49――決勝戦前日の夜~当日の朝
さすがに準決勝が終わると一緒のホテルに泊まっている学校は一気に減って、このホテルの団体客はオレたちだけになっていた。
そうなると大浴場も空いていて、これまでは時間を気にしてカラスの行水レベルでしか入浴できなかったが、ゆっくりとお湯に浸かることができた。
先輩たちもリラックスできたみたいで食事もモリモリ食べていたし、明日の決勝戦は万全の状態で臨めそうだ。3年生の先輩たちの最後の試合、チート持ちのオレが出ることもなくこれまでの努力を最大限に活かせる試合になればいいと思う。
そんなことを考えながらゴウンゴウンと忙しなく動いている洗濯機をぼんやりと眺めていると、隣に座っていた美希先輩が全然動かないオレを心配して話しかけてきた。
「ひな、大丈夫? 今日は大活躍だったものね、疲れたでしょ。なんなら洗濯物は私が乾燥機に掛けて、ちゃんと持って帰るから先に部屋に帰って休む?」
「いえ、大丈夫です。疲れてぼんやりしていた訳じゃなくて、夕方にイチ先輩が来たじゃないですか。何の用だったのかなって気になって」
美希先輩に心配を掛けるのも申し訳ないので、両手をぎゅっと握って元気アピールをしながら言った。口に出してみて、そう言えばイチってオレのところに何の用だったのだろうかと改めて疑問に思う。男女でホテルは別だしな。オレたちは明日も試合があるってわかってるだろうから、遊びに誘いに来たわけでもないだろうし。
「イチくん? そうね、確かに何の用だったのかしら。あ、もしかして……ひなに告白するつもりだったのかもよ」
不思議そうに空中に視線を漂わせながら言う美希先輩だったが、後半はいたずらっぽく笑ってオレをからかってきた。そんな先輩に苦笑しながら、オレは首をふるふると横に振った。
「試合に負けた日に女子に告白なんて、普通はしないと思いますよ。男子って、そういうプライドは女子より強いじゃないですか。それにイチ先輩が私をそういう目で見るとか、絶対ないと思うんですよね」
現在オレが元男だとこっちにいる人間で知っているのは、家族とイチぐらいだ。特にイチはオレと小学校の頃からの付き合いだし、元のオレがどんなだったかを知っている。いくら見た目がかわいい女の子に変わったからって、元180cm超えの筋肉質のマッチョだった人間を異性として好きにはならないだろう。
「ええぇ、もしかしてひなってすごくニブい? いくら前から知ってる後輩の女の子でも、好意がなかったらあんな風に構ってきたりしないと思うんだけど」
『それにひなを見る目がもう他の子の時とは全然違うって言うか』とかゴニョゴニョと美希先輩は言っていたが、それは女になったオレが学校生活や部活でうまくやれているか心配してくれているんだと思う。ただオレたちの関係を知らないなら、そんな風に勘違いしちゃうのも仕方がないのかもしれない。
「イチ先輩は病弱だった頃の私も知ってますからね。従兄弟も今は病気療養で私の近くにはいませんし、彼の代わりに兄貴分として気にかけてくれているだけですよ」
「……ひながそれでいいなら、私は別にいいんだけどね」
呆れたような諦めたようなため息のあとで、ボソリと美希先輩がそう締めくくるのが聞こえた。本当のことが言えないので強情に否定する感じになってしまって、せっかく話を聞いてくれた先輩には申し訳なかったかもしれない。でもオレとイチの間にはそんな感情は一切ないし、そんな未来は絶対に来ないのだから仕方がないよな。
その時、ふとパズルのピースが当てはまるみたいに、イチがオレに会いに来た理由が頭に思い浮かんだ。男だった頃は全国大会の決勝に進んだ経験は何度かあるが、今回は女子になって初めての全国大会の決勝だ。しかもインターハイなんていう大舞台だから、さぞオレが緊張しているだろうと気遣って声を掛けてくれるつもりだったんだろう。ただ先輩たちの前では恥ずかしいから、ふたりきりになって励ましてくれる予定だったのではないだろうか。
