第2話どこ行きやがったあのアホ女
昨夜に受信したアリス先輩の「助けてメール」を全力で無視し、二度寝の後に日の出に大分遅れて起床をした。身支度を整えている間にも、アリス先輩のメールが頭から離れない。
試しに電話をかけてみたが、アリス先輩の応答は無い。
「仕方ねぇな」
取り越し苦労間違い無し、とわかっていても気になるものは気になるから、どうしようもない。
講義を終えたら、オカ研に顔を出そうと決めた。今日の研究会は休みだが、アリス先輩はいつでも、俺を捕獲したあの部屋で魔道書を読んでいる。
会ったら変なメール送るなアホと、足払いでもしよう。部屋の鍵を閉め、アパートを後にした。
「え、アリス先輩いないんですか!」
講義を終えた後、オカ研に立ち寄り、研究室で昼飯を食っていた天然パーマの先輩に、アリスさんの事を訪ねた。
頭に縮れ毛を乗せた様な先輩は、カップ焼きそばをずるずると啜り、アリスがオカ研にいないのは変だ、とぼやいている。
縮れ毛先輩にアリス先輩のメールの内容を話した。
すると先輩はそりゃ気になるな、と縮れ毛を掻く。
「アリスに電話してみた?」
「はい。でも出ませんでした」
「そうかい……そりゃ、心配だわな」
腕を組み、眉間に皺を刻んだ先輩は、暫く黙りこんだ後、いきなりアッと声を出した。
「なんですか急に」
「昨日、講義でアリスと会って……あいつ、確かあの店に行くとか言ってたな」
「あの店って」
嫌な予感がした。アリス先輩がメールに書いていた「江ノ島に捕まった」という言葉が、恐ろしい方向で現実味を帯びてきた。
◇◇◇
現実から足を踏み外した眉に痰唾モノのオカルト話は、どれだけ熱心に語られても信じる気にはなれなかった。
だから、オカ研御用達の「あの店」の存在も、俺にとっては警戒の対象に他ならない。
専衆大学敷地内の、知る学生ぞ知る出口を通り、「あの店」へと向かう。
木々に囲まれた坂道を下り、森に囲まれた公園を通り過ぎる。
森の中を暫く歩き見えてきたのは、欝蒼とした樹木に埋もれた、小さな赤い屋根のレンガで出来た小屋だった。ドアの近くに「店」とだけ書かれた、投げやりな看板が立っている。
一人でこの「店」に来るのは初めてで、少し緊張してしまう。
汗ばんだ手で、「店」のドアノブを掴んだ。「店」の内部は、提灯やステンドグラスのランプ、玩具の様なシャンデリアが、天井を埋め尽くすようにぶら下がっている。
照明器具はどれも、橙色をした光をぼんやり発しているだけなので、「店」のなかは薄暗い。
店内のあちこちでお香が焚かれているせいか、色々な匂いが混ざり合い、頭がぼうっとしてくる。狭い店内を囲むように本棚が並び、どの本も、何かの魔道書だったり悪魔や妖怪の辞典だったりと、狂ったジャンルの本しか並んでいない。
豪奢な飾り棚には、禍々しいアクセサリーや鉱石が無造作に置かれ、店というより物置に近い風景だ。信楽焼の狸のとなりで、同じ大きさのフランス人形が微笑んでいる。
得体のしれない不思議な空間に怯えながらも、商品が乱雑に置かれた店内を何とか進み、店主である赤髪をした老婆の元にたどり着く。やってきた俺に、老婆は机に片肘をついたまま見向きもしない。
見向きどころかぴくりとも動かない。呼吸音すら聞こえてこない。この老婆も置物かと、勘違いしてしまいそうだ。
「あの、すいません」
赤髪の老婆の迫力に負けそうになったが、なんとか心を奮い立たせ声を出す。
「すいません。昨日、ここにアリス先輩、いや、金髪の女性来ませんでした?」
老婆の返答を待つこと三十秒。枯れてはいるが、深く力強い声が店内に染み渡る。
「来たよ。あのアホ女だろ」
「はい。そのアホです」
老婆はこちらに顔をゆっくりと向けた。赤髪の似合わない、典型的な日本人顔だ。
「とびきりぶっ飛んだ珍品を出せとゴネやがった。うるさくてかなわんよ」
きちんと躾しときな、と老婆は言う。老婆の濁った黒色の眼は、確かにこちらを向いているのに、焦点が合っていないように感じられた。
「あんまりにもうるさいから、こっちも秘蔵の物を出してやったよ」
「秘蔵の、物って……」
「これさ」
老婆は机の引き出しから、一枚の赤い切符を出してきた。大きさは電車の切符と変わらない。
違うのは印刷された文字だ。切符の製造番号や他の数字の類は、一切記されておらず、明朝体で「えのしま・往復」とだけあった。
「えのしま……江ノ島!」
アリス先輩の怪メールが頭に鳴り響く。アリス先輩は、この切符で江ノ島に行ったのだろう。
「俺にも、その切符売ってくれませんか」
「いいよ。千円だ」
千円を差し出し、老婆から切符を受け取る。切符を財布に仕舞うと、老婆が今から言うことをよくお聞き、と口にした。
「あのアホ女が行った江ノ島は、お前が知ってる江ノ島とは少しずれた江ノ島だ。その切符を電車の改札に通して、駅のホームで眼を閉じな。すると、第一車両しかない緑の列車が停まっているいだろうさ。お前はそいつに乗って、終点の江ノ島まで行くんだ。そして、江ノ島に着いたら、そこの食べ物や飲み物を、一切口にするんじゃない。名前を聞かれても苗字だけ答えな。本名全て教えんじゃないよ。帰れなくなる」
「か、帰れなくなるって、江ノ島ですよね?」
老婆の話がわかるようでわからない。オカルトの類を一切信じない俺の頭は、老婆の話を日本語として理解はするが、咀嚼し飲み込みはしない。脳みそに幕が張っているような、薄らぼんやりとした気分だ。夢の中にいると表現したら、近いだろうか。
「お前みたいな、現実に足浸してる子に言っても、焦点が合わないのは仕方ない。だけど、さっき言ったことだけは守るんだね」
回転しない頭を抱えたまま、老婆に礼を言い、背を向けた。
「頑張りな。勇気ある若者を、江ノ島だって酷いようにはしないもんさ」
「店」を出て、江ノ島で何も飲み食いするなという老婆の教えを思い出し、腹が減らないよう食事を済ませた。
そして、江ノ島へ出発するため、向ヶ丘遊園駅の改札に老婆から買った切符を差し込んだ。これからどうなるのだろう。
心音が激しい。俺の緊張を余所に、差し込んだ切符はすんなり通った。改札を通りホームへ進む。ここまでは何の変哲もない。人通りも多い。大したこと無いなと油断した。言われた通りに目を閉じ、一呼吸置いて、瞼を開くと。
「うわあ!」
叫んでしまった。さっきまでいた大勢の人々は消え失せ、第一車両しかない緑の列車が停まっている
。えのしま、と表記された列車は、玩具の様にずんぐりむっくりとして、本当に走るのかと疑ってしまう。ここまで来たら逃げられない。
というか、逃げ切れるかわからない。
腹を括って、列車に乗り込んだ。
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