48――鼓舞


 先輩たちと合流したオレとまゆを待っていたのは、『遅い!』という監督からのお叱りだった。


 それに対してはまゆが事情を説明してくれてお咎めなしということになったのだが、代表合宿に呼ばれるかもしれないという話には監督も先輩たちも驚いていた。


「仕方がないか、それだけ河嶋が出した結果が常識からかけ離れているということだからな。それ以上にアンバランスな選手なのは間違いないし、一度顔さえ出しておけば後は起用方法なんかもあっちが考えることだ。もちろん、綾部みたいに辞退の道もあるけどな」


「えっ、部長はもしもお声が掛かったとしても代表合宿には参加しないんですか!?」


 先輩のひとりが驚きの声をあげたが、オレも同じ気持ちだった。恵まれた体躯に、その上に真摯に重ねた努力。うちの部長ほど国の代表選手として参加するのにふさわしい人はいないだろうと、心の底から思う。辞退の理由はなんなのか、実はオレみたいに健康面でプレイに差し障りがあるとか、そういう理由なのだろうか。


 オレを含めた後輩たちの視線を苦笑しながら受け止めて、部長は自分の気持ちを話しだした。


「今年の予選が始まる前から決めていたのよ。インターハイの本戦に出場できなければウインターカップまで部活を続ける、出場できた場合は負けたところでバスケからすっぱり引退するってね」


「そんな、もったいないですよ部長!」


 部長の言葉に先輩の誰かがすぐに声をあげて、周囲からも『そうですよ!』と同意の声が続々と続く。


「そう言ってもらえるのは嬉しい。でもね、もう満足しちゃったのよ。今年なんてこれまでどうやっても超えられなかった3回戦の壁を超えて、決勝戦まで進むことができた。強豪校の部長として背負ってきた責任感とか、そういう張り詰めていた物がすっかり緩んでしまって。これ以上は私には分不相応だから、大学受験に専念することにしたのよ」


 それを聞いて、もしかしたら本来の先輩はみんなをグイグイ引っ張っていくような性格じゃないのかもしれないなとなんとなく感じた。それでもバスケットボール選手としては恵まれたフィジカルを持って生まれた彼女を見るとみんな頼りにするし、チームの象徴みたいな役割が部長の意思に関係なく自動的に割り当てられてしまっていたのかも。


 全部オレの想像だけど男だった頃のオレも過分な期待にウンザリした時期があったので、もしこの想像が合っていた場合の部長の気持ちはよくわかった。他の先輩たちも部長のこれまでの部活に対する献身や苦労を察して、無責任にこれからもバスケを続けてほしいなんて言えなくなってしまっていた。何故なら続けるも引退するも、部長本人が決めることなのだ。そして部長は明日の試合が終わればバスケを引退すると言っているんだから、それは一番に尊重されるべきだ。


 オレがそんな風に考えを巡らせていると、部長がこちらに視線を向けた。目がバッチリ合って、なんとなくビクッと自然と体が震える。


「ごめんね、河嶋。もしも本当にふたりともに合宿に参加しろって声が掛かったとして、ついて行ってあげたいのは山々なんだけど。代表として活動するつもりがない私が参加すること自体、プロや代表選手を目指している他の人たちにも失礼なことだからね」


 部長の言葉はまったくもってごもっともな意見だと思ったので、オレは気にしていないことを伝えるためにふるふると首を横に振った。でもひとつだけ、確認したいことがあった。


「部長の気持ちはわかりました。でも、ひとつだけ違うと思うことがあります。さっき部長は、明日の試合は勝っても負けても満足みたいなことを言っていましたよね?」


「……ええ、言ったわね。日本の女子高生たちの中で一番強いチームを決めるための試合。そのコートに立てただけで、これまでバスケをやっていて辛かったこともしんどかったことも報われるんじゃないかと思うくらい」


「確かに負けたとしても明日の試合が終わった後とか、高校を卒業するぐらいまでは自分たちは頑張ったって満足に浸れるかもしれない。でもふとした時に、あの時にもっと頑張っていたら優勝できたのにとか、あのボールに手が届いていたらとか。自分の中にある後悔の種が芽を出し始めます。そしてそれは一生消えることはありません」


 『だって過去にはどうやったって戻れないんだから』とオレは一旦言葉を切った。部長としては『明日の試合、勝負にこだわらず自分の実力を出し切ろう』みたいにキレイな感じにまとめようとしたのかもしれない。でも実力以上の力を出すための一番強い原動力って、勝ちたいっていう気持ちだと思う。それを無くして、明日の試合は勝てない。全国大会の決勝戦まで勝ち上がってくるチームが、そんなヌルい相手なわけがないんだよ。


「先輩たちだってこんな強豪校でバスケしてるぐらいなんだから、負けたことが悔しくてやり直したい試合があるでしょう? きっとそれと同じかそれ以上の後悔を、負けたら味わうことになります。もしも自分のために勝ちたいと思えないなら、他の誰かのためでもいいです。一緒に頑張ってきた仲間のために、ずっと応援してきた先輩のために、引退しても引き続きこのチームで頑張る後輩たちのために。明日の試合、勝ちましょうよ!」


