機械仕掛けの天使
鍋谷葵
機械仕掛けの天使
やせ細った若き少年A、糸鋸を左手に持ち、血濡れた手術台に右腕を置く。右腕の二の腕の中腹は、針金が何重にも巻かれており、それより先は鬱血し、全体的に紫色に変色している。
円形の無影灯の眩い光により、手術台上の少年Aの右腕は強調される。
少年A「俺はやるんだ! 俺は今ここでこの忌まわしき右腕を切り落として、神の子になるんだ! 自由を手に入れて見せるんだ!」
少年A、機械油に汚れた真っ黒なハンカチを力強く噛みながら、糸鋸を右腕にギリギリと入れる。
この瞬間、鬱血していた血は噴出し、無影灯及び少年Aが着用している機械油に汚れたポリエステル製のタンクトップと土埃を被ったジーンズを鮮血に染め上げる。
少年A、苦悶の表情を浮かべながらも糸鋸で自らの腕を切断する。
少年A 「……(痛みより歪んだ顔)。は、はあ、ついにやった! これで俺も! いや、喜んでいる場合じゃない、止血しないと」
手術台から離れ、飛び散った血が付着したステンレス製のトロリーより、少年Aはガス缶がセットされた古ぼけたバナーを取り、着火する。
ごうごうと噴き出す炎を前に、少年Aは固唾を飲む。
感じる熱波に震えながらも、一度深呼吸をするとガスバナーを血が溢れる傷口に向ける。
焼け爛れる皮膚、燃焼する脂肪、少年の絶叫が古びた手術室を満たす。
少年A「これで、一応、止血したか(意識もとぎれとぎれに)……?」
切り落とした右腕の断絶面に触れ、左手に血が付着しないことを少年Aは確認する。少年Aはひと段落といった具合で、手術台側面に背中を預ける。
少年A「あとはこれを捧げるだけ……」
手術台に手を伸ばし、切り落とした右手を心酔したように、恍惚とした表情で少年Aは見つめる。硬直する右手はまだ生暖かく、血はぽつりぽつりと薄汚れたタイルにしたたり落ちる。
しかし、脳内麻薬が切れたことにより、少年Aは激痛に見舞われる。加えて、傷口に蠅がたかり、黄色い小さな卵を産み付け始めた。
少年A「消毒とあれを……」
少年Aは立ち上がり、手術室に設置してある木製のキャビネットより包帯とウォッカを取り出し、手術台に置き、トロリーより手術鋏を取る。
少年A「よしよし、万事上手く行ってるぞ……。畜生! ああ、包帯が! クソ! いやまて、こういう時こそ落ち着いて。この火傷跡は逃げない。ああ、蠅め! どこかに行きやがれ! 神聖な神の子の腕だぞ!」
少年A、悪戦苦闘しながらもウォッカに浸した包帯を火傷跡に巻き付ける。
少年A「はあ、はあ、後は注射だけだ……」
脂汗を額に浮かばせながら、再びキャビネットに向かい、Heroinとラベリングされた液体の入った褐色の瓶を取り出し、ジーンズより使い古した注射器を取り出す。
少年A、褐色瓶のコルクを強引に開け、注射器に透明の液体を充填すると、右腕に注射痕がはっきりと見える青紫色の大血管に向け、注射器を突き刺し、充填物を体内に入れる。
少年A「……(恍惚とした表情で)。これで、ああ、神殿に持っていきさえすれば僕も神の子だ! 誰からも愛され、誰からも祝福され、誰からも認められる唯一無二の神の子だ!」
手術室の錆びた扉が、耳障りな大音を立てながら開く。
開いた先には右足が無い、全身がステンレスで出来た金属光沢を輝かせる機械仕掛けの天使が現れた。
機械仕掛けの天使「あなたは神の子には成れません」
ガラス製の赤い目より冷酷な光を機械仕掛けの天使は輝かせる。
少年A「それはお前の決めることじゃない! No.12! お前は先に神の子になって永遠の命を手に入れたからって、お前が決めて良いことじゃない!」
