第一章

01 出会い

 関西地方に連なる山々、その中を走る一本の古い道路。

 舗装も所々剥がれ、ガードレールが無い所も多々ある。

 大きな道路が近くに新設されて以来、その道を走る車はほとんど見られなくなった。

 その為、そこは赤や黄色に色付いた落ち葉で美しく彩られていた。

 そろそろ夕暮れ時、そんな道を一台のマウンテンバイクが軽快に走っていた。


 乗っているのは、天生あもうリュウ、地元の高校に通う十六歳の少年だ。

 彼は時折、高校からの帰り道を大きく迂回してこの道を走っている。

 ほとんど誰にも会わないこの道を気ままに走るのが好きなのだ。

 だが、その日はいつもと違った。

 突然、前方に光の玉が現れたのだ。


「うおっ!?」


 咄嗟に急ブレーキを掛けたがロックした後輪は落ち葉で滑り、なかなか止まらない。


「と、止まれぇぇ!」


 まばゆい光の手前、一メートルの所でマウンテンバイクは横を向いて止まった。

 同時に光が収まり、黒い何かが現れた。


「うおおおお!?」

「ピィィィィ!?」


 静寂の中、互いの叫びだけが山に響いた。


「ちょ……何? ドラゴン? お前……ドラゴンなの?」

「クルルルルゥ」


 リュウは余りの現実離れした展開に、思わず呆けた様に尋ねていた。

 黒く小さな竜は、それに答える様に鳴いた。

 リュウは警戒も忘れマウンテンバイクを降りると、そっと小竜に近づいた。

 小竜はじっとリュウを見つめている。

 リュウは何故だか怖いと思わなかった。

 そうする事が当然の様に小竜の前でしゃがみ、目線を下げた。


「こんにちは。ドラゴンって竜だよな? 俺もリュウっていうんだ。天生リュウだ」

「クルルルルゥ」

「どうやってここに来たのか分からんけど、ここに居ると車が来たら危ないぞ?」

「クルルルルゥ」


 そう言いながら、リュウはそっと手を伸ばしてみた。

 鼻の前まで伸ばされた手を小竜はフンフンと匂いを嗅いでいる。

 そのまま更に手を伸ばしてみた。

 小竜の鼻に指が触れた。

 小竜に触れても噛む素振りすら見せなかった為、リュウは思い切って頭を撫でてみた。

 小竜は目を閉じてじっとしている。

 「クルルルルゥ」という鳴き声が何だか猫のようだ、とリュウは思った。


「このままだと危ないから運ぶぞ?」


 そう言ってリュウは、翼を畳んだままの小竜の胴を抱える様に、そっと持ち上げた。

 小竜は見た目よりも軽く、暴れもせず大人しくしていた。


 マウンテンバイクの荷台には両側にサイドバッグが付いている為、多少幅がある。

 リュウはそこに小竜を乗せ、小さな手にサドルを掴ませると、右手を小竜の背中に添えて左手でハンドルを握り、マウンテンバイクをゆっくり押し始めた。

 小竜はその間も「クルルルルゥ」と鳴いてはいたが、大人しく座っていた。


 しばらく進むと、小さな木造の小屋が二棟並んで建っていた。

 元は何かの畑であったであろうその場所は、まばらに木々の生えた区画の角だ。

 その一つは僅かな壁と穴の開いた屋根だけが残っている崩れかけの小屋だが、もう一つはしっかりしている様だ。