 自分自身にらしくないなと呆れながらも大演説を打ってはみたけれど、部長に対する部員からの好感度が高いのもあるのだろう。部長にそんな後悔を引きずらせるなんてダメだとばかりに、『勝ちましょう、部長!』と先輩たちのモチベーションが上がっていた。


「ひなたちゃんの言う通りだよ、ここまで来たら私は自分のためにも明日の決勝戦は絶対に勝ちたい」


 ダメ押しとばかりにまゆも援護射撃というか、みんなを鼓舞するように自分の気持ちを言ってくれた。まゆもほぼ次期部長としてみんなに認められている存在だから、先輩たちからの信頼が篤い。そんなまゆが『自分のために』と言ったので、部長のためにと周りが盛り上がっていたけど自分自身が優勝メンバーになりたいと小さな野心を抱えていた先輩たちも後ろめたさから解放されて、スッキリとした表情をしていた。


「いや、本当にごめんなさい。まだ試合が残っているのに、勝手に終わった気になって満足していたらダメよね」


 自分を想ってくれている同級生や後輩の想いに背中を押された部長が、背の高い体をギュッと縮めるようにしてオレたちに深く頭を下げた。しばらくそのままの体勢でいた部長が次に顔を上げて、さりげなく顔を手のひらで拭うような仕草をした。もしかしたら不意に涙が滲んだのを誤魔化したのかもしれない。


「明日は絶対に勝とう、このメンバーで!」


「はい!」


 部長の飛ばした檄にオレ達が返した声が、まるで意図したようにキレイに揃った。それがなんだか気持ちよくてフワフワとした気持ちでいたら、監督が声を上げて笑い出した。


「ああ、すまんな。こういう青臭いやり取りを見れるから、学生スポーツに関わるのをやめられないんだよ。こういう青春みたいなのは、本当に今のお前たちぐらいまでしかできないから」


 監督のセリフを馬鹿にされたように感じたのか、一部の先輩たちがムッとした表情を浮かべていた。


「そう怒るな、別に馬鹿にしちゃいないって。こうやってみんなで一致団結した思い出が、大人になって辛いときなんかにそれを乗り越える原動力になったりするんだよ」


 しみじみと言った監督の言葉に、この場には他に大人がいなかったので同意できる人間がほぼいなかった。ただ3年生にもなると何か思うところがあるのか、なんとなく理解できたような微妙な表情を浮かべているのがちょっと印象的だった。


「まぁ、私の話は横に置いておくとして。何をどう言っても明日の試合が、このメンバーでできる最後の試合なんだ。相手は格上だし厳しい展開になるかもしれないが、全力でぶつかってこい!」


 監督からも檄をもらい、オレ達のテンションは最高潮。明日の試合は予選からここまでの試合の中で一番の状態で始められそうだなと思いつつ、バスを下りてホテルに入ろうとしたら後ろから声を掛けられた。


「……ひなた、ちょっと時間いいか?」


 何やら意気消沈したように元気のないイチがそこに立っていて、突然そんなことを言ってきた。不思議に思いつつもユニフォームの洗濯もあるし、夕食やミーティングや入浴とやることは山積みだ。それを伝えてちょっと時間を取るのは難しいということを言うと、少しでいいからと食い下がられる。


 うーん、そう言われてもな。この後のタイムスケジュールを脳内で開いて、どうにか隙間がないか探したがどうやっても時間が取れないのは明らかだ。オレとしても親友の頼みなのだから時間を取ってやりたいのだが、無理なものは無理だ。


 それを伝えて地元に戻ってからというのはダメなのかと聞くと、イチは気まずそうな表情を浮かべてうつむいた。これは何か後ろめたさを感じているのか? 最近イチの気持ちがよくわからなくなってしまった気がする。男だった頃は、よくわかっていたはずなのに。


 仕方がない。無理してでも時間をどうにかして作るかとオレが譲ることにして口を開こうとすると、答える前にオレの首の後ろからニュッと両手が伸びてきてまゆが後ろから抱きついてきた。


「ほら、ひなたちゃん。さっさと中に入るよ。イチ、私たちは忙しいんだから余計な時間を使わせないでよね」


「……ああ、悪かった。ひなたもまたタイミング見て仕切り直すから、気にしないでくれ」


 後半はいつものようにちょっとケンカ腰に言ったまゆだったが、イチがあっさり引いたので怪訝そうな表情を浮かべていた。一体なんの話だったのか、予想すらできずになんだかモヤモヤとしてしまったけど。部屋に戻ってきてから先輩たちの洗濯物を集めてホテルに備え付けの洗濯機で洗濯と乾燥をしたり、食事やミーティングに就寝の準備をしていたらいつの間にかそのモヤモヤは無くなって、おかしな様子のイチのことはすっかり頭の中から消えてしまっていたのだった。

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TSしたオレが女子バスケ選手としてプレイする話(改訂版) 武藤かんぬき @kannuki_mutou2019

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