第7話 月夜の伏魔殿

 お屋敷には立派な庭園や噴水があって、正門から玄関まで十分は歩いたと思う。 

 わたしたちを出迎えたのは、黒いロングドレスを着た女性だった。

 艶やかな黒髪で、真っ赤な口紅が印象的だ。指先には黒いネイルが光っている。

 ザ・大人の女性って感じよね!


 背後に控えた執事さんは長身の美男子ばかりで、惚れ惚れとしそう。

 ふふふ……ほんと良い趣味だわ。

 わたしは一礼して、挨拶をした。


「こんばんは! わたしはレナと申します。こっちは愚弟のルイです。あなたが、このお屋敷のご主人ですか?」


 誰が愚弟だ、とルイが小声で抗議してくるけれど、わたしは気にしない。

 女性は軽く首を横に振った。


「いいえ、わたくしは家令のローレルですわ」

「カレーのローレルさんですか。美味しそうなお名前ですね!」

「……なんとおっしゃいまして?」

「な、なんでもありません! おいし……オシャレで綺麗なお屋敷だな、と。つまりそういうことです!」


 慌ててルイが苦しいフォローを入れる。

 しまった! わたしは口に手を当てた。

 空腹だったので、ついおかしなことを口走ってしまったわ……。

 もし機嫌を損ねたら、今夜は野宿になりかねない。我に返って、ローレルさんにお詫びする。


「失礼なことを言ってごめんなさい! 実はわたしたち、今夜の宿を探しているんです。街でこちらのお屋敷なら泊めてもらえると聞いて……。一晩だけでも、泊めていただけないでしょうか!?」

「かまいませんわ」

「そうですよね、ダメですよね……」

「ですから、かまわないと」

「ええっ!?」


 わたしは驚きに目を見開いた。

 その様子を見て、ローレルさんはにっこりと笑う。


「当家の主は、困った者に手を差し伸べることを信条としておりますの。今夜は客人として当館にご宿泊くださいませ」

「本当ですか!? ありがとうございますっ」


 跳ねるようにして、わたしはお礼を言う。

 な、なんなの、ここのご主人は神さまなのっ!?

 こんないい人がいるだなんて、信じられない!

 昼間は偽審問官に襲われて散々だったけれど、世の中捨てたものじゃないわね。


「ところでレナ様」


 ローレルさんは、じっとわたしを見た。いや正確には、わたしとルイの銀髪に視線を注いでいた。

 そんなに珍しいものなのかしら? 落ち着かないんだけど……。


「えーっと、なんでしょうか?」

「お二人は、どちらのご出身でいらっしゃいまして?」

「わたしたちはアルムから来たんです」


 質問の意図がよく分からなかったけれど、わたしは正直に答えた。

 アルムはアーデルハイトの館がある、田舎町の名だ。

 それを告げた時……ほんの一瞬だけ、ローレルさんの口許に悪魔めいた微笑が浮かんだように見えた。


「歓迎いたしますわ。どうぞ、お入りくださいませ」


 ローレルさんは、にこやかに笑う。

 あれ……? 見間違い、だったのだろうか。

 ついさっき見せた、毒気を帯びた微笑みはどこにもない。

 うん、きっと見間違いだわ。

 だってタダで泊めてくれるような、いい人なのよ?

 疑いはすぐに霧散して、わたしたちはお屋敷に招き入れられた。


「わぁ……」


 思わず感嘆の声が漏れてしまった。

 とても裕福な家なんだろう。

 足元には、ふかふかの赤い絨毯が敷かれていた。絵画に白大理石の彫像、調度品はどれも品が良くて高価そうなものだ。

 天井にはガラス製のシャンデリアが、煌びやかに光っている。


 わたしは、思わず目を細めた。

 夜とは思えないほど明るくて、素敵なお屋敷だ。

 でも中に足を踏み入れて──わたしは、強い違和感に襲われた。

 理由はわからない。 

 背筋に、ぞっとした悪寒が走ったのだ。


「どうしたんだ?」


 ルイが怪訝そうな顔でわたしを見る。


「……なんでもないような、なんでもあるような……」

「顔色が悪いぞ?」


 たしかに気分が悪い。ぐるぐると視界が回り始めた。

 朝からずっと気を張っていたから、疲れが出たのかも?  

 強いめまいを感じた直後、フワッと身体が一瞬浮いたような気がした。


「レナ様、お加減が優れないようですが?」


 ──何でもないです、大丈夫です──


 自分の声なのに、ずっと遠くの方から聞こえた気がした。

 そこでわたしの意識は、途切れた。

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