第3話江ノ島……だよね!?
江ノ島とは、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た、陸と繋がる島である。
四季の中でも、飛びぬけて夏は観光客に人気があり、大勢の老若男女が押し寄せる。海が近いため常に潮の優しい匂いがして、南国を感じさせる人気の観光地だと、俺は認識していた。
しかし、第一車両しかない列車に揺られ、辿り着いた江ノ島は、俺の知っている江ノ島じゃなかった。
「嘘だろこれ。馬鹿じゃねえの……」
弁天橋の前で停まった列車から、降りた俺の目に飛び込んだ江ノ島は、何と表現したら良いのか分らない有様だ。
あまりの現実離れに眩暈がしてくる。
ここは江ノ島であって、江ノ島じゃない。そうとしか言えない。
あっけに取られていると、俺を降ろした列車は知らぬ間に消えていた。
まず、空の色がおかしい。日が沈みかけた桃色と真昼の乾いた空色が、でたらめに混ざり合っている。
昼なのか夕暮れなのか、どっちかにしろと言いたい。
江ノ島へ続く、弁天橋の両端を縁取るのは、本来の江ノ島なら存在しない筈の、椿の木を模した巨大な街頭だ。光の燈る椿の赤が不気味に弁天橋を照らし、こちらの肝を冷やしてくる。
そして、何よりも、存在している生き物がおかしい。
言葉の枠に押し込めない、へんてこな異形がわさわさと歩いている。
地方のゆるキャラコンテストにでも、迷い込んだと言えばピントが合うだろう。
はっぴを着た人型トンビが、やたら良い声で「いっけねえ! 遅刻するべ!」と慌て、腕から立派な翼を生やし、そのまま空へと飛び立ったのを見たとき、足に力が入らなくなった。
暫くしゃがみ込んだ後、ふらふらと立ちあがり、弁天橋を渡ろうとしたら、硬い何かとぶつかった。猛烈にふっとび尻もちをついた俺の目に映ったのは、唐草模様の風呂敷を肩に引っかけた、二宮金次郎の銅像だった。
風呂敷を担いだ二宮金次郎の石像は「すまねえ兄ちゃん!」とわびた後、がんがんがんと地響きのする大きな足音を鳴らし、石像の身からは想像もつかない俊足で、どこかへ逃げて行った。
石像と衝突したら、そら吹っ飛ぶわと変な納得をしていると、大勢の足音が、こちらへ向かってくるのがわかった。やって来た大群は、しらすだった。
正確には、しらすから成人男性の体が生えた、しらす人間だ。警官服を着たしらす人間が、二十匹ほどの群れでやってきた。
「おい! そこの変な姿のお前!」
お前に言われたかねえよと思う。
「二宮金次郎の石像がここを通ったろ! どっちに逃げた!」
あっちです、と逃げた方向を指さす。その方向に、しらす警官たちは走って行った。何をしたのだろう、二宮金次郎の石像。立ちっぱなしが嫌になったのかな。
椿の街灯が赤く照らす弁天橋を渡る。弁天橋は、俺の知る石橋の姿をしておらず、欄干の細い和風な形をしていた。随分と遠くに見える江ノ島は、ふわふわとした朧げな光が覆っているように見える。耳を澄ませば、微かに祭囃子が聞こえてきた。
祭囃子に雑じって、ちゃりんちゃりんと小銭が跳ねる音がした。そちらに振り向くと、人の手足が生えたATMが、リードで繋いだ豚の貯金箱を散歩させている。
ここまで馬鹿馬鹿しいと、なんだか芸人のコントを見ている気がして、笑いがこみ上げてきた。俺の視線に気づいたATMが会釈をし、こちらに寄って来る。
「こんにちは」
ATMの声は、日頃聞きなれたATMの電子音声と同じだ。
「あ、どうも」
礼儀正しいATMに俺も挨拶を返す。
「いやあ、今日は楽しみですねえ。お祭りですもんねえ。婚礼ですもんねえ」
どうやら今日はお祭りらしい。それで祭囃子かと合点がつく。
「おやおや? 今日の事ご存じないんですか?」
反応の薄い俺に、ATMは歩きながら話をしましょうと、気さくに接してくる。ATMが連れている豚の貯金箱が、俺の足にすりすりしてきた。ちょっと可愛かった。
「今日って、何かあるんですか」
「何かって、あれですよ! 竜神様と弁天様の婚礼ですよ!」
ATMの言葉に、俺は江ノ島に伝わるお話を思い出した。
以前アリス先輩と現実の江ノ島に来た時、先輩から教わったのだ。その昔、江ノ島で悪さをする竜がいて、島民はみんな困っていた。そんな島民を可哀想に思った天女が、竜を叱って悪さをやめさせた後、竜神と天女はなんやかんやで結婚したという。
このヘンテコ江ノ島に、俺たちの江ノ島との共通点があったことに安堵する。
ひたすら長い弁天橋を歩く俺達の横を、バイクに二人乗りしたうさぎと亀がヒャッハーと叫びながら走り去って行く。運転しているのが亀なのでバイクはスピードの緩い安全運転だった。
「今年の天女様は問題ありでしたが、上手くいったようですね」
「問題ですか」
弁天橋の欄干から見える海は、水というよりゼリー状の物質に見える。桃色と空色を映し、ぬらぬらと揺らめく海は、触ればぶよんとしそうな雰囲気がある。
「ええ。今年の天女様は自由奔放で……許婚の竜神様以外に思い人がいるとか」