 小竜をマウンテンバイクに残しリュウが道路とは反対側に回ると、小屋には引き戸が付いていた。

 鍵は掛かっていない。

 引き戸を開け放つと、そこは農具置き場の様だった。

 マウンテンバイクに戻ったリュウは再び小竜を抱え上げ、そこへ小竜を運び込んだ。

 農具が少し壁に立て掛けてある二畳程の部屋で小竜を床に降ろしたリュウは、サイドバッグからペットボトルのお茶と、学校で食べ終えた空の弁当箱を取って来た。

 そして空の弁当箱をお茶ですすいで床に置き、お茶を注いだ。


「今はこれしか無いんだ。飲めるかな?」


 小竜は匂いを嗅ぐと、恐る恐るお茶を舐めた。


「美味しくなかったらごめんな。あとで水買ってきてやるよ。ご飯とか」

「クルルルルゥ」


 ちょっと言葉が通じた気がして、勝手に嬉しくなるリュウ。


「よし、何とか急いで戻るから、ここで待っててくれよ?」

「クルルゥ……」


 そう言ってリュウはその場を猛ダッシュで離れ、一番近い三キロ離れたコンビニを目指すのであった。

 リュウは小竜がそのまま何処かに行ってしまう、なんて思いもしなかったのである。










 リュウはコンビニを目指しながら、山道を猛スピードで下っていた。


《すげえ、本物のドラゴンだよ! 空想の産物だと思ってたのに、本当にいたよ!》

《必要ないと思ってたけど、こういう時はスマホが無いのが悔やまれるぅ!》

《これはあれか? 俺に友達が居ないから、神様が贈ってくれたのか?》

《な訳ねーな。でもなー、友達になれたらいいな!》


 リュウは浮かれながら走り続けていた。


 リュウは自身の独白の通り、友達が居ない。

 話し掛けられれば答えるが、大概その程度の付き合いでしかない。

 そればかりか、両親も居ない。


 関東で生まれ育ったリュウだったが、小学校に上がる前に両親は事故で他界した。

 面識が無い事で関西に住む唯一の親戚に拒絶され、それからは施設で暮らした。

 中学卒業までは関東の施設で暮らしたが、ケンカやイジメの毎日だった。


 高校に入る時、良くしてくれていた民生委員の人の働きかけで親戚が少しでも近い関西の施設に移った。

 その親戚にはリュウと年の近い娘が居るそうで、同居は難色を示したからだ。

 それまでの施設を出られるだけでも嬉しかったリュウは、そんな事は気にならなかった。


 関西での生活が始まると、親戚がよく訪ねてくれる様になった。

 その娘も二つ年上だったが、とても優しくしてくれた。

 だがリュウが高校二年生になった頃、随分距離の近くなった親戚がリュウの両親の遺産目当てだと知ってしまい、現在に至るまで少々人間不信に陥っているのである。


 コンビニで色々と買い物を終えたリュウは、来た道を猛スピードで引き返した。

 上り坂も立ち漕ぎ全開で、小竜の元を目指して頑張った。


「ぜはー、ぜはー、ただいまー」

「クルッ!? ルルゥ……」


 もう十一月になろうかというのに汗だくのリュウを見て、小竜はビクッと一瞬固まった。

 学ランを脱ぐとリュウは大きなレジ袋から買ってきた数枚の大きなタオルを重ねて床に敷き、小竜をそこに座らせると、ごそごそとコンビニ弁当やら寿司やらを取り出し、底の深い紙皿に水を入れてやる。


