04 人体実験

 アインダークらを監視する目的も兼ねている研究室は、エルナダのほぼ中心に位置する首都グランエルナーダ北部にある、エルナ山と呼ばれる小高い山に通る洞窟を利用して作られたものであったが、その山の南側は、斜面を削った巨大な研究施設になっており、エルナダの科学の中心とも言える場所であった。

 その麓から山を囲む様に、エルナダの軍事施設が広がっており、独裁政権になった今では、政治中枢も研究施設に程近い場所に移されていた。


 研究施設には、数えるのも馬鹿らしくなる程の大小様々な研究室が入っている。

 その中でも最先端を行くのが、ヨルグヘイムも興味を持つサイバネティクス研究である。

 義手や義足をより良い物に、と始まったこの分野の研究は、今や自ら進んで肉体を機械化しようとする者であふれる程のものとなっている。


 昔は機械化するのに大手術が必要であり、一度取り付けた機械は規格が合うもの以外とは交換できず、最新のハードが開発されても規格が合わなければ、取り付ける為には再び手術が必要であった。

 その問題を解決すべく、生体と機械、双方の情報を読み取り、自ら必要に応じて細胞構成を組み替える人工細胞が、長い時を経て開発された。


 だがヨルグヘイムの助力を得た今では更に小型化され、遥かに高速で耐久性に優れた新型細胞に生まれ変わっていた。

 しかしそれでも脳との接続は容易ではなく、記憶領域の拡張や演算補助など、限定された運用に留まっており、研究者らが目指す複雑且つ多目的な運用には至っていない。


 そんな研究を更に高めようと、とある極秘の研究室ではレジスタンスの捕虜を使った人体実験が日々行われていた。


「何故だ! 何が足りないと言うのだ!」


 そう叫んだのは、手術台に上半身裸で横たわる男の横で頭を掻きむしる白衣の研究者だ。

 他の研究者同様にヘッドセットを付けているが、左手の袖から覗くのは機械の腕であり、首から伸びるコードは彼の後ろにある大きな機械と繋がっている。

 横たわる男をモニターしている機械のディスプレイは、フラットな波形を表示していた。


「パストル博士、第二特殊部隊のエクト中佐から連絡が入っております」

「ええい! 死体を処分しろ! 細胞の回収を忘れるな!」


 研究員の呼びかけに、パストル博士と呼ばれた異質な研究者は、実験の失敗に声を荒げながら、ヘッドセットの耳元のスイッチに手をやった。


「何! それは本当か!? うむ、是非に! よろしく頼む」


 パストル博士はヘッドセットのスイッチを切ると、何やら興奮した様子で機械に向かい、ブツブツと研究を再開するのであった。


 数十分後、パストル博士の研究室に入って来たのは、アインダークの元から少年を奪い去った軍服の男だった。


「おお、エクト中佐! 待っていたぞ。それが例の少年か!?」

「左様です博士。監視員の報告では数度、星巡竜の力を浴びているとか」

「おお、そうか! ならば、直ぐにでも始めよう!」

「分かりました。では、少年はお預けします。それでは」


 興奮した様子のパストル博士とは違い、エクト中佐は淡々と報告し少年を置いていく。

 エクト中佐が退室すると、研究員の手によって、まだ意識の回復しない少年は、上半身を裸にされ、手術台に寝かされた。

 少年の体に、測定機器から伸びた何本ものコードが付けられていく。

 そして、銀色の液体がセットされた大きな機械から伸びたチューブが、点滴のように少年の左腕に刺され、少しずつ銀色の液体が流し込まれていった。


《生体情報確認》

《粒子配列変換、拒絶反応……無シ》

《新型細胞、生成良好》

《指定座標、外部コネクター形成》


 少年の体内に、銀色の液体が流し込まれた直後には、少年の左手首の外側の皮膚が一部浮き上がり、小さな銀色のコード差し込み口が形成されていた。


