第12話 眠れる館の魔女

 ひどい頭痛だった。

 頭の芯が、ズキズキと痛む。まるできりで揉まれているよう。 

 わたしは頭に触れようとして……身体の自由が、全く利かない。 

 声すら出せない。


 固い寝台の上に、わたしは縛りつけられていた。

 たしか、ローレルさんの影に襲われて気を失って……って、ここはどこなのかしら!?

 目だけ動かして、周囲の様子を探る。


 そこは煌びやかなダイニングホールとは、似ても似つかない部屋だった。

 窓のない殺風景な空間で、天井にオイルランタンが吊されていた。

 壁は血痕のような飛沫で汚れている。床に転がっているのは、金属製の鎖や枷だ。

 わたしの頭に思い浮かんだのは──拷問部屋、の四文字だ。


「あら、お目覚めでいらっしゃいますか?」


 にっこりと微笑みながら、ローレルさんがわたしに視線を向けた。


「抵抗は無意味ですわ。レナ様は、わたくしが完全に拘束しておりますので」


 言われて、わたしの自由を奪っているものが、彼女から伸びた影であることに気づく。


「こんなことになり、残念でなりませんわ」


 ちっとも残念そうに聞こえない声で、ローレルさんは伏し目がちに言った。

 続いたのは、不吉極まりない言葉だ。


「お力添えいただけないのなら、せめて賞味したいと主が申しておりまして」


 ──ショーミ?


 なんだか嫌な予感しかしない。

 そして、わたしの直感が正しいことは、すぐに証明されてしまった。

 ローレルさんの手に、船大工が使うような大型のノコギリが握られていたのだ。

 刃は、赤黒く汚れている。

 声が、ぞっとするような冷たさを帯びた。


「ご存じでいらっしゃいます? 魔法で切り刻むと、味が落ちるそうですの。主の美食へのこだわりに応えるのも、ほんと大変。ふふふ……レナさまも、そう思うでしょう?」


 いやいやいや、まったく理解不能ですからっ!

 というか、ショーミって、どういうことなの!? わたしを食べたって、美味しくないですけど!!


 ローレルさんが、ゆっくりと近づいてくる。

 必死にもがいても、影の束縛から抜け出すことはできない。


「ご心配なく。痛くしませんので」


 噓っ! 

 絶対に、それ噓っ!!


 わたしの声にならない抗議もむなしく、冷たい刃が首筋にあてがわれた。

 アルヴィンさま、助けて!

 わたしは心の中で叫び──。


「──とんだ伏魔殿だな」


 心底呆れ果てたような声が、拷問部屋に響いた。

 アルヴィンさま、来てくれたのっ!?

 ローレルさんの手が止まる。

 視界の隅にかろうじて映ったのは、わたしの王子さま……ではなく、短剣を手にしたルイだ。


「あら、あなたには五人ほど差し向けたはずですが。よく生きていらっしゃいましたわね?」

「手厚い歓迎会を催してもらって、痛み入るね」


 さらりと答えると、ルイはローレルさんを油断なく睨みつける。


「厨房を見たぞっ。何が困った人を助けるのが信条、だ。あなたたちだろう、連続失踪事件の犯人は!」


 ……連続失踪事件。

 わたしはそこで、昼間出会った偽審問官の話を思い出した。

 あの人たち確か、街で失踪事件が続いているって言ってたわよね?

 てっきり噓だと思ったけれど……もしかして、本当の話だったの!?

 ルイの追及に、ローレルさんは唇の端を歪める。


「魔女が人を害するのは当然のこと。何が悪いとおっしゃるの?」

「あなたが何をしようと、ボクの知ったことじゃない。好きにすればいいさ。ただし、姉さんを傷つける奴は絶対に許さない」

「だから、わたくしの邪魔をする、と?」


 ローレルさんの顔から、スッと笑顔が消えた。

 背後に伸びた影が、鋭い刃に形を変えた。


「ひとつ忠告しておく。あなたの影絵で、ボクは倒せない」

「穢れた血が、生意気を言うな!」


 ローレルさんの怒りに呼応するかのように、影が大きく膨らんだ。

 招かれざる客を串刺しにするべく、急迫する。 

 でも、ルイは微動だにしない。


 ──逃げてっ!


 わたしは心の中で叫んだ。

 黒い衝撃波が、慈悲の欠片もなく襲いかかる。

 影が首が跳ね飛ばす寸前、ルイは手をひらめかせた。

 短剣を、スナップを利かせて投げつけたのだ。

 ただしそれは、大暴投もいいところだ。

 飛んだ先はローレルさんではなく、天井のランタンだ。

 直後、部屋は暗闇に落ちた。


「どこ狙っているのよ!?」


 わたしは思わず叫ぶ。

 って……あれ? 声が出る。

 声だけじゃない、身体も自由になっていた。わたしを拘束していた影が、消えていた。


「来い、バカ姉!」


 暗闇の中で、ルイが強く手を引っ張った。

 扉を蹴破るようにして、わたしたちは廊下に飛び出す。


「な、なな何が起きたのよっ。急に自由になったんだけど!?」

「あいつは影の魔女だ! 影は暗闇の中では力を失う」


 灯りが消えて影がなくなったから、自由になれたってこと……?

 なるほど。

 い、いや、最初から分かっていたわよ!? 

 だからランタンを狙ったのよね、ちゃんとそこまで洞察してエラいわ、さすがわたしの弟!


「痛っ!」


 感心していたら、鼻先がルイの頭にぶつかった。

 前触れなく、急停止したのだ。


「何なのよっ!?」


 ルイは無言で、正面に視線を注いでいた。

 長い廊下の先に、行く手を遮るようにして立つ人影がある。 

 それは──


「アルヴィンさまっ!?」


 そう、わたしの王子さまだった。

 アルヴィンさまは無言のまま、ジャケットから何かを取り出した。

 それは花束でも婚約指輪でもなく、黒い鉄の塊──拳銃、だ。 


 銃口を真っ直ぐ、わたしに向ける。

 そしてためらいなく、引き金を引いたのだ。

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