをそのまま退学させろー」


「あらら、どうやら人望には厚くないようで。あんたのこと気の毒になってきちまったよ、俺」


 その割には随分と愉しそうな顔をしている。そんなに私が嘲笑の的になっていることが愉快か? ふん、もとより友人などいない。貴族社会では利害関係しか築けないのだ。婚約者も然り。情などあるか。家族ですらそんな代物、存在しないというのに。


「お前は、この国の未来を破壊するつもりか?」


「そんな大袈裟な。ただ俺はに話し掛けただけだってのに、あんたが突っかかってきたからこうして相手してやってるの」


 やれやれ、と首を振る男爵。それが事実だとしても、あんな公の場であのような言動をすれば殿下の威厳はどうなる? 誰かがお前を咎めなければ、被害を被るのは殿下なんだぞ。


「それで、まだやるの? 俺はもうやめといた方がいいと思うけどなぁ。プルプルと小鹿みたいに震えてさ、どう考えても無理でしょ」


「ほう、ならばお前が棄権しろ。私は断じて諦めるつもりはない」


 私は敗北するだろう。だが、決して認めやしない。お前の行動が正しかったということは無いのだ。間違っているのはお前の方だ。


「うおおおおお!」


 こうなることならもう少し真面目に剣を学んでおくべきだったな。


「やれやれ、そんな鈍重な動きじゃ本気を出す気にもなれねぇや」


 溜息を吐く奴の顔が決闘における最後の記憶だ。








「おはよう、ロイナード君。気分はどうかな?」


 天井は知らぬが匂いは知っている。ここは学園の医務室だ。身体を起こそうとすると、鈍い痛みが走り、反射的に倒れてしまう。


「まだ無理に動いてはいけないよ。こっぴどくやられたみたいだから。まったく、彼もまだまだ大人気ない」


「先生は知り合いなのですか」


 ミステリオ・ナンジャ。この学園に常駐する国家医療師だ。その功績から若くして国から医療師として認められた初の女性医療師でもある。


「ええ、彼がいなければ今の私はないと言っても過言ではないほど、それほどの関係さね。殿下もまた同じ。君がしたことは余計なお節介だよ」


 どうやら最初から私に味方はいないらしい。とんだ道化だ。自分でも笑えてくる。になっただけか。


「お世話になりました。それでは失礼します」


「おい、まだ立っては───」


 惨めだ。最初から勝ち目などなかったのか。万が一、勝ったとしても私は殿下の目の敵にされるだけ。あの場で私の存在意義など下克上の当て馬になるだけ。そう自覚すればするほど目頭が熱くなる。


「くすっ......」


 不意に背後から笑い声が聞こえる。この弱々しく、消え入りそうな声は間違いなくだ。


「フェルモ」


「......くすっ」


 彼女は静かに笑う。この醜聞はもう君の耳まで届いているのだな。私の婚約者、フェルモ・エクステンよ。確かに君の父、エクステン侯爵はこの事実を許さないだろう。


「くすくすくすくすくす」


 気味の悪い笑みを零しながら消えていく彼女の後ろ姿をただ見つめることしかできなかった。

 彼女のことは如何せん好かなかったが、彼女もそれは同じだろう。 所詮、政略結婚に過ぎない関係なのだ。茶会の頻度こそ多かったがただ菓子を摘み、茶を嗜むだけ。会話もなければ目を合わせることすらなかった。


 寮に帰れば一通の伝書。家からの連絡だ。おそらく妹が今日の出来事を速伝達したのだろう。あの子ほど厄介な者はいない。


《即刻、屋敷に帰るように》


 当主の筆跡でただそれだけが書かれていた。





「貴様は勘当だ。エルデンド」


 淡々と告げられる宣告。この一晩で覚悟はしていたが、やはり心にくるものがある。


「我が兄の血を引くお前がよくもこんな醜態を晒してくれたな。おかげでロイナード家は貴族中の笑いものだ」


 当主であった父は五年前に病気でこの世を去った。当時の私はまだ幼かったので父の弟のウェンネスが後継者に選ばれた。ロイナード家は元々、剣豪として名を馳せていたが、父は特にその才能が秀でており、一時は王直属の護衛隊に属していたほどだ。


「どうして、どうしてあの兄からこんな出来損ないが産まれたのだ!それもこれもあの貧弱な女のせいだ!!」


 ウェンネスは父に大きなコンプレックスを抱いている。それ故に父の妻となった母に大きな負の感情を向けていた。その母も妹を産んで亡くなった。


「消えろ!!! 兄と同じような顔をしながら軟弱な貴様を私は殺したくてたまらない!!!死にたくなければとっととこの家から去れ!!!!」


 口から泡を零しながら叫ぶ伯父に何も返すことなく、私は踵を返す。


「くふふ、さよなら憐れなお兄様。寂しくなりますわ。どうかお元気で」


 門の前で妹が待ち構えていた。あの子には会わずに去ろうと思ったが、どうやらあちらは許してくれないらしい。


「また抜け出して学園まで来たのか?わざわざ私の失態を見つけるためだけに」


「だって、お屋敷は暇なんですもの。そしたら、こんなに愉快なことが起こって。わたし、居ても立ってもいられなくて、思わず叔父さまに報告してしまったの」


 妹のサターリアはまだ十歳。それでいて、私よりも勉学も剣術も秀でているので叔父は彼女を可愛がっている。父もまた、存命の頃は彼女に母の面影を重ねて随分と寵愛していた。


「これで満足だろう?


「ぐすっ、なんでそんなひどいこというの?わたし、お兄様のこと大好きなのにぃ」


「戯ろ、お前から愛など感じない。私に対するお前の感情はもっと黒くて粘着質なものだ」


「それがというものですのに」


「そしていい加減、その嘘泣きを止めろ。昔から不愉快だ。憤りすら覚える。とにかく、私はもうロイナードでなければ貴族でもない。お前とは金輪際関わることはないだろう。さらばだ」


 目を合わせることなく、門を潜る。あの子と正面から向き合ってはいけない。妹はだ。彼女は、「」と心底楽しそうに笑いながら言っていた。はっきり言って狂っている。母上は確かに出産時の大量出血が死因だが、私を不快にさせたいがためだけに実の母の死を揶揄できるだろうか? それ以来、私は妹に憎しみと怒りしか感じ無い。


「くふふ、、わたしのお兄様...」



 風に揺られてそのような空耳が聞こえた。


















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