確かに男だった時と違って実力も何もかも足りなくて、コートに立つ時はいつもいっぱいいっぱいの気持ちだけど。でも毎回自分が持っているもの全部を出し切ってヘトヘトになる感覚は、こうしてひなたになっていなければ思い出せなかったものだったと思う。まるでバスケを始めた頃に感じた気持ちをもう一度追体験しているような。
洗濯が終わった後で部屋に戻ってから、オレはスマホのメッセージアプリからイチにメッセージを送った。オレを激励に来てくれたのだろうに、時間が取れなかったことへの謝罪とお礼。そして明日の試合で出場する機会があった場合は、楽しんで全力を出すという宣言を書き記して。
ミーティングというか班長会議みたいな部屋ごとの代表者が集まって伝達事項を監督から聞く集まりがあったのだが、そこに出席していたまゆが戻ってきて伝言を聞いて少し早いけど今日はもう寝ることにした。まゆをはじめとした先輩たちも疲れていたのか、おやすみ3秒状態であっという間に眠りの世界に旅立ったようだ。
翌朝、ぐっすりと眠ったオレが起きて真っ先にスマホを見たのだけど、残念ながらイチからの返信は届いていなかった。多分男バスのみんなで打ち上げみたいなのをやって盛り上がって、スマホなんて見ている暇がなかったのだろう。まぁいいか、試合が終わるぐらいには返信が来ることを期待しておこう。
3年生の先輩たちはこれが高校最後の試合ということで、ちょっと気合が入りすぎているような気がする。2年生の先輩たちも明日からチームの中心は自分たちになることへのプレッシャーからか、緊張して体が強張っているような雰囲気だ。
それを察してか、部長がみんなの前に立って静かにここにいる全員の顔をゆっくりと見てから口を開いた。
「インターハイの決勝、緊張するなという方が無理よね。実は私も、まるでバスケを始めて最初に出た試合の時を思い出しているわ」
少しおどけたように言う部長の声に、さざなみのように小さな笑い声が複数聞こえた。さすが部長、緊張をほぐす会話術とか超知ってそう。
「昨日話したように、今日の試合は絶対に勝ちましょう。そのためには平常心で全力を出す……っていうのは難しいだろうけど、必要以上の緊張や前のめり感は邪魔になるわ。深呼吸してこれまでバスケをやってきた中で、一番調子が良かった自分の姿を思い浮かべましょう。その時の気持ちや空気感、詳細に思い出せたらきっとその分だけ絶好調の状態に近くなると思う」
部長が話しているメンタルの話は、オレも何かの本で読んだことがある。人間の体っていうのは不思議なもので、こういう風でありたいと願うことで力を発揮できたり成長できたりするそうだ。メンタルトレーニングによってゾーンとも呼ばれる究極の集中状態に入りやすくなるらしいので、普段の生活習慣に取り入れてみるのもいいかもしれないな。
そんなことを考えながら深呼吸をしていると、どうやら一定の効果があったのか先輩たちの表情がさっきよりはずいぶんリラックスしているように見える。まだちょっと硬い感じの先輩もいるけど、試合開始までにはどうにか前向きな方向に自分の気持ちに折り合いをつけるだろう。
「おいおい、せっかくのインターハイの決勝なんだ。ビビってるだけじゃもったいないぞ、楽しめ楽しめ。今さらやれることなんざ、試合で頑張るしかないんだから」
笑いながら身も蓋もないことを言う監督に、完全に脱力したのか先輩たちが苦笑いを浮かべる。この人の適当な性格も、こういう時は役に立つんだな。
和気あいあいとしたうちのチームだが、士気は高く最高の状態だと言っていいだろう。部長の出発の声に揃って返事をしたオレたちは、試合会場に向けて出発したのだった。
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