豚の貯金箱を散歩させる人の手足が生えたATMと、世間話をしながら歩く。
夢でなきゃ可笑しい絵面だ。
しかし今は夢ではない。どっこい現実である。
短い手足でぽてぽて歩く豚の貯金箱と目が合った。やっぱり可愛い。
「あ、江ノ島に着きましたね」
ATMの言葉で、いつの間にか弁天橋を渡りきっていたのを知る。江ノ島の入口に、巨大な赤い鳥居が門のようにそびえ立つ。
鳥居には、横に広い看板が括り付けられており、おいでませ江ノ島とあった。
鳥居に看板なんか付けて、罰あたりじゃないのかと思ったが、この江ノ島は、俺の知る世界の江ノ島じゃないのを思い出す。
鳥居の先をまっすぐ延びる参道には、赤やピンクや黄色や水色のカラフルな建物が、隙間なく並んでいる。シーキャンドルと思われる紫色の展望台は、万華鏡を覗いたようなカラフルな光を放っている。
展望台の頂点から江ノ島中に水色や黄色の電飾が張り巡らされ、無数の赤い提灯がぶらぶらと揺れていた。電飾と提灯の光が覆う桃色と水色の空は、水中から見上げた水面に似ている。
大勢の異形が江ノ島中を自由に行き来する光景は、様々な種類の魚が水槽を泳ぎまわるようだ。
今ここにいる江ノ島が、巨大な水槽に思える。
ATMと別れ、俺は鳥居をくぐった。
◇◇◇
喋るトンビに、しらす人間達から逃げる、足の速い二宮金次郎の像、豚の貯金箱を散歩させる手足の生えたATM、バイクに二人乗りしたうさぎとかめ。
ここまでわけのわからん者達を休み無しに目撃すると人間とは不思議なもので、何を見ても受け入れるようになった。
どんなにヘンテコでも、存在しているんだから仕方ないと納得するようになった。
俺とあまり変わらない大きさをした、団扇くんと扇子ちゃんのカップルが、いちゃつきながら俺の目の前を通り過ぎても、団扇と扇子の子供はどんなんだろう、くらいにしか考えなくなった。
多分、頭が考えることを放棄しているのだと思う。
ヘンテコな者達にも慣れたところで、アリス先輩の捜索を始めようと気を取り直す。
アリス先輩は江ノ島に捕まったと言っていた。
捕まるとなるとさっきのしらす警官だろうか。
まずはここら辺で、屋台を出している店主に話を聞いてみよう。
たこ焼きと書かれた屋台の屋根が見えたので、そちらに進んだ。
見えてきたのは、タコの店主がたこ焼きの生地を混ぜている絵面だった。ここまで来たら、もう何も言うまい。全てを受け入れるつもりだ。
しかし、次の瞬間、タコの店主が悲鳴を上げながら、自分の腕を包丁でめった斬りし始めた。斬り刻んだタコ足を生地にぶち込んだのを見て話しかけるのを止め、回れ右をした。
ダイナミックな自己犠牲を働くたこ焼き屋の隣で、ホタテの串焼きを焼いている扇風機の店主に近づこうとした。
その時。
「お兄さん。ちょいとこちらに来にゃんし」
やけに色っぽい声で呼ばれた。
振り向くと、串焼き屋の隣にある、赤い布の敷かれた縁台に花魁の格好をした白い美人な猫が座っている。花魁猫は、手にした鰹節をキセルのように吸う。大胆に肌蹴た着物から覗く、豊満な白い胸が眩しい。毛並みは白いのに、頭に結っている日本髪の色は黒だ。解くとどうなるのだろう。
「あの、何か用でしょうか」
大きな金色の猫目に見つめられ、緊張している俺に、花魁猫は隣に座るよう言う。
「お前様は人間でにゃりんしょう」
「わ、わかります?」
「わかりんす。昨日もここに、人間のお嬢さんが、天女の侍女と歩いていたでにゃりんす」
人間のお嬢さん、という一言に希望の光がきらりと輝く。しかし、天女の侍女とは一体何だろう。
「あの、その人間の女って、金髪で青い目で、大変ムカつくけど美人でしたか?」
「ええ。長い金髪が大変麗しい、愛らしいお嬢さんでにゃりんした」
花魁猫がゆっくりと頷く。日本髪に刺さった鈴の簪が、ちりんと鳴る。
「その人、昨日、この江ノ島に行ったきり、こっちに帰ってきてないんです」
言い終わると、花魁猫は表情を曇らせ、煙管を吸うように鰹節を吸った。
「そのお嬢さん、大変危険な状態にあるかもしれにゃい……」
「危険……ですか」
「今から話すのは……わっちの当て推量でにゃりんす。今日婚礼する予定の、竜神の許婚である天女は、大変気儘勝手で、野良猫のような気性のお方でにゃりんしてなあ」
猫のわっちが言うのもあれだけれども、と花魁猫は言う。
「天女は、別のお方を好いており、それはもう熱烈なものでして……もしかしたら、天女はそのお方と駆け落ちし、もうこの江ノ島にはおらんのでは、にゃかろうかと」
「駆け落ち……ですか」
「でなければ、昨日、婚礼を前日に控えた天女の元を、侍女が離れることがありましょうか?」
確かにそうだ。翌日に結婚式なら、天女に仕える侍女に暇など無い筈。そんな忙しい時に、侍女がアリス先輩とお手て繋いでほっつき歩くなど、考えにくい。
「それに、もう一つありんす。駆け落ちしたかもしれない天女、あのお嬢さんに瓜二つでにゃりんす」
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