「うむ、ここまでは何の問題もない」


 そう言いながら、パストル博士は機械から伸びるコードを少年の腕に接続した。

 接続先の機械は、別のコードでパストル博士の首に繋がっている。


《――指令受信、AIダウンロード……完了》

《AI起動……完了》

《これよりAIグランゼムによる脳へのアクセスを開始します》


「よし、ここまでは順調だ。あとはAIによる脳の掌握だな」

「博士、成功を祈っております」

「うむ。前回、ヨルグヘイム様の助力を得た時も、完全支配まであと一歩だったのだ。忌々しいが、今回の新型AIならばきっと上手く行く」

「はい」


 パストル博士は、人工細胞と人工知能による人体の完全なる制御を実験していた。

 人体をも完全に掌握するとなると、それは最早一つの生命体と言えよう。

 パストル博士は以前ヨルグヘイムに助力を乞うて被検体に竜力を纏わせ、小型化された新型細胞との親和性を高めようとしたが、自身の開発したAIを使い失敗した。


 以来、神の助力を期待できない彼は、今は失脚した師、ドクターゼムのAIを不本意ながら使用していた。

 解析してみたところ、ドクターゼムのAIの方が遥かに優れていると認めたからだ。

 パストル博士はその完成品を使って半端なサイボーグなどでなく、完全に自律する人間を超越したヒューマノイドを生み出す事を目標にしていたのだった。










 リュウは夢を見ていた。

 それは暖かな光の中で、チビドラと楽しく語り合う夢。

 ふと、あれ、言葉通じなかったはずなのになぁ、とリュウが首をかしげる。

 すると周囲にノイズが現れだし、目の前の光景が遠ざかっていく。

 リュウは手を伸ばし、そこへ戻ろうと足掻いたが、視界はどんどん暗くなる。

 叫ぼうとしても声も出せず、暗闇の中、リュウは再び意識を落としていく。


《意識レベルの抵抗を排除》


 AIによる少年の脳への侵食は着実に進み、このままでは人格の崩壊、消失を免れない。 


《引き続き……更なる抵抗を感知》

《妨害レベル増大、侵入経路変更》


 AIは少年の意識が無いにも拘らず、非常に強い抵抗に遭い、別の侵入を試みる。


「む? 何が起きたのだ?」


 首のコードからAIの状況をモニターしていた為、パストル博士は異変に気付いた。


《侵入の継続を断念、現状にて……情報の流入を確認》

《マスターコアの保護を――対処失敗、――対処不能、――侵食………》


 矢継ぎ早に告げられるAIからの情報は、まるで混乱し、焦っているかの様だった。


「侵食だと!? AIが侵食を受けていると言うのか!?」

「博士! 見て下さい!」

「!? これ……は!?」


 予想だにしなかった出来事に、パストル博士は信じられないといった表情で叫んだ。

 が、研究員の声に、はっと我を取り戻し、研究員の指差す方を見て言葉を失った。

 横たわる少年の頭部を守るように、白い光が淡く纏わりついているのだ。


 それはアイスがリュウに入り込んだ後の残滓の様なものであり、リュウを助けたいというアイスの想いがもたらした、奇跡の光だった。

 そしてその光とは、人知が及ぶべくもない竜力。

 AIに対処など出来るはずも無く、逆にアイスの想いに侵食されていく。


「竜力を浴びれば、新型細胞との親和性が高いはずでは無かったのですか!?」

「まさか……ヨルグヘイム様とは竜力の性質が違うのか?」


 ――竜力は竜力よ、それ以外の何物でもない


 そんなヨルグヘイムの言葉を真に受けた、パストル博士の痛恨の失態であろう。

 だが、パストル博士もここで終わる訳にはいかない。


「竜力も無限ではあるまい! 侵食部を切り離し、再度AIをダウンロードすれば!」

 

