第7話 願いの果て

「本当にいのかゆうちゃん。俺が先でも全然大丈夫だから」

 いや、その傷は全然良くないしそれが分からない神先かみさきさんが全然大丈夫じゃ無い。 階段を降りる位あたしにだって出来るんだから!

「じゃあ行くわね」

 あたしと女性信者の人がお互いにうなずきあって、恐る恐るその狭い階段を降りて行く。体感と想像が大体同じ位に上下のフロア間の高さ分のその距離を下に、あたし達先頭と後方でやや距離を取りながらゆっくり進んで行った。

「これは……あんまりにも……」

 足を引き神先かみさきさんとそれを支える男性信者さん、加えておっかなびっくりの教祖きょうそ、数人の信者さん達で、先ずここまでは何事もなくくだってれた。

 辿たどり着いた所は恐らくフロアの見取り図で言うと、デッドスペースとはちょっと言い方が違うんだろうけれど、そういう隙間すきまあとから間取まどってこしらえた、さっきからの階段からだって神先かみさきさんにはずっとせまっ苦しいのはしょうがないって程のただの四方しほうかこう通路になってたみたいで……そしてやっぱり、さっきからの轟音ごうおんがもたらした結果が全く甘いものじゃなかったってことを。

「見て、こっち側の壁が破れて……」

 言いよどんだ言葉の先がげず、ただ指差した先を『どうしたんだ』って追いついてきた後方メンバーが見た。

 そこには幾人いくにんもの人達が、四散しさんした構造物の上や下で大量の血を流す中そのまま息絶いきたえていた。フロアのあちこちに死が……あり得ない程の死が満ちあふれていた。

 こんなのって……こんなのって!! だけど、この子が……! あたしの背中で眠ってる“この子”がやった訳じゃ……ない……だけど……!

 どおおおおおおおんん!!

 結構下の階の方からだ……音の波が小さく届いて……。

「普通にフロアに階段は無いのか?」

 無残なフロアの有様ありさま一瞥いちべつしてうつむき、目を閉じて頭を振った神先かみさきさんがそう聞いた。

「ありません……移動はエレベーターと非常階段だけです。外部から“悪魔達”が通常の階段だと一気に押し寄せるからだと聞きました……」

 じゃあ……止まったエレベーターと非常階段も恐らく少年が……。

 その凄惨せいさんたる光景に、ほんの少し足を踏み入れたあたしと教祖きょうそが。

「上だ! ゆうちゃん!!」

 その言葉にうながされた咄嗟とっさがれ落ちた天井材の向こう、折れてき出した構造物が頭上からあたし達目掛け、そのほんのわずかな重力のバランスが崩れて……どおおんって、何かコマ送りの様なその光景にゆっくりと目を向けたその瞬間……!

「いやああああ!!」

 後ろでかさなった女性信者が絶叫ぜっきょうしたその刹那せつな……! けれど……空中でその構造物ごと時間がただそこに止まった様に、ただその空間がそのままそこに周囲から切り取られた、まるで一枚の写真の様に。

「あ……ああ…きょ、教祖きょうそ様」

 血まりの中に倒れていた男が一つまばたきをして、こちらを見た。

「話は……話は聴きました……教祖きょうそ様のこと……フロアに設置されたスピーカーから流れてきたんです……」 

 そんな……まさか……!

「恐らく、少年がのちに残った信者達を操りやすくする為にさっきのフロアでの会話を流してたんだろうな……自分に都合のい部分だけを……狡猾こうかつにも程があったな……」

教祖きょうそ様……でも……あなたの力がどうであれ……私は……私はあなたの力を見て……もしかしたらこのつらい現実に私にも何か……何か救いがあるのかもと思える様になって……救われた……だから」

 男はもう……事切こときれようとしていた。

「だから、いいんです……あなたは私にとって“神”だった……ああそうだ……さっき“本当の神様”に会ったんです……『お前には、ここを通る者がいるからそれを助ける力をあげよう……』って……良かった……間に合った……これで……」

「下がるんだ二人共!!」

 男の言葉が途切とぎれたのち、まるで時が戻った様に頭上にってどれ程かの重量をたくわえた物が、あたし達の目の前に音を立てて落ちてきた。

「そ、そんな……神だと……こんな……たったこんな信者が……こんな力を与えられて……名も知らないこんな人間と私も同じだとでも言うのか……!」

 ……違う……違う違う違う違う違う違うちがう!!! こんなの絶対にちがう!!!!!!!

 自分が救われたからそれで満足!? この男が神!? 盲目的に自分のことだけ考えて、その挙句あげくがこれ!? 救われた!? この人が!? どれだけの人達がこの教団に苦しめられたんだ!! どれだけの人達の幸せがこの教団の所為せいうばわれたんだ!! 目の前の現実が苦しいからって! 麻薬のようにさも誰かを魅了みりょうするだけのなんにもなりやしないこんな力! こんな、たったどうでもいい力に勇気づけられるなんて!! 今目の前で死んだこの人が何も知らない馬鹿だっただけじゃない!!! あたしの家族はこの教団が無ければ今でも生きていられた!!