「よし、用意できたぞ。どれでも好きなの食べて良いからな」


 小竜はぎこちなく弁当を食べ始めたが、「ッ!?」みたいなリアクションを見せたと思った途端、猛烈な勢いで食べ始めた。

 「クルルルゥ、クルルルルゥ」と鳴きながら食べる様子にリュウは、いつもより美味しい餌にありついた猫のようだ、と思った。


「そんなに慌てて食べなくても……た、足らねぇのか……」


 小竜の食欲は旺盛だった。

 リュウは残ったら自分で食べようと思って取っておいた、残りの寿司や弁当も開けてやった。


 小竜が全部食べ終わる頃、もう辺りは随分暗くなってきていた。

 リュウはこのまま残りたい気持ちを押しとどめ、小竜に話し掛ける。


「どうだ? 満腹になったか? 俺、もうそろそろ帰らないと……」


 小竜はリュウに歩み寄ると、「クルルルルゥ」と首を絡めるようにすり寄って来た。


「やべえ、そんなに懐かれると帰れねぇっす……」


 そこでリュウは、小竜の首のネックレスに気が付いた。


「何これ、すごく綺麗な宝石だな。あ、でも、お前の瞳の色はもっと綺麗だな」

「クルルルルゥ」


 見つめてくる小竜の瞳は、吸い込まれるような美しい青紫色をしていた。


「なあ、俺もリュウでお前も竜だから、友達にならないか?」

「クルルルルゥ」

「そうだ、友達の握手しよう」


 リュウはそう言って足と尻尾で座る小竜の小さな手に人差し指を握らせると、親指をそっと外から被せ、小さく上下に揺すりながら、「よろしくな」と声を掛けた。

 小竜も、「クルルルルゥ」と鳴きながら、しっかりとリュウの指を小さな手で握っていた。


「お前、名前なんて言うんだ? 小さいドラゴンだからチビドラでいいか……」

「クルゥ……」

「む、鳴き声がちょっと変わった……しかし肯定か否定か分かんねえ……」


 リュウはクスリと笑うと、そろそろ門限がやばい、と立ち上がった。


「明日の朝にまた来るからさ、それまではここで待っててくれよ?」

「クルルルルゥ」

「んじゃ、また明日な! チビドラ!」

「クルルゥ……」


 なんて寂しそうな鳴き声を出すんだ!と、後ろ髪を引かれつつ、帰路を急ぐリュウであった。


「天生君、門限に遅れるなんて君らしくないやん?」

「すみません、学校に忘れ物取りに帰って……」

「今後は気を付けるんよ?」

「はい、すみませんでした~」


 施設の入り口で女性職員に謝ってリュウは自室に入り、ふぅ~と大きく息を吐いた。

 と、すぐに部屋の扉がノックされる。

 扉を開けると、髪の長い端正な顔立ちの少女がもじもじしながら立っていた。


「何? 何か用?」

「いや、あんね、天生君が門限に遅れるのって珍しいなぁ思うて……」


 リュウの不愛想な物言いに少し戸惑いながら訪ねた理由を告げるのは、リュウと同じ施設で暮らす控え目だがしっかり者の川端小菊だ。

 小菊はリュウとは通う高校は違うが同じ学年であり、二人はこの施設の最年長である。

 リュウが高校一年でやって来るまで、小菊はずっと施設の子供達のお姉さんだった。


 同年代のリュウが来た事で、子供達の半分はリュウが面倒を見てくれるようになった。

 話し掛けても返事は短いし、自分より良い高校に行ってる事に気後れもするが、不満も言わずにやんちゃな男の子たちの面倒を見てくれるリュウを、小菊は頼もしく思っていた。


 それがある時から、リュウに親戚がよく訪ねてくる様になった。

 よく一緒に付いて来る少し年上の少女は綺麗で、リュウがよく話をしているのを見て羨ましく思っていた。

 ところが二年になると親戚は、ぱったりと訪れなくなった。

 リュウは「身内だからと信じた俺が馬鹿だった」と言って人間不信に陥り、更に口数が減ってしまった。

 小菊は何とかしたいと思ったが、しつこく声を掛けて嫌われるのも怖かった。

 いつしかリュウに恋心を抱いた少女は、話し掛ける切っ掛けを探していたのだった。


「時間かけて回り道して帰ったのに、忘れ物して取りに帰ったから遅れただけ」

「そ、そうなんや……大変やったねぇ」

「まぁ、日頃の行いが良いから、そんなに怒られずに済んだし」

「あ、あはは、そうやね。お疲れ様」

「あー、サンキュ」

「うん……じゃあ」


 パタンと閉じられた扉に小菊はちょっと寂しそうな笑みを浮かべたが、久しぶりに少し話せたと満足しよう! と気合を入れるかの様に腰の横で小さく拳を握ると、自分の部屋に戻るのだった。

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