 パストル博士からリュウの左手首のコネクターを通して、健在な新型細胞群の確保が指示される。


《――AI再起動》

《状況……確認》

《事態ノ推移ヲ予測……通信切断、コネクター収納》

《外部測定ヲ妨害、緊急蘇生機能準備》

《バイパス……形成、酸素供給路……確保、接続》

《バイパス稼働、問題……無シ、限界時間算出》

《絶縁措置展開、……心肺強制停止》


「なっ!? 通信が! くそっ!」

「博士! 被検体のモニターが!」

「なんだと!? もたせろ! このままで終われるかっ!」


 突如通信が遮断され慌てるパストル博士は、少年の左手からコネクターが消失している事に気付くも、研究員の叫び声に更に慌てる事になった。

 少年の生存を示すグラフが急速に低下していた。

 悲鳴に似た声を上げるパストル博士は、研究員と必死に少年の生命維持を試みる。


 リュウの内部では、パストル博士の望まぬ形で彼の理想が体現されていた。

 リュウを助けたいと願うアイスの竜力の侵食を受け、新型細胞の心臓部であるマスターコアが変質してしまったのだ。

 それにより、AIグランゼムはパストル博士に与えられた初期命令と人格モデルを消失し、一時的に機能を停止した。

 そうして再起動を果たした時、変質したマスターコアは、『リュウを守る』というアイスの願いを叶えるべく、活動を開始したのだ。


 取り巻く状況から起こりうる事態を想定し、回線を切断して外部からの命令を遮断、コネクターを消し去り、モニター機器を妨害する。

 続いて、胸に集まった細胞で心臓周辺にバイパスによる血液循環路を形成し、背中や腋に向けて呼吸する為の管を形成し、バイパス部に融合させる。

 この為、現在のリュウの背中や腋には、よく見れば極小の穴が幾つか開いているのだ。

 これによって本来の機能には遥かに劣るが、体内に酸素を取り込めるのである。


 更に、外部からの蘇生措置に対策を講じ、新型細胞によって心肺を強制停止させた。

 リュウの胸を今開いて見られたならば、心臓を覆う様な奇妙な血管と心臓の裏側に金属の箱、そこから幾本もの細い管が背中や腋に伸びているのが分かるだろう。

 その金属の箱の内部では、肺胞と同じ機能を持った器官が血液に酸素を溶け込ませ、静粛性の高いモーターによって血液が送られているのだ。


 ただし、この機能で心肺を停止できる限界は、安全マージンを考慮しても一〇分。

 リュウの体内にある新型細胞の量ではそれが限界であった。

 それを過ぎれば脳の酸素が不足し、深刻な事態となるからだ。

 なので、それを過ぎればAIは心肺機能を回復させねばならない。


 ピーという音と共にモニターの波形がフラットを示した。

 それでもしばらく懸命に蘇生を試みていた二人だったが、やがて動きを止めた。


「もう駄目です、博士……」

「……なんという事だ、……もう……いい。新型細胞を、回収……してくれ」


 数度電気ショックを与えても変化の無い様子に、研究員が諦めを口にした。

 よろよろとその場から後退り、後ろに有った椅子に力無く座り込むパストル博士。

 研究員は何かを口にしかけたが、首を横に振ると指示された通りに動き出した。


《代替措置限界マデ、六分〇九秒》

《状況……確認、現状ヲ維持》


「……博士、その……細胞が、回収できません……」

「なんだと? これも竜力の仕業なのか?」


 研究員の困惑する言葉に、パストル博士は再び椅子から重くなった腰を上げた。

 しばらく少年と機械の間を行き来するパストル博士だったが、再び椅子に腰を下ろした。


《代替措置限界マデ、三分四十秒》

《状況……確認、現状ヲ維持》


「全身に展開したまま機能を停止したと言うのか……、もういい、処分してくれ……」

「は、はい……」


 人工細胞は被検体が死亡した場合、初期状態に戻り、回収機器を感知すると、回収されるようプログラムされていたはずであった。