 自分さえ良ければそれで満足なのか!! 自分にだけがあればそれでいいのか!!!

 違う!!! 絶対に違う!!!! こんなの間違ってる!!!!

「あんただって間違ってる! あんたみたいなちょっと道からはずれたってねたエリートが世の中にたくさんいたって世界なんて全然変わらない!! この人の運命だって今、この目の前で変えられなかった!! あんたが救った人なんて誰一人いない!! 世の中のことを考えてるりして自分のエゴが通らない他者をずっと批判ひはんしてるだけだ!! あんたなんて!! あんた達みたいな偽物宗教なんて!!!」

 我を忘れて無我夢中むがむちゅうに、呆然ぼうぜんと立ちくす教祖きょうそをただ怒りと悲しさでメチャクチャになった感情をわめらしながら必死に片手のこぶしで、教祖きょうそを何度も何度も、何度も何度も何度も何度も叩き続けた。

 涙が止まらなかった。

 あたしのものであるはずなのに、この涙はめようもなかった。

 止まらない涙しかこの世界には本当は無いんだ。

 ほんのちょっとの間だけ止まっているりをしてるだけで、またぐに流れ出す涙が目の前の景色を別の何かに変えてしまうから。

 教祖きょうそはただうずくまって、なぐりつけながら嗚咽おえつするあたしに何も言わなかった。

 この、永遠えいえんにも思える時間を止めてくれたのは神先かみさきさんだった。

「神はお前が可哀相かわいそうだっただけだ……この最期にむくわれようがむくわれまいが……この男も同じだ……」

 ただそこにうずくまったままの教祖きょうそに、そう言葉を掛けながら。

「進むんだ。ゆうちゃんの言いたいことは分かる。お前の気が済むことはこれからだって無いかもしれない。それでも進むんだ」

 分かってる……理不尽りふじんは別の理不尽りふじんを、ずっとまるであたしの友達にでもしようと目の前に連れてくる。この現実にまれちゃ駄目だ。自分が選ぶんだ。あたしが目の前の、この先の未来を選ぶんだ!!

 ぐちゃぐちゃに流れた涙をぬぐったその右手を、あたしは目の前の教祖きょうそに差し出した。

「あなたのことは一生ゆるせない。けれど、今はあなたを殺したい訳じゃない。ちゃんと、罪をつぐなうべきだと思うから」

 教祖きょうそしばらだまったままだったけれど、ゆっくりとうなずいてひざまずいたまま、ふるえる両手であたしの手を取った。

「……済まなかった……」

 それは、とてもか細く、どこか幽玄ゆうげんてに取り込まれそうな程消え入りそうな声だった。


 ……このままここにいてもあたし達に何が出来るわけでもない。

「行きましょう」

 降りてきた階段が、そのまま階層をつらぬつたって下に向かっているわけではなかった。 既存きぞんのフロアの合間をって設計された狭い通路を少しだけ歩いたのちにまたくだる階段を見つけた。つまり、最初から意図いとをもって設計されたわけじゃないってことが良く分かる無理矢理な構造。

「ここの階段はまだ何とか大丈夫そうですね」

 女性信者の人が胸をでおろし、そう言って階段の先をのぞむ。

「今度は俺が先に行こう」

 男性信者の人にささえられた神先かみさきさんがあたしを気遣きづかってくれてか、先導せんどうを申し出てくれたのはしずんだままの心を見透みすかされているからだろう。誰もが無言むごんのままだったしばらくの時間がついさっきまでだったから。

 胸の奥がつぶれそうな日々の思いから何とかい上がったはずだった。ゆがんだ決意のその先で出会った奇跡は、間違った使い方をする人間達によって生み出された不幸の連鎖れんさによって本来持っているはずのその色さえつぶされていたんだ。

 本当の神様が、あたしやあたし達の地獄を作ったわけじゃない。それを作り出したのは……。


 どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんんん!!


 何度目かの爆発音に思い切りられた視線の先の光景が、何度も繰り返す残像ざんぞうみたいにがってあたしの姿勢を思い切りくずした。

ゆうちゃん!!」

むすめ!!」

 ぼんやり考えごとの自分の頭の中に迷い込んでいたあたしが、目線の大分だいぶ下でこちらを振り返りさけ神先かみさきさんや教祖きょうそ達の声に気づいた時には、左右ではさ壁面へきめんう様なひびがつたい、けれど足元からかわいた音が大きく弾け始めるのが聞こえ、それがたった数秒先にどうなるのかよほどこちらの最悪の結果の方が本能的にこの身をすくませてしまい……! 

「危ない!!」

 その瞬間だった。同じくあたしのぐ後ろで倒れた女性信者の人がしゃがみ込んで、懸命けんめいに少年をきかかえようとするあたしの肩から思い切り下へ押しげた。足元からバランスをくずしながらも必死で少年を両手でくるんだまま何段もの下へあたしが落ちた。

 どおおおおおおおおおんん!!

