〈第一章〉Side:私 a Man Ⅲ

「あっ……」


半ば自動的に私の口から声がこぼれ落ちた。


今では雪原のようになっている広いコインパーキングのほぼ中央に、白いワンピースを着た少女が立っていたからだ。



小学校低学年ぐらいの少女だった。



結晶化していない人間の姿は、まだ時折り見かけるので、少女の存在自体は、それほど驚くものではない。


私が、驚いたの理由は、少女が歌を歌っていたからだ。


誰に聞かせる事もなく歌い続ける少女の姿に狂気のようなものを感じた。


また、それと同時に“ひどく美しい”とも感じた。


自動的かつ無目的。

圧倒的な主体性の確立。

それは、この白い世界と調和していた。


救いを求めるのではなく、ただ自らの存在を主張する。


それは、やはり“ひどく美しい”ものであり、やはり、どこか“狂って”いた。


他者の狂気に虜まれて、死を迎えるのは避けたい。


私は、歌い続ける少女の姿から目を逸らすと、再び事務所に向かって歩みを進めることにした。



私が、事務所に着くと、ひとりの「訪問者」が来ていた。



「訪問者」としたのは、もう出入国在留管理庁等の行政庁が機能していない現状では、「依頼者」が行政書士事務所を訪れることはないからだ。


「失礼かと思いましたが、中で待たせてもらっていました」


そう言って、ソファーを立ちがったのは、十代後半と思われる女性だった。


「大丈夫ですよ。もう中も外も曖昧になっていますから」


「確かにそうですね」そう言って微笑む彼女の姿は、十分に魅力的だった。


「申し遅れました。私は、智雪麗と言います」

「智さんですか……中国の方ですか?」

「はい。小学生の頃に母が日本人と再婚したので、私も来日しました。純粋な漢民族ですがまだ結晶化は進んでいません」と微笑み、


少女は、右腕を捲り上げた。

白くなめらかな肌が露わになる。


白チ病は、日本人よりも漢民族に対しては進行が早い傾向にあった。


したがって、当初は、漢民族特有の奇病ではないかとネットを中心に広まり、在日漢民族に対するヘイトスピーチにまで発展した。


しかし、その流れも日本人にも白チ病が広まるにつれ鎮静化していった。


「智さんは、どうして私の事務所に来られたのですか?」

「先生に永住権の申請をお願いする為です」


この少女の躊躇いない言葉に、私は、半ば混乱し「今のビザは定住者ですか?」と、行政書士として「正しい質問」を返した。


「はい。そうです」

「三年?」

「はい。在留期限は、来年の8月まであります」


この答えを聞いた私は、ようやく判断力を取り戻し、


「こんな状況で永住権を取る意味は?」と、さらに「正しい質問」をした。

「こんな状況だからこそ……永住権を取りたいんです」まるで懇願するかのように少女は、私にはっきりと告げた。


彼女は、何を言っているのだろうか?


もう、永住権など無意味ではないか?


まだ結晶化が始まっていないとしても、来年の8月まで生きているはずはない。


それに、もう永住権の許可権者である法務大臣自体が存在していない。


既に入管をはじめとする日本政府機関は機能していない。


だから、そもそも永住権の申請なんてできるはずがない。


彼女は、私に何を求めているのか?



「っ!」



突然私の左腕に痛みが走った。


思わず身体のバランスを崩して、床に膝をついてしまった。


そして……理解した。


私にも……「終わり」が、始まったのだ。



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