第24話 追い打ち② ~怒り

 八月の連休を前に、また電話が鳴った。錠は日課の真っ最中だった。

 無視を決め込んだ錠の代わりに、留守電メッセージが応じる。相手はその上から声をかぶせた。

「錠、出なさいよ」

 姉だ。出たくはないが、出ないと出るまでかかってくる。錠は、しぶしぶ受話器を取って無言のままでいた。

「錠、聞いてる? どうなの、就職活動」

 錠はいつもの舌打ちをしてから沈黙を解いた。

「ちっ。またかよ。今、動いてる最中なんだよ。うるさいな」

「うるさいじゃないでしょ」

「そっとしておいてくれよ、身内のくせに追い込むなよ」

「身内だから言ってんのよ。あんたはほっとくと、ろくなことないから。母さんのことだって……」

「母さんのこと? なんだよ」

 姉は一呼吸おいてから、この話を切り出した。

「今日出た週刊フライング見た?」

 姉の声色が低くなった。

「あ? いや」

「うちのこと、載ってるわ」

 錠は一瞬にして血の気が引いた。

「あんたが、のこのこ出てって恥さらすからよ」

 姉は、今度は感情をあらわに話しはじめた。

「これ以上、母さんに迷惑かけたら許さないから。あんたは昔からそうよ。子供のときなんて、わざと心配させて気を引こうとして。母さんやっと帰ってきて疲れてるのに面倒かけるから、だから私が母さんを守んなきゃって、あんたから遠ざけなきゃってあんたの面倒見てたのに。本当はあんたなんか嫌で嫌でしょうがなかったのよ!」

 姉は叩きつけるように電話を切った。

 体の火照りとは裏腹に、耳元から受話機が小刻みに震えながら下りていく。なんとかそれを本体に戻し、錠はその場に座り込んだ。

 実の姉にそこまで言われた。確かに、いつも仲のいい姉弟ではなかった。甘えて困らせていたであろうことは自分でもわかる。でも、それほどのこととは思いもしなかった。

『のこのこ出てって恥さらすからよ――』

 表通りでトラックらしきクラクションが鳴る。錠は玄関のドアに目をとめた。

 竹内に誘われてあの向こうに出なかったら――。

 あの日を恨めしそうに思い返し、またしても過去を悔やんだ。

 深夜になるのを待ってから、錠はコンビニに向かい、問題の週刊フライングを手に取った。

〝ジョー、母の離婚〟

 表紙から大見出しで躍る文字。それを見た時点で姉も平静でいられるはずはあるまい。錠にとっても、幼いころから最も恐れていた触れられたくない話だ。怒りとも悲しみとも区別のつかぬ感情が、錠を支配する。

 なかの文面には、錠が八つのときに母は離婚し、女手一つで姉弟を育てたとあった。その後、子供を連れて故郷に戻り、旅館の仲居として働きはじめた。その際に職を探して苦労したことなどが、延々と書かれていた。

 記事としては下世話で不愉快、いまさら他人にどうこう言われることじゃない。だが、ここまでは錠も承知の事実だった。

 それ以上に錠を動揺させたのはこのあと、アノヒトについての記事だった。それによると、錠の幼少期、アノヒトの経営する大船の会社が倒産、その後借金を抱えて家を出たとある。家族に迷惑をかけまいとして離婚した可能性があるとの推測も記されていた。

 女性関係ではなかったのか、その点では姉の話と食い違っている。

 いや、こんな記事より姉ちゃんの言ってることのほうが正しいだろ。とにかくアイツは母さんを捨てて出ていった。それだけだ。

 アノヒトへの感情が渦を巻き、錠の胸をかき乱す。

 アイツのせいで俺たちは……。

 雑誌を閉じ、表紙を見た。これが日本中に出回っている。

 世間のやつら、誰も許さねえ――。

 錠は正面のウィンドウに映る己の顔とにらみ合いながら、雑誌を棚に突っ込んだ。


 翌日、深夜のことだ。コンビニから戻ると、玄関の前に男が立っていた。ワイシャツにネクタイ、その身なりからして大人のようだ。

 彼は階段を上って現れた錠を見るなり、慌てた様子で顔を背けた。遅い時間の足音には注意を払っているため、錠の気配に気付かなかったらしい。

 錠はけげんな顔で近づき、深夜用のボリュームで声をかけた。

「なんか用か?」

 男は観念したような表情を見せたが、不意に懐に手を突っ込んだ。

 錠は思わず見構える。が、

「実は、こういう者で……」

 相手は、そう言って名刺を差し出した。

 錠は小さく息を吐きながら、そろりと受け取った。そして、薄明かりの下で目を凝らして、それを読み取った。

「出版社の……、記者?」

「はい」

 記者が目の前に現れるのは久しぶりだが、これまで玄関の前に立っていたことはなかった。

「で、俺に何か用?」

「いや、特には」

 記者はシラをきったが、通用するはずがない。

「お前っ、まさか週刊フライングじゃないだろうな」

 突然牙をむかれた記者は、たじろぎながらうわずった声を出した。

「いや、僕は違う。そもそも出版社が違うよ。名刺に書いてあるだろ」

「同じようなもんだろ、どこも」

「いや待ってよ、確かに同じ週刊誌の類だけど、少なくとも僕は君の記事を書いたことはない」

「いいや、お前ら、おんなじだ。同類だろ。ひとんちの余計なこと書きならべやがって」

「いや、だから僕じゃない」

「同業者だろって。同罪だ。そうじゃないって言うなら、あいつらをなんとかしろ。あれか、仲間の悪事は見て見ぬふりか」

「そんなムチャな」

 記者は、強引な理屈に困惑の表情を見せた。

 錠は隣の部屋のほうを見て、再び音量を下げた。

「どうせ、帰ってこれから書くんだろ」

「……まあ、確かに、何か特ダネを見つけてこいって言われて出てきたんだけど」

「今度は何書くつもりだ。俺だけじゃなく、家族んとこにまで行ったら許さねえぞ」

 記者は錠の目つきに威圧されながらも、話を続けた。

「確かに、フライングの記事は君にとってはきつい内容だったかもしれない。でも、あそこは業界では硬派な部類だと思う。あの記事についてはわからないけど、基本的にでっちあげは少ないって言われている」