 にぶくて重々しい音が耳の奥を何度も打った。

 この衝撃しょうげきから放たれたほこり幾重いくえにも舞う視界の中、一方で少年をきもう片方の腕で鼻や口をおおいいながら上を見た。

 押される前、先程さきほどまでしゃがみ込んでいた段とこちら下側の階段のそのかん、転がってきたあいだのその段がこの崩壊の連鎖れんさを受けそのまま崩れ落ちていった。

「信者さん!!」

 かろううじて向こう側に残っていた女性信者さんが体を宙にさらし、その段のはしつかまっていた。もしも手を離せば奈落ならくの様なその向こう、足元がくずれ去って突き抜けたその真下のかいが待ってるだなんて!

「どうにかならないのか!!」

 こちら側との間にすっぽりと宙がいた形で、万が一にも飛び移るのなんてとても……!

「……いんです……ありがとうみなさん」

 女性信者が今にもくずれそうなそのはしつかむ片方の指がわずかにずり落ちた……!

 いって……何がの……なにも良くないよ! 何か!! ロープでもなんでも!!

「あたしは……自分が犯した過ちで家族を壊したのに、それを悪魔の所為せいにしてたんです……この教団に出会って……自分がやったことすら肯定こうていしてくれて……懸命けんめいに取りかれたように他人まで巻き込んで……あたしは、自分で自分の両目をふさいでしまってたんだって……」

 でも、それは!! だけど……それでも……!

「……あたしも神様に会ったんです……『ああ可哀相かわいそうに……君には勇気をあげよう……』って……こんな状況で本当はこわかったけれど……こんなふるえる手でも今あなたを助ける勇気をもらえた……ごめんなさい……あなたの家族を壊すつもりじゃなかった……誰の家族も壊すつもりはなかった……ああ……最後に何か出来たなら……それが罪滅つみほろぼしになれたなら……神様……あたしを許して……」

 女性信者の手がかった部分ががれ落ちて、それが最期さいごだった。

「いやああああああああああああ!!!!!」

 あたしの伸ばした手は、そこにはついに届かなった。気が狂わんばかりのあたしの絶叫が、落ちていく女性信者の体を包むこともなかった。

 目の前でただ人が落ちて、かすむような地獄の底に消えた。

「娘!! お前まで落ちては駄目だ!!」

 階段にしがみ付きながらも必死にう様に登ってきた教祖きょうそが、奈落ならくの底に伸ばすあたしの手を引いた。

ゆうちゃん!!」

 神先かみさきさんと男性信者さんが、少年をいて泣き続けるあたしを両側から持ち上げて階段の下の踊り場まで連れて行ってくれたけれど……。

 どうしようもなかった……あたしにはどうにもならかった!! 

「ねえ!!! どうしてこうなるの!! 違う!! あたしはあの人に責任を取って欲しかったわけじゃない!! 助けて欲しいなんてそんな……そんなこと……違う……あの人に……あの人に……」

「……全てが私の所為せいだ、娘……何もかも……そうだ……全てが私の間違いから始まったんだ……すまない……許してくれ……こんな……こんなことのためじゃなかった……私が世界を救えると信じたことが……こんなことに……」

 神様が!! 神様が助けてくれたとか!! それで別の違う悲しみが生まれて!! みんなが!! あたしが思ってることとか!! あの人が目の前でいなくなってあたしが助かって!! 助けてくれたって……助けてくれたってお礼を言わなくちゃいけないあなたが目の前で消えてしまったら!!! あたしは……あたしは!!! 

「神は、ただ俺達の理解の範疇はんちゅうからは超然ちょうぜんとして……俺達の誰かの為に存在してるわけでもない……あの信者が最期さいごにどんな気持ちになったのか……それすら俺達には本当のことは分からないから……」

 神先かみさきさんが立つ横で泣きくずれるあたしの前で教祖きょうそふるえながらこうべれ、ひざまずいていた。

 ただ誰かをにくむことだけなら簡単だったはずなのに……ただの復讐劇ふくしゅうげきなら簡単な話だったのに……どうして……どうしてこんな……。

 あたしは、無邪気むじゃきさにたゆたいながら眠る少年を、この両手で強くきしめながらただ泣いていた。



 この世界には、理不尽りふじんさと不条理ふじょうり情景じょうけいえずいながら、けれど時にそのまじわりの後に、ほんの少しの優しさが残されていたり。

 モラルやルールは神からもたされた物ではなく、誰かが都合つごう良く生み出した社会を必死で守るためのただのトラフィックの道具。

 あたし達が生まれながらに持っているものは正義や悪ではなく。

 あらんかぎりのいびつさで、これからもこの世界はずっと続いていくんだろう。

 神様がいる世界に生きる人々と。

 神様なんていない世界を生きる人々が。

 神様はいつもただ、かすみをへだてた向こうから光と共に

 あたし達を見ているだけ。

 

 

 けれど、その優しさをいつだって本当は誰も知らないから。

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