アリス先輩が江ノ島に捕まった件について

ぷきゅのすけ

第1話こんな夜中にうるせえな

アリス先輩は、異世界だとか怪奇現象といったオカルト物が大好きだ。



そして、なかなかに活きの良いアホでもあった。




どれくらいアホかというと、イギリスで勉強したインチキ日本史の知識を片手に、坂本龍馬を口寄せしようと京都へ行き、近江屋跡地で交霊のヘンテコ儀式をした際、堂々たる不審者ぶりに通報され、京都府警のお世話になったほどのアホだった。




だから、就寝中だった俺を、けたたましい着信音で叩き起こしたスマホに送られてきたメールで






「藤沢くんお元気ですか。私は元気じゃありません。私は江ノ島に捕まってしまいました。ただの江ノ島じゃありません。異空です。異空の江ノ島です。冗談じゃありません。笑い事じゃありません。やばいです助けて下さい」






とあっても、アホのアリス先輩のことなので、異空の扉でも開こうと、江ノ島の神社でヘンテコな舞を踊り狂い、江ノ島の交番に連行されたのだろうと、先輩のメールを真剣に受け取らなかった。スマホの画面に表示される時刻は、丑三つ時を少し過ぎた頃。



こんな夜中にしょうもないメールを送りやがって、あの馬鹿女。


異空の江ノ島に捕まったなんて丁度いい。


二度と人間社会に戻ってくるな。



暗闇の部屋で少しだけアリス先輩に文句を垂れたが、あんなのに垂れる文句が勿体ないと考えすぐに寝た。





◇◇◇






アリス先輩との出会いは、今から一年前の春、俺が大学に入学した頃に遡る。



入学式の翌日に行われた新入生説明会を終えた後、学校敷地内をうろついていると、警戒心をくすぐられるほどに明るい先輩学生から、サークルや研究会の勧誘ビラを何度も押し付けられた。




量が増えた勧誘ビラが邪魔になり、捨て場所を探すため歩き回った。すると見えてきたのは、蹴りを二発ほど喰らわせたら倒壊しそうな建物だった。




ヒビの走る薄汚い壁の端っこに「学生自治会館」と印刷された、ボロボロのプレートが貼り付いている。大学で言うところのサークル棟という奴だ。



ちょっとした冒険心に突き動かされ、俺は学生自治会館に足を踏み入れた。開きっ放しの入口は、コンクリートの一本道に続いており、その先の出口も開いている。


一本道の両脇に並ぶ鉄のドアには、その部屋を占領するサークル名が表札のように貼られていた。



狭い通路を進んでいると、澄んだ空気を運ぶ風が、俺に触った。風の吹いた方に顔を向けると、開いたドアの向こうに部屋が通じており、そこにいる人物の姿に心を鷲掴まれる。その人は、春の日差しが降る窓の、すぐ近くに置かれた椅子に品良く座り、電話帳ほどの分厚い本を膝に乗せて読んでいる。



上品な空色のブラウスに白のロングスカートがよく似合っていた。そよ風に揺れたプラチナブロンドの髪は、ふわりと舞うたび、ちらちらと光を散らす。本のページをめくる指先は透けるように白く、この透き通った白さは外国の人だろうと俺に確信させる。



日差しを浴びながら、白皙の指でページをめくる金髪の外国人女性の姿は、一枚の絵画のように麗しい光景だった。


映画のワンシーンでも見ているようだと、女性の横顔を見ていたら。


女性が本から顔を上げ、俺に振り向いた。目尻の垂れた深海色の瞳が、俺を見ている。


白雪の頬はうっすらと薔薇色に染まり、薄桃の唇はやさしく艶めきふっくらして、女性の容貌は人間と言うより、人形に近いと思わせるほど、美しいものだった。椅子から立ち上がった女性は本を置き、こちらにゆっくりと近寄って来た。


近くで見ると、一層彼女の美しさが伝わってくる。なめらかに隆起する頬骨に、真っ直ぐ流れる鼻筋。大きな青い瞳を縁取る金色の睫毛は、ぷくりとする涙袋に、繊細な影を落としている。






「えっと、ごめんなさい、あの俺」






女性にじっと顔を見つめられると、あまりの緊張で、頭や口が回らなくなる。間近で見る彼女の潤んだ深い青の目は切なげに揺れ、心臓の鼓動の規律を乱す。手に汗が滲んだ。






「きみ、一年生?」






涼しげな声に乗った日本語は、外国人にしては素直で美しい発音だった。






「え、あ、はい」



「なら、ちょっとここでお菓子食べていかない? ほら、そこのソファーに座って」






学生自治会館に迷い込んだのは幸運だった。滅多にお目にかかれないような美女と二人きりになれたのだ。生きててよかった。心からそう思う。 




 


