02 銃声

 翌早朝、リュウは身支度を済ませると、一番に起きてきた男性職員に声を掛けた。


「おはようございまーす」

「お、リュウ、早いな。おはよう。で、そんなに急いで学校か?」

「はい、朝の内に……残った宿題を学校で済ませようと思って」

「朝の内に、て……それはな、昨日のうちに済ませるもんやろが……」

「そこは気付かずに、褒めるとこでしょ……」

「調子ええ奴やな……ま、気ぃ付けて行きや」

「はい、行ってきまーす」


 苦笑いする職員に、ニシシと笑ってリュウは猛スピードで飛び出した。

 コンビニに寄り、朝食と昼食をたっぷり買い込んで小竜の元を目指す。

 小屋に着くと小竜は敷いたタオルの上で起きていた。


「おはよ~チビドラ! 朝飯買ってきたぞ~」

「クルルルルゥ」


 リュウが朝食を並べてやると小竜は待ってました、とばかりに食べ始めた。

 リュウはそれを見ながら、昼食の用意を済ませていく。

 相変わらず「クルルル、ピィピィ」鳴きながら食べる小竜。

 が、不意に静かになった。

 リュウが気になって小竜に目をやると、「クルッ、ク……クエ……」と様子がおかしい。


「喉詰めたんかーい!」


 慌ててリュウはペットボトルの水を引っ掴み、小竜の小さな角を掴むと上を向かせ、口の中に水を無理矢理流し込んだ。

 小竜は目を白黒させていたが、詰まりが取れ、「クアァァ……」と大きく息を吐いた。

 リュウがジト目を向けると、小竜は視線を逸らした。


「お前、人間ぽいよねぇ……」

「クルルルルゥ」

「勝手に無くならないから、ゆっくり食べろよ……」

「クルゥ……」


 そんなこんなで食事も終わり、リュウは小竜を撫でながら話し掛けた。


「ここに置いてあるのはお昼ご飯だから、すぐに食べたら駄目だぞ?」

「クルルルルゥ」

「分かってんのかねぇ……、お日様が高く昇ったら食べるんだぞ?」

「クルルルルゥ」

「まあ、食べたら食べたで仕方ないか……」


 その後、学校に間に合うギリギリまで、リュウと小竜はじゃれ合うのだった。










 リュウが学校で身の入らない授業を受けている頃、小竜、もといアイスはリュウが用意してくれた昼食を、お日様が高く昇るまで一生懸命我慢していた。


「うー、早く食べたいな……これ美味しすぎるんだもん」

「でも、リュウが言ってたから我慢、我慢……」


 星巡竜であるアイスはリュウの言葉を理解していた。

 そしてアイスの言葉がリュウには通じてない事も理解していた。

 竜力をリュウに施せば、お互いの意思疎通はできる。

 だが成人していないアイスの少ない竜力は、何が起こるか分からない今後の為に使う訳にはいかなかった。

 友達になってくれたリュウと意思疎通できないもどかしさと、とっても美味しいご飯の誘惑、二つの問題にアイスは一生懸命耐えていた。


 ようやくお日様が高く昇った。


「もう、いいよね? い、いただきまーす!」


 こうして無事、アイスの問題の一つは解決した。










 昼食を綺麗に平らげ、何枚も重ねられたふかふかのタオルの上で丸くなって眠っていたアイスは、聞き慣れない音に目を覚ました。

 その音はアイスの居る小屋を通り過ぎ、二十メートル程離れた場所で止まった。

 それは一台の軽ワゴン車だった。

 運転席には青年が一人、後部席で唸る犬をなだめていた。


「どうした、リキ? 何か見つけたのか?」


 青年は狩猟免許を取得して日の浅い駆け出しのハンターであり、リキは友人に借りた狩猟犬だった。

 自分も早く獲物を仕留めてみたいと思っていた青年は休日の今日、友人の勧める狩猟スポットに向かっていた。

 だが友人が扱いやすいから、と貸してくれたリキが突然唸りだし、ひょっとしたら何か獲物が居るのかも、と車を停めたのだ。

 青年は助手席の後ろに置いた猟銃のバッグを取りに車を降り、助手席後ろのスライドドアを開いた。


「おい! リキ!」


 そのドアが開いた隙に、猟犬のリキは飛び出していた。

 木々を避けながら駆けて行くリキに、青年は慌てて猟銃の用意をするのだった。


 丁度その時、大きなレジ袋をぶら下げて、止まらない汗に制服のボタンを全開にしてマウンテンバイクでアイスの元へ向かうリュウは、小屋の手前に停まる軽ワゴン車から飛び出す犬を視界に捉えていた。


