第4話探しましたよ



今年の天女は、金髪に青い目と透けるような白い肌を持つ、西洋じみた天女だと花魁猫は言った。




参道を登り切り、江ノ島神社辺津宮の鳥居に着く。



鳥居の足下にある看板に張られた、婚礼の儀のポスターに写る天女を目にしたとき、光の速さで血の気が引いた。ポスターの中でほほ笑む金髪の天女は、アリス先輩そっくりだった。




花魁猫の話によると、婚礼を控えた天女は、江ノ島の一番奥にある岩の洞窟、岩屋で嫁入りの準備をするという。



岩屋が怪しいとのことで、俺はそこを目指すことにした。


嫌な予感に胸の内を食い荒らされながら、江ノ島神社辺津宮の鳥居をくぐった。



参拝者を待ち構える、果てしなく長い階段をひいひいと登る。日頃の運動不足に喘いでいると、俺の横を唐傘お化けが元気よく階段をハネ上がっていく。くりっとした丸い一つ目に、べろりと垂らした長い舌が可愛らしい。




気を取り直して足を動かす。やっとのことで階段を登り終わり、江ノ島神社辺津宮に到着した。ピンク色の屋根にぶら下がる、クラゲ型の提灯がふりふりと揺れている。



少し進むと次に、赤色をした六角の円柱型の建物、江ノ島神社奉安殿が見えてくる。そこから数歩行くと、黒い影法師のような浴衣を纏った、首が提灯の提灯人間がうろつく八坂神社があった。八坂神社を無視して進み、鳥居をくぐって先を目指した。




木々に囲まれた細い階段を延々と登り続け、江ノ島の頂上の広場に着く。


そこから今度は御岩屋道通りを下り、ここまで下りが続くと、帰り道は骨が折れそうだと考えながら、階段を降りる。



途中、アリス先輩と似た大きさの絵筆が、黄色い幼稚園帽子を被った絵の具達を引率している様子に和む。




だんだんと、桃色と空色の海が近くなってきたと感じた頃には、稚児ヶ淵までたどり着いていた。



ここまでくれば岩屋は近い。




岩屋へ続く赤い橋を歩く。岩屋の入口に着き、足を踏み入れた。婚礼を控えた天女がいるというのに、あまり生き物の気配を感じない。




涼しい洞窟の中を、天井にぶら下がる赤い提灯が照らす。




提灯の照らす道を通り、時々落ちてくる水滴にうなじを触られ、うひゃあと声を上げた。洞窟の奥へ奥へと進むうち、桃色の盆提灯がずらりと並ぶ、やけに明るい場所が見え来た。盆提灯が大量に置かれた場所に、何か見える。もしやと思い走り寄る。




足音が響く。俺の足音に驚いたのか、盆提灯に囲まれた長い金髪の人物が、勢いよく振り向いた。






「藤沢くん!」






聞きなれたアリス先輩の声が、岩屋に反響する。






◇◇◇






「色々と言いたいことがありますが。……そんなことよりも、先輩。すぐにここから出ますよ!


俺たちはここにいちゃいけない」






アリス先輩の手首を掴んで、違和感に気がつく。アリス先輩が異常に軽いのだ。確かに彼女は華奢だし、体重は軽い方だ。


しかし、この軽さはどう考えてもおかしい。






「アリス先輩……なんか、変ですよ。先輩そんなに軽かったですか」






不気味に思った、その時である。






「お二人に話があるんです。どうぞ聞いてくれませんか?」






背後から高い声がして振り返ると、そこには小さな日本人形が立っていた。天女の侍女と名乗った日本人形は、申し訳ございませんでしたあ、と土下座からの前転を繰り出した。






「私がお仕えしていた天女様が、駆け落ちして消息不明になったのが、事の始まりです。私以外の侍女は今、天女様の捜索で出払っています」






だから岩屋に誰の気配もなかったのか。






「天女様がいなくなって、困りまくった私は、何とか代打を捕まえようと頑張りました。そしたらなんと、天女様と瓜二つの人間がいるじゃありませんか! 鴨がネギと鍋を持って来やがったウヘヘと思った私は、アリスさんを言葉巧みに騙して、岩屋に連れて来たのです」






鴨ネギだってよあんた、と目でアリス先輩を睨む。


先輩はてへっと笑って舌を出した。ふざけてんのか。






「アリスさんは、この江ノ島の空気を吸いすぎて、人間からこちらの世界の存在になりかけています。アリスさんが異様に軽いのは、そのせいです。日没までに江ノ島から出ないと、アリスさんは人間に戻れません」



「日没までって、あと四十五分しかねえぞ!」






スマホの時間を確認して、冷や汗が出る。ここから江ノ島を脱出するとなると、全力疾走でギリギリ間に合う勘定だ。問題は、俺もアリス先輩も、走るのがあまり得意でないということ。