      


「私はアリス。日本の文化を勉強したくて、イギリスから来たの」






向かいの椅子に座っていたアリスさんは、俺の隣にふわりとやってきた。拳一つ分開いた距離が寂しい。もっとくっついてくれてもいいのに。


アリスさんの柔らかく甘い匂いに頬を緩めながら、一人暮らしのコツを聞き、自身の専攻学部についての会話を楽しんだ。






「藤沢くん、一人暮らしはどう? 大変だけど、楽しいものでしょ」



「そうですね! クソボロアパートですが、一人気ままというのは気楽なものです」






にこにこと楽しそうに会話をしてくれるアリスさんに、その時の俺は、確かに恋に落ちていた。






「ところで、藤沢くん」






しかし、芽生えたその淡い恋は、アリスさんの次の一言により、一瞬で消炭になった。






「これから異空の扉開きに行かない?」






本能が、今すぐ逃げろと俺の体を動かした。



体が部屋の出口へと跳ねる。


ソファーから転げ落ち、床に体を打ち付けた。硬い床にぶつけた痛みはあるが、そんなものにかまってはいられない。


体勢を整え、脱出口を求め走る。背後でアリスさんが、待ってと声を上げた。


アリスさんの制止を無視して、出口へと手を伸ばす。あと少しで逃げられる


。ここから逃げたらすぐに帰って寝よう。


新生活に合わせて借りた、我がアパート。


引っ越し初日に、雨漏りという大歓迎をしてくれた、愛すべき俺の城。クソボロとか言ってごめんね。






「みんな! 藤沢くんを捕まえて!」






俺の脚が、部屋の出口を跨ごうとしたその時。


天井から、壁の隠し扉から、ソファーの側面から、本棚の隙間から、ありとあらゆるところから、見知らぬ若い男女がわらわらと出現した。


それにひるんだ俺の隙をついて、突如現れた謎の集団が飛びかかってくる。誰かが俺の足首を掴み、バランスを崩して床に顔面を叩きつけてしまう。



べしゃあとうつ伏せになった俺に、次々と圧し掛かってくる謎の集団。両手両足を押さえられ、助けを呼ぼうとしたら、猿轡をかまされた。






「ちょっと失礼」






アリスさんの細い腕が、俺の体をまさぐり何かを抜き取る。白い手に握られていたのは、俺の財布だ。






「藤沢……明久くんって言うのね! 素敵な名前! えっと、他には、専衆大学……文学部一年生」






財布から学生証を抜き取り、個人情報をべらべら読み上げるアリスさん。



なんとか学生証を取り返そうと、じたばたもがき、言葉にならない悲鳴をあげる、猿轡を噛まされた俺。大人しくしやがれド助平野郎、と罵詈雑言を発しながら、俺に圧し掛かる謎の集団。こんな事が大学内で起きていいのか。いいわけあるか。大学自治にしてもあんまりだ。






「ええっと、ああ。藤沢くんのお住まいは大学に近いのねー。あそこの近くのラーメン屋さんすっごく美味しいの、知ってる?」



「ひひはへんほ! ほんはん!」






知りませんよ! そんなん! と言いたかった。そもそも猿轡で答えられません。






「何言ってるかわからないけど、まあいいや。今度ラーメン食べに遊びに行くわね。藤沢明久くん」






アリスさん率いる謎の集団に、住所が知れてしまった。この人たちの言うことを聞かねば、俺はどうなるかわからない。


天井裏に潜んでいたり壁を改造したりする、なんちゃって忍者みたいな連中だ。


こちらの常識が通用する相手とは思えない。もう駄目だ。逃げ場はない。






「では藤沢くん! ようこそオカルト研究会へ! 研究会会長アリスです! オカ研は藤沢くんを歓迎するわ! これからよろしくね!」






全然よろしくないですよ。



 


結局俺はオカルト研究会、通称オカ研引きずり込まれた。住所を人質にとられ成す術も無く、大学二年生となった今でも、俺はオカ研の捕虜のままである。



研究会辞めたいです、などとは怖くて言えなかった。それは、オカ研の捕虜になり、三カ月が経ったある日、勇気を出して研究活動をサボった翌日のことだ。夜十時頃、アリス先輩が俺のアパートにアポ無し突撃し、無言のまま冷蔵庫を勝手に漁り、食料を食い荒らしやがったからである。



サボっただけでこのザマだ。辞めようものなら、何をされるかわからない。辞めた翌日に研究会員達に拉致され、裸にされて樹海に捨てられるかもしれない。生命に関わる類いの恐怖を抱いていた。

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