《まずい! チビドラ、下手したら噛み殺されるんじゃ!?》


 リュウは慌ててペダルを必死に漕ぎ出した。

 学ランをはためかせ加速するリュウの耳に、「ワンワン」と犬の鳴き声だけが届く。

 直後、小屋の裏側で光がぜ、「キャイーン」という鳴き声と共に犬が宙を舞った。


 青年はケースから銃を取り出し、夢中で弾の装填を済ませた所で「キャイーン」というリキの鳴き声を聞いた。

 慌てて鳴き声の方を見ると、小屋から飛ばされたリキが落下するところだった。


「リキ!」


 叫ぶ青年の目に、小屋の端に広がる黒い翼が映った。

 姿が見えてなかったら、青年はひるんで逃げ去ったかも知れなかった。

 だが青年はその翼を見たことで、銃を構えてしまった。

 そして車の反対側を走り抜けるリュウに気付くことができなかった。


 リュウは、爆ぜる光と宙を舞う犬の姿に一瞬呆けたが、マウンテンバイクは勢いを殺す事なく滑るように進んで行く。

 ペットの名を呼ぶ飼い主だろう声を聞きながら軽ワゴン車の横を抜け、とにかくチビドラの無事を確かめるべく、そのままマウンテンバイクで側溝を飛び越え小屋の裏へと突っ込む。


「チビドラ! 無事か!?」


 そして一発の銃声が山に響いた。










 青年は言葉も無く呆然と立ち尽くしていた。

 耳はリキが何処かに逃げ去る気配を拾ってはいたが、動けなかった。

 引き金を引いたその瞬間、自転車に乗った学生が現れ、そして倒れた。

 人を撃ってしまった、そう気付いた時には手が、足が、震えていた。

 それは止めようとする青年を嘲笑うかのように、震え続けていた。


 アイスも小さく震えていた。

 近くで止まった音から、急速に接近する敵意に気付いた。

 小屋から出て敵意の姿を確認した時は、もう至近だった。

 反射的に翼を広げ、力を使ってしまっていた。


 直後に聞き慣れた声が耳に届いた。

 焦ったようなその声の方を見ると、泣きそうな顔をしたリュウが飛び込んでくるのが見えて、「パァン」と大きな音が周囲に響いた。

 するとリュウが乗り物から落ちて、乗り物はそのままの勢いで自分の横を通り過ぎて行った。

 驚いて動けない自分の横に、落ちたリュウがうつ伏せに倒れている。


 一瞬感じた遠くの敵意は今は感じない。

 「大丈夫?」と声を掛けようとして、気付いた。

 めくれ上がった黒い服の下の、リュウの白いシャツがどんどん赤くなっていく……


 アイスは時が止まったかのような静寂の中にいた。

 昨日出会ったばかりの少年は、とても親身になってくれた。

 少年が居てくれたから、一人になる不安を感じずに済んだ。

 アイスにとって、初めてできた友達だった。

 今、その少年の命が消えようとしている。


「死なせないから!」


 まだ少ないその力を全て使っても、リュウを助ける!

 アイスが眩い光に包まれ、光の粒子となってリュウの体に溶け込んでいく。


『う、く……傷が酷くて、なかなか塞がらない!』

『そんな……アイスの力じゃ、助けられないの!?』

『でも……もう他に方法が……』

『……父さま、母さま、ごめんなさい……』


 アイスは初めてできた友達を守る為、残された力を行使する。


 震えながら呆然と突っ立っていた青年は、突然音もなく爆発したかの様な光に、「うわっ!」と顔を背けた。

 そして恐る恐る目を開くと、光は消えていた。

 震える足で小屋に辿り着いた青年は、小屋の中に誰かが住んでいたような形跡を確認する。

 だが少年の姿も、黒い翼の主も、どこにも見つける事は出来なかった。

 ただ少し離れた場所に自転車が倒れ、レジ袋から弁当が散らばっていた。










 二日続けて門限を破ったリュウに、施設の職員はカンカンだった。

 小菊も職員から心当たりを聞かれたが、思い当たる事など無かった。

 夕食の時間が終わる頃になってもリュウは帰って来なかった。

 心配で居た堪れなくなった小菊は、職員に捜索願を出して欲しいと願い出た。

 結局、夜の九時を過ぎて職員から警察に捜索願が出された。

 だが、翌日になってもリュウの消息は掴めなかった。

 やがて一人の青年から俄かには信じられない様な話を聞いた警察がリュウの自転車を発見するが、リュウを発見することはできなかった。

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