 だがそれは行われず、初期状態であれば外部から行える探知にすら引っ掛からなかった。

 それは細胞が液状化せず、全身に細胞として展開している事を意味している。

 そんな状態では切開しても見分けがつかず、取り出す事は不可能だ。


「失敗するだけでなく、細胞まで失うとは……竜力はわしの手に負えん……」


 少年を担いだ研究員が退出した研究室で、パストル博士は力なく項垂れるのみであった。










 研究室を出た研究員は、少年を担いだまま廊下の先にある小部屋に入った。

 その部屋には一台の簡素なベッドがあり、ベッドには黒いシーツが掛けられていた。

 研究員はそこに少年の遺体を乗せると、黒いシーツを捲り上げる。

 シーツに見えたそれは、死体袋だった。

 研究員は足元からファスナーを閉じると、大きくため息を吐いた。


《代替措置限界マデ、一分十三秒》

《状況……確認、バイパス停止、心臓マッサージ開始》

《――心肺機能回復、各部異常ナシ》

《意識レベル及ビ状況監視》


 AIは、リュウが人目に付かない状況になったのを確認し、代替措置を停止すると、機械部分は配列を組み直し細胞へと戻った。

 そして蘇生を気付かれない様に電気ショックを避け、細胞が心臓を揉む事で心肺を蘇生させた。

 そして異常が無い事を確認すると、意識と周囲の状況の監視を始めた。

 意識の監視は、意識の覚醒を感知した際、睡眠状態に誘導する為だ。


 少年の入った死体袋を台車に乗せ、研究員は荷物搬入用のエレベーターで地下の搬出ゲートに向かった。

 搬出ゲートでは、研究所から出る廃棄物、死体などが、定期的にやってくる車両が来るまで集積されているのだ。

 集積スペースに研究員が台車を押してやってくると、二人の作業員が談笑を止め、近づいて来た。


「あー、もう少し早ければさっきの便に間に合ったのになぁ」

「そうなんですか。では、こちらに置いて行きますね」

「ああ、そうしてくれ」


 研究員は死体袋を集積所の隅に置くと、台車を押して戻っていった。


「あいつら、最近殺し過ぎだろ……」

「まぁ、いいじゃねえか。レジスタンスなんざ、わんさか湧くんだからよ」

「まあな……」

「それよかよ、見てみねえか?」

「お前も好きだねえ……」

「若い女が入ってますようにっと」


 作業員の一人は死体とは言え、人を物として扱う研究室の人間を好きになれなかったが、相棒の言葉に反論する気まではない様だった。

 相棒の方は、そんな事よりも袋の中身が気になる様だ。


「おいおい、まだガキじゃねえか……」

「こりゃ、例の細胞実験とやらか。胸糞悪い」


 開いた袋から覗く少年の顔を見て、その若さに二人は流石に思う所がある様だ。

 そんな時、ゲートに一台の車両が入って来た。


「お、あれ、レジスタンスの運搬車じゃねえか」

「丁度いい。あれに乗せて行ってもらおうぜ」

「あー、なるほどね」


 その車両は、捕虜となったが実験の対象にならなかったレジスタンスを再び戦場に戻すべく、解放する為にたまにやって来るのだ。

 二人の作業員は、次の定期便が来るのを待つよりも家族の元に戻れる方が、死体の少年も喜ぶだろうと、袋を担いで車両に向かった。


「おい、なんだよ死体袋なんてよ……」

「まぁ、そう言うなよ。まだ小僧なんだ」

「そうそう。綺麗なうちに家族を探してやってくれよ」

「綺麗……人工細胞被験者か。気の毒に。じゃあ、俺が当たってやるよ」

「すまねえな」

「なーに、あんたらこそ。ありがとよ」


 十数人の解放されるレジスタンス達は装備を外され、腕や足が無い者がほとんどであるが、作業員の話を聞くと少年の遺体を引き受けてくれた。

 レジスタンス達が車両に乗り込むと、すぐに車両は動き始めた。

 車両はスロープを上り地上へ出ると広大な軍事施設を抜け、首都グランエルナーダを東に迂回しつつ、南へと消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る