第2話 結婚が決まってからのお見合い
父の新次郎が大急ぎで隣近所に声をかけて回り、あれよあれよという間に祝言の用意が整えられた。驚くべきことに、千佳は今日の昼に初めて会った男に、その日の夕刻には嫁ぐ運びとなった。
聞けば、半舷上陸に合わせて祝言を挙げたいと隆から手紙が来ていたそうだが、父の新次郎はその手紙を他の帳簿類と一緒にしまい込んで忘れてしまっていたそうだ。
隆の方も新次郎からの返事が無いことに戸惑ったが、どのみちこの休暇が終わればまたしばらく
相も変わらず抜けた所がある父だったが、いくらなんでも自分が嫁ぐことをよりにもよって祝言のその日に告げられるとは思いもよらなかった。周囲はそんな千佳を置いてけぼりにして慌ただしく動いている。
当事者である千佳は、洗濯終わりのもんぺ姿のままで隆と向き合って仏間に座らされていた。手には相変わらず手拭いが握られたままだが、さっきよりも幾分か乾いて来たように感じる。
二人の間に置かれた座卓の上には、既に湯気も立たなくなったお茶が二つ、手つかずのまま所在なさげに置かれていた。
千佳は正面の隆をチラリと窺った。隆の方は背筋を伸ばして真っすぐに正座し、千佳からは視線を外して外の騒ぎに目を向けている。帝国海軍の少尉さんと聞いたが、なるほど顔つきは引き締まり、胸板も厚くたくましい体つきをしている。武骨という表現がぴったりな男だが、鼻筋はすっと通っていて鼻先も高く、薄い唇は意志の強さを感じさせる。
だが、何よりも千佳が目を奪われたのはその目元だった。
――まつげが綺麗な人……
そう思うと同時に千佳は顔が赤くなった。
瞬間、千佳の視線に気づいた隆がすっと千佳に顔を向ける。隆に正面から見据えられると、千佳は恥ずかしくて俯くことしかできなかった。いきなり二人でお見合いをしろと言われてもそうそう言葉など出てくる物ではない。
俯くと座卓越しに隆の手が見えた。腿の上にぴったりと揃えられた指先はスラリと長く、手の甲には所々血管が浮いている。男らしく、それでいて優しそうな手だ。
海軍の少尉さんならばモテないはずは無い。きっと女の扱いにも慣れた物なのだろう。それに比べ、千佳の方は今の今まで男という物を知らずに生きて来た。
無論、近所に年の近い男の子の一人や二人は居たが、近頃の男は年頃になると町へ働きに出かけてしまい、伊香立の田舎に残る者はほとんどいない。それは男に限らず、女も十五、六歳になれば麓の堅田にある紡績工場へ働きに出るのが常だった。
「怖いですか?」
「は、はひ!?」
突然話しかけられてまたしても変な声を出してしまった。千佳の緊張に気付かないのか、隆はニコリともしてくれない。
「ご覧の通り、自分は愛想笑いという物が出来ません。そのせいで随分と怖がられてしまうことが多くて……」
「あっ、いえ、そんな……」
否定とも肯定とも取れない返事をする。そもそも佐々木隆という人間をほとんど知らないのだから、否定も肯定もしようがない。だが、ニコリともしない隆の顔は、何となく怒っているようにも見えることは確かだった。
――なにか……
話をしようと千佳が頭を回し始める。だが、千佳が口を開こうとした時には既に隆は視線を外し、今は仏壇の方に目を向けていた。さっきからどうにも会話がちぐはぐなままで噛み合わない。このままではいけないと思い、今度は意を決して千佳の方から口を開いた。
「だ、だ、誰に……こ、怖がられるんですか?」
――何を聞いているんだ。私は……
口に出した瞬間に後悔した。誰にと言って、女の人に決まっている。それも港町に集うような綺麗な女性に違いない。自分のような田舎臭い小娘など逆立ちしても敵わないような素敵な女性を数多く見てきているはずなのだ。その女性達を思い出させて一体何になるというのだろうか。自分のような小娘を妻に迎えることに不満を持たせてどうするのか。
だが、隆の返答は千佳の予想外の物だった。
「後輩です。兵学校では、『佐々木はいつも怒っている』と随分怖がられてしまいました。自分は、ただ口下手なだけなのですが……」
ニコリともせずに隆が答える。千佳にはその後輩の気持ちがよく分かった。確かに隆は黙っていると怒っているように見える。怒るまではいかなくとも、何か機嫌が悪いのではないかと思ってしまう。口下手なだけだと本人は言うが、結婚相手が自分のような娘でがっかりしているのではないかと要らぬ想像までしてしまう。
「口下手……ですか」
「……はい」
隆の頬が少しだけ赤くなったように感じた。案外口下手だと言うのは本当かもしれない。
再び二人の間に沈黙が流れ始めた時、父の新次郎が二人の居る座敷の戸を開けた。
「隆さん。急な事で今麓の親戚を呼びに行かせてるが、もうちっと時間がかかります。いつまでもここでこうして座っていてもらうのも何だし、何か用事があれば今のうちに済ませてもらってはどうかいな?」
「用事……と言われましても……」
そう言って隆が傍らの手提げカバンに視線を落とす。海軍暮らしで身に付いた物か、隆の荷物は極端に少なかった。
「ふ~む……よし、そしたら千佳。お前ちょっくら隆さんに村を案内してあげれ」
「ええ!?」
突然のことに再び素っ頓狂な声が飛び出す。案内も何も、川と田んぼと畑以外何もない村だ。いきなりそんなことを言われて千佳も困ってしまった。
「けどお父ちゃん、案内ちゅうてもどこを……」
「そやさけ、それをお前が考えて案内してあげよし。ほな、任せるで」
「あ、ちょっと……」
それだけ言い放つと、父は母に呼ばれて奥へ引っ込んでしまった。千佳が思わず隆を見上げると、隆とまともに視線がぶつかった。
「では、お願いできますか」
「は、はひ」
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