岩屋にたどり着くまで、俺は結構な体力を使っている。ここから坂道を全力疾走だなんて、考えただけでもふくらはぎが爆発しそうだ。






「あのう、まだ話の続きがありまして」






日本人形が、赤い着物の袖をもじもじと弄る。そのわりに表情が一切変わらず、薄ら笑いのままなのが怖い。






「私としても、アリスさんを元の世界に帰したいんです。連れてきておいて言うのもなんですが、やっぱ人間と竜神様が、互いの境界越えちゃうのも問題ですし……でも」



「でも、なあに?」






アリス先輩が首をかしげる。






「私の立場としても……ここでアリスさんを帰しちゃうと、職務怠慢でやばいんですよ。もう既に天女様を逃がすという、ヘマもしてますし。だから、藤沢さんというお方、あなたが無理やりアリスさんを攫ったってことで、いいっすかね?」






言葉の最後を投げやりにして、日本人形は頭をぼりぼりと掻いた。ふざけた人形だとイラついてくる。アリス先輩の様子を見ると、藤沢くんが私をさらうなんてロマンティック、と目を輝かせている。どいつもこいつもふざけてやがる。






「と言うわけで、藤沢さんとアリスさんには、手に手を取り合ってこの江ノ島を脱出してもらいます。そして私は、偶然藤沢さんがアリスさんをさらっているのを目撃し、大声で竜神様を呼びますから、竜神様に捕まらないように、頑張って走ってください」



「竜神と追っ駆けっこするのね! 面白そうじゃない!」






自分の立場をよくわかっていないのか、呑気に笑うアリス先輩。おいおいそんな呑気でいいのかよと思う。竜神の名を聞いて怯む俺に、日本人形は生気の無い白い手で、グッドラックとした。






「ご安心を! 今年の竜神様は引き籠りで、ろくに外にも出ず美少女アニメを見ながら、お菓子ばっか食ってる竜ですから。超肥満体で空飛べないんですよ」






日本人形は肩をすくめて、へらへら笑っている。超肥満体の飛べない竜か。これならなんとかなりそうだ。アリス先輩と俺の凡足でも、逃げ切れるかもしれない。






「いいですか藤沢さん、あなたは今からアリスさんの手を、あなた方の世界に戻るまで握り続けて下さい。決して離さないで。離した時点でアリスさんは人間に戻れなくなります。それから、なるべく鳥居をくぐって帰ってください。アリスさんがこちらの存在から、人間に戻るためです」






アリス先輩が、飛びつく勢いで俺の手を握った。アリス先輩の手は冷たく、人としての何かを失いかけていることが、嫌でもわかった。






「次に、この岩屋を出て、逃げている最中、藤沢さんは絶対に振り返っちゃダメです。アリスさんは振り向きオッケイなので、追ってくる竜神様の様子はあなたが伝えてください」






振り返っちゃダメなのよ藤沢くん! と必死の形相で俺に訴えるアリス先輩。




誰のせいでこんな事になったと思ってんだこのダボカス、と口にしそうになったが我慢する。



日本人形の話を聞き終え、俺とアリス先輩は立ち上がった。先輩の華奢な手首をぎゅうと握る。お互い顔を見合って頷いた。生きてこの江ノ島から逃げ出す。


それだけだ。俺たちを見上げる日本人形は、あのう、と小さく呟き、ごめんなさいと頭を下げた。






「本当に、すみませんでした。天女様が逃げたからとはいえ、人間を替え玉にしようなんて、やっちゃいけないことでした。超えちゃいけない境界です。藤沢さん、あなたのおかげで、私は最後の境界を破らずに済みました。アリスさんも怖い思いさせてごめんなさい」



「大丈夫よ。迷い込んだのは私の方だもの。これに懲りて、もう気軽に異空へ行ったりしないから」






アリス先輩はそう語って微笑んだ。確かに容姿だけは天女だと思う。先輩の穏やかさに安心したのか、日本人形は頭をあげた。






「では、あなた方が岩屋から出た瞬間、私は竜神様を呼びます。そこからが始まりです。どうぞ、ご武運をお祈りします」






冷たくなった先輩の手を強く握る。竜神との勝負を控え、高鳴る心臓を感じながら、俺たちは岩屋の出口を目指す。歩きながら、この江ノ島を出るためのルートを考えた。


人形はなるべく鳥居をくぐれと言っていたから、来た道をそのまま帰ればいい筈だ。徐々に外の光が見えてくる。近づく岩屋の出口に唾を飲み込んだ。






「それじゃ、行きますよ」






アリス先輩に声をかけ、岩屋からエイッと外に出る。



間髪を入れず、背後から竜神を呼ぶ絶叫が聞こえた。




すると、ゼリー状に見えた桃色と空色の海が、大きな渦を巻いた。台風のような轟音と共に海面が爆ぜ、暴風が俺たちを押し倒すかのようにぶつかって来る。



逃げようにも凄まじい風で、吹っ飛ばされないよう踏んばるのがやっとだ。風の轟音と共に、地響きのような地を這う悲しげな声が、激しく波打つ海からせり上がってきた。






「おおおおお前もぼくを馬鹿にするのかああああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁああああ」



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