 確かに、週刊フライングの記事は余計なお世話には相違ないが、嘘ではなかった。アノヒトの件も、推測だとことわりが付されていた。だが、それは錠には関係ない。

「そう言う問題じゃねえんだっての。嘘じゃなきゃ何書いてもいいのか?」

 記者は錠と目を合わせていられなくなった。

「僕は経済誌の担当だったんだ。でも異動になってね。やったことのない週刊誌の部署にまわされたんだ。サッカーは昔やってたから人並み以上にはわかるけどね」

「知ったことかっての」

 サッカーのこともこっちはお断りなんだよ、錠はそう思った。

「やりたいことばかりやれるわけでもないから、しょうがない。なんとか適応しないと」

 記者は自分に言い聞かすようにつぶやいた。

 錠は興味なさげに、鍵を取り出そうとポケットに手を入れた。その背中を見ながら、記者はなおも続けた。

「でも、スタンスは変えないつもりだ。僕は正しいと思うことを記事に書く。それはずっと変わらない。うちの編集長は、どんな記事でも裏は必ず取るって言っているし」

 記者は毅然として言った。

「ただ、これからの世の中、情報はもっと交錯する。君はインターネットって知ってるかい?」

「ああ、もちろん。聞いたことは、ある」

 錠は鍵を開けながら答えた。いつだったか、いちはやく始めた前田が、竹内や大木に薦めていた。小難しいことを得意げに話していたのを覚えている。

「これからは僕たちプロだけじゃなく、一般の人がインターネットを通して意見を言うようになるはずだ」

 コンピューター関連に詳しくない錠には、ピンとこない。

「そのとき大事なのは、何が本当で何が嘘なのか、誰が正しくて誰が間違っているのか、自分で判断しなきゃならないってことだ。そんな時代が来るんだ」

「だからなんだってんだ。そんな先のことはいいんだよ。用がないなら帰れ。そんで、何も書くなよ」

「それほど先のことじゃないと思うけどね。まあ、それはさておき、何か情報をもって帰らなきゃならないんだけど、何かないかなあ、君のことじゃなくてもいいんだけど」

 記者は一転、ねだるように言った。

「他の代表と連絡取ってる? みんなの調子はどうかな」

「し、知らねえよ、あんなやつら」

「君は一文字に憧れて代表に入ったんだってね」

「だ、誰が言った、そんなこと」

「たしか、岡屋が言ってたようだけど」

 錠は顔を背け、舌打ちをした。確かに部屋のカレンダーを見られている。

「ミラクル一文字は、虹をかける男に引けを取らないほどの人気だからね。皆、興味あるだろう。ガードが堅くてなかなか情報は入ってこないけど、ある筋からの話では、今年に入ってから再起不能に近い状態だって聞いてるんだけど、どうなのかな」

「再起不能?」

 故障を抱えていることは、さすがに錠もわかっている。代表で練習する姿は見たこともない。ただ、オマーン戦でのゴールが浮かび、錠は不可解に思った。

「Jリーグの試合にも出ていないし、そうだとすると去年無理したせいじゃないかな。全盛期並みの大活躍だったから」

 記者の言うとおり、移籍一年目の昨年は、怪我など微塵も感じさせないほどレベルの高いプレーを見せた。

「今年の開幕前、本当はしばらく休養を取るはずだったらしい。けど、ユキヤの故障で代表も抜けられなくなったってね。Jリーグも代表も、ベンチには入っているから、ここぞというときは無理しても出るということだろう。オマーン戦のようにね。その調整のために日々を費しているに違いない」

 錠は目を伏せたあと、

「そうまでしてさ、やんなきゃならないもんかね」

 呆れた顔をつくってそう言った。

「一文字だけじゃなく、皆、何かを背負っているからねえ」

「ふん、どうせ、たいしたもん背負ってないだろ」

「君はみんなを見て、何も感じないのかい?」

「はあ? 何をどう感じろって?」

「君も代表だろ。君は何も背負ってないの?」

「代表なら何か背負ってなきゃいけないのか。へっ、俺にはそんなくだらないものはないね」

 薄ら笑いを浮かべる錠に対し、記者のほうが、わずかだが眉間にしわを寄せた。

「噂には聞いてたけど、ずいぶんなこと言うんだね」

「あ?」

「これも噂だけど、Jリーグの各チームが入団交渉を見合わせているのは、君の人間性に問題があるからだと言う説もある」

 記者は、正義が悪に向かって放つかのように言った。

「なんだと。てめえらが勝手に言ってるだけだろ、いい加減にしろっての!」

 錠の口が尖らぬはずがない。

「そうやって、てめえらがふっかけてきたんだからな。何も知らないくせに。俺には俺の事情があるってんだ。人の気も知らないでよ!」

 いつものように、思いつくまま怒りを連射した。

 相手はやはり面食らって言葉を失った。ドアを開ける錠を目を丸くしてただ見ている。

「ふん、何も言えないか。適当にわかったようなこと言ってんじゃないよ。偽善者め」

 錠は一方的に撃ちまくって、部屋のなかに姿を消した。

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