機械仕掛けの天使「私が決めたことではありません。神が決めたことです。もう、神の子は足りています。それにあなたは所詮、炭鉱夫の子供です。選ばれた血ではないのですよ」
少年A「選ばれた血が何だと言うんだ! 神は世界の下で、人間の命は平等だと言った!」
機械仕掛けの天使「それは嘘です。全ては血が決めることです。行いや供物ではありません。選ばれた十三氏族の血のみを神は認めてくれるのです」
少年A「選ばれた十三氏族? お前はその中に入っているとでも言いたいのか!? 農奴の息子がか!」
機械仕掛けの天使「そうです。農奴であったとしても、私の血は生まれつき神に祝福された血なのです。だからこそ、足を供物にこうして体を手に入れたのです。今や、血液は水銀となり、筋肉は細い銅線となり、心臓は鉛で出来た不死で不変の肉体を手に入れたのです」
機械仕掛けの天使、胸元を摩りながら機械音声を淡々と発する。
少年A「農奴の血を引く奴が何を言う! その血は偽物だ! だから、お前は神の体からかけ離れた機械仕掛けの肉体しか得られなかったんだ!」
機械仕掛けの天使「いいえ、これこそが神の体です。そして、あなたの体は一生そのままです。あなたは選ばれなかった氏族の血を引く奴隷の民族なのですから。あなたは一生プロレタリアートとして、この息苦しい炭鉱と小麦畑とバラックで満ちた空間で生きるのです」
少年A「お前こそが奴隷だ!」
クスリの影響によってどろりと理性が溶ける脳を頭に入れたまま、少年Aは右腕を手に持ち、手術室から外に飛び出す。
トタンと木材で出来た廃病院から飛び出た少年A、木や草一つない岩と砂だらけの山を駆け下りる。
靴底がすり減ったブーツに、岩がむき出しの山肌が突き刺さり、少年Aは足の裏から出血を覚える。しかし、それでもなお、バラック小屋の間を、汚らしい服を着た農奴と炭鉱夫、売春婦と栄養失調児の間を抜け、寒々としたみぞれが降り落ちる中、少年Aは一心不乱に駆け抜ける。
左腕で汗をぬぐい取りながら、少年Aは大理石と黄金で出来た荘厳なイオニア式の神殿を見上げる。
少年A「あいつの言っていることは嘘だ!」
自動小銃を首から下げた褐色の軍装をした衛兵は、ため息を漏らす。
衛兵「また、馬鹿な奴が来たものだ……。愚かにもほどがある」
衛兵、誰にも聞こえない音量でぼそりと呟く。
少年A,神殿に入る。
神殿内は左右に巨大なモニターが設置されており、そこには厳つい印象を覚える黒ひげを蓄えた黒髪をびっちりと七三分けにした、党指導者と呼ばれる中年男性の全身像が写っている。また、指導者の胸元には筆記体で『for the Nation』とでかでかと書かれ、何よりもその文言が強調されるような造りとなっている。
少年A、党指導者の映像に向けてビシッと敬礼をする。そして、再び走り出し、党指導者の巨大な像が設置されてある祭壇に向かう。
少年A「我が神! 私もこの腕で神の子にしてください!」
祭壇に設置されたステンレス製の正方形の箱の中に、少年Aは自らの切り落とした右腕を入れる。そして、膝づいて、左手だけで神に向かって祈りをささげる
機械音声「不満足! 汝は賤民なり! 汝は穢れた血なり!」
少年A「……(絶句)」
少年A、先ほどの衛兵に肩で担がれる。
衛兵「お前にしろ、No.12にしろ血は変わらない。ただ、そうだな、いや、血が悪かったな」
衛兵、絶句する少年Aを神殿前の地べたに投げ捨てると自動小銃より少年Aの頭に向けて銃弾を放った。
機械仕掛けの天使 鍋谷葵